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温泉町の怪談めぐる謎、解かれた後に残る不安 竹本健治の幻想ミステリ「狐火の辻」書評

文:朝宮運河

 「『幽霊の正体見たり枯れ尾花』というが、それによると、少なくともそこに枯れススキの存在はあるわけだ。この幽霊話の場合、枯れススキは何だったんだろうねェ」。

 竹本健治の新作『狐火の辻』(KADOKAWA)の狙いは、主人公である楢津木刑事のこのセリフに要約されていると思う。人はしばしば枯れススキを幽霊に見誤る。ではどんな怪異譚にも枯れススキはあるのか。あるとすればそれは何なのか。楢津木刑事ら三人の警察官が怪談や都市伝説の背後を捜査してゆく『狐火の辻』は、いわば社会にひそむ枯れススキを見つけ出すまでの物語だ。

 温泉町として知られる神奈川県湯河原で、このところ奇妙な事件が相次いでいた。交通事故の被害者が現場から煙のように消えたかと思うと、他人を尾行する〈つけまわし男〉がたびたび目撃される。ネット上では湯河原を舞台にしたタクシー怪談が流行し、7年前に起こった死亡事故現場を白い服の幽霊がさまよう。
 こうした一連の出来事に興味を持った小田原署の楢津木、交通課の岩淵と薫子の三人は、行きつけの店を舞台に〈居酒屋探偵団〉を結成、その背景を探ることにした。楢津木はボサボサ髪にやぶにらみの眼、ニヤニヤ笑いを浮かべながら執拗に聞き込みを続ける粘り腰タイプの刑事で、著者近年の代表作『涙香迷宮』にも登場したキャラクター。今作でもささやかな手がかりに食らいつき、関係者を訪ね歩くことで、いくつもの意外な事実を明らかにする。

 しかし楢津木たちが手繰れば手繰るほど、謎の糸は複雑に絡まってゆくばかり。同時多発的に起こった怪事件は、ある部分では奇妙な関連性をみせながら、ある部分ではまったく独立している。群盲象を撫でるという言い回しがあるが、この小説に登場する象は明るいところで目を凝らしても一向に輪郭がはっきりしない。ぐにゃぐにゃと姿を変え続ける。「いったい何が起こっているのか」という感覚は著者のミステリ作品ではおなじみのものだが、本作でも名作『狂い壁狂い窓』や『トランプ殺人事件』などと同様に、濃い霧の中を延々さまよい歩くような体験をたっぷり堪能することができる。
 名探偵役としてIQ208を誇る天才棋士・牧場智久も登場。『涙香迷宮』で新たなファンを獲得した智久だが、今回は多忙ということもあってあまり姿を見せない。楢津木たちから捜査の途中経過を聞き、的確なアドバイスを天の声のように与えるのみだ。智久の一言によって茫洋とした世界が、一瞬だけ光を放つ。その残像を手がかりに真相を追う楢津木たちの姿は、なるほど〈探偵団〉と呼ぶのがふさわしい。

 探偵団の活躍によって、絡まり合った糸はやっと解かれ、事件の全体像が明らかになる。それにしてもなんと複雑怪奇な、それでいて現実的な事件なのだろう。奇妙に思えたエピソードはすべて(あえて書いてしまうが)人為が関わっており、怪異の立ち入る余地はない。その意味で『狐火の辻』は紛れもなく、謎の合理的解釈を重んじた本格ミステリである。
 だからといってこの物語の孕む怖さ、不気味さが目減りするかといえば、そんなことはない。なるほど幽霊の正体は枯れススキかもしれない。しかしそこに枯れススキが立っていたこと自体、考えてみれば怖ろしいではないか――。人の作為とありえない偶然が混じり合った本作は、謎解きの後も狐に惑わされたような感覚が残り続ける。この濃密な幻想性は、そこらのホラーが裸足で逃げ出すほど。鬼才・竹本健治の健在ぶりを示す作品だ。