短編の「その後」年重ねた2人の関係は
「ピエタとトランジ」は元々、13年に文芸誌「群像」で「8月の8つの短篇(たんぺん)」として掲載された作品のうちの一つだった。女子高生のピエタが年上の彼氏に会いに行く途中、電車のなかで転校生のトランジに出会う場面からはじまる。頭がよくて何でもお見通しのトランジに興味を持ち、彼氏に紹介しようと一緒に行ったアパートで見つけたのは、当人の刺殺体。トランジは、身近に殺人事件を引き寄せてしまう体質の名探偵だったのだ。
「私は小さいときから『火曜サスペンス劇場』とか『名探偵コナン』が好きで。見ていると、行く先々で殺人が起こるじゃないですか。最初はそれを逆手に取るというか、皮肉った感じで書けたらと思ったんです」と笑う。
それから3年後の16年、続編を連作短編として連載することにした。「自分でもすごく気に入ってる短編やったんです。前に自分で書いたもののことをあんまり考えないので、そういうことは私にとっては珍しくて」。一方で、どうしても気にかかることがあった。
「『ピエタとトランジ』は、女子高生という言葉とイメージが持つステレオタイプに頼って書いたんですね。女子高生というのは、ちょっと破壊的で、めちゃくちゃだ、という実際とはちがう言説がある。私はそういうものに、すごく影響された世代だった」
1990年代のコギャル全盛期に高校生活を送り、「みんな制服が好きで、ルーズソックスが好きで。私自身はそういうタイプとは遠かったけれども、そのイメージに対する嫌悪とあこがれが、私にはまだ同時にありまして。若さの特権のようなものをここで書いてしまった、乗っかってしまったと思ったんです」。
だから、「これを長編にする意味があるとすれば、この2人が年を取ることだけだと思っていた」という。「ちゃんと年を取っても人生は進んでいくし、その人生はまったく色褪(あ)せない、ということを書く責任があると思いました」
〈完全版〉では、ピエタとトランジは大学生になり、それぞれの職業に就き、さらに年を重ねていく。2人の関係はつづくが、ただしそれは恋愛ではない。「女性同士の友情って、私はいいものだなと思ってます。友情のままで人生の伴侶になるってことも十分にあるし、とてもすてきなことです」
また、「男性のバディものはすごくたくさんあるのに、女性ってなかなかない」とも思っていた。どうしてなのだろうか?
「男性同士のバディは、いわゆる家庭をおざなりにして、家庭の外の仕事や現象に立ち向かっていく余地があるんですよ。でも女性は、ある一定の時点で家庭を中心にすることを要請されるから、家庭の外にある女性のバディが成立しづらかったんだと思います」
翻訳家の岸本佐知子さんは、本作の帯文に「これは、私がずっとずっと読みたいと思っていた、最強最高の女子バディ物語。」と寄せている。まさに、待望の一冊だ。(山崎聡)=朝日新聞2020年3月18日掲載