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柚木麻子さんが大学時代に出あった生涯で一番好きなドラマ「水曜日の情事」 何度見直しても新たな美点

「水曜日の情事」(C)フジテレビ

 今でも鮮明に覚えているCMがある。2001年9月19日。深田恭子主演「Fighting Girl」(傑作)の最終回、ユンソナと深田恭子のぶつかりあってばかりの一夏の友情の結末に泣いていたら、突然まったく違う世界観の新ドラマの宣伝がブチこまれ、目をパチクリさせたのだ。「水曜日の夜、男は獣になる」がキャッチコピーで、パリッとした服装におしゃれなパーマ頭の本木雅弘が登場する。どうやらしっとりした大人の恋模様が描かれる様子で、当時大学生だった私はあんまり興味が持てず、来週からはこの時間はもういいや…とテレビを消そうとした瞬間、アッと声が出た。本木雅弘の相手役、それが天海祐希だったのである。もちろんモッくんとはお似合いすぎるくらいお似合いなのだが、たった今見終わったばかりの「Fighting Girl」に天海祐希はレギュラー出演していたのだ。それも自己肯定感の低い、メガネをかけた事務員で、深キョンに振り回されてばかりの役柄だった。最終回では美しくドレスアップして上司のショーケンをアッと言わせるのだが……。(記憶があいまいなのは「Fighting Girl」がソフト化されていないためだ。「水曜日の情事」も同様だが私はありとあらゆる手を尽くし、親切な友人からもらった録画DVDを大切に所有している)さっきまで猫背でビクビクしていた天海祐希が、モッくんの隣で、日本のテレビドラマとしては相当珍しいシックで上質な硬い素材の服を身にまとい、マットなメイクで微笑んでいるのだ。2クール続けて同じ時間に、まったく違う役柄で、そして急速に主役に近づいている。宝塚退団後、フルスピードでスター街道をひた走っていた彼女の最大瞬間風速を目の当たりにした思い出である。しかし、この時の私は、十月の水曜日に始まることになる「水曜日の情事」が生涯で一番好きなドラマになるとはまったく思っていなかったのである。

 「水曜日の情事」はざっくりいうと不倫の話だ。編集者の佐倉詠一郎(本木雅弘)は、担当作家・前園耕作(原田泰造)に恋愛小説を書かせるためには何か材料となるエピソードが必要と、最愛の妻・あい(天海祐希)の親友・操(石田ひかり)の誘惑にあえてのってみせるが……。こう書いてみると、全然好きな話ではない。でも、「こういう風になるだろう」と思うと必ず裏切られる作りだから、騙されたと思って観てみてほしい。なにしろ脚本は天才・野沢尚だ。ミソジニー全開のドロドロドラマだと思って二の足を踏んでいる人に、私は全力で主張したい。これはモッくんを天海祐希と石田ひかりが奪い合う物語ではない。天海祐希と石田ひかりの強烈なラブストーリーからはねとばされたモッくんがずっとそばにいてくれた原田泰造と手を取り合う物語なのである。キャスティングからして示唆的なのだが、そもそもモッくんと天海祐希が並んでいても、夫婦とか恋人という感じがまったくしない。強い絆で結ばれためちゃくちゃカッコいい二人組にピカーッと後光が差している、そんなイメージ。そんな名コンビを影からじとっと見ている、テレビのこちら側の存在が操である。ファーストキスの相手があいだった、いじめを受けていた時に助けてくれたのがあいだった、操はしつこいくらいに過去の話を持ち出す。ものすごく自慢げに。詠一郎とベッドに裸で並んで横たわっていようが、まだあいの話をしている。アンタ、いい加減、あいの話するのやめなよ!!

 操にとって生涯手に入らないヒーロー、どんな男も決して叶わなわい完璧な王子様、それがあいだ。操の究極の目標は、あいに勝つことではない。あいにとって他に変えのきかない特別な存在に自分がなること。親友でもダメ、恋人でもダメ、家族でもダメ。そのもっともっと上の、まだ誰も名前をつけていないような、スペシャルな存在になることだ。とはいえ、操は可憐なだけのどこにでもいる普通の女。でも、彼女にはたった一つだけものすごい特技がある。それがセックスだ。日本のドラマでセクシーだったりモテる女性は数多く描かれるが、誰もが納得するほどセックスが上手い女性というのを私は操以外知らない。ドラマの中で繰り返し「操はアッチがすごいんだ」ということが語られるが、これがまったく湿った感じがなく、「あいつ素手で瓦三十枚割れるらしいよ」かのような扱われ方をするところが品があって好きだ。操はこの唯一の特技を武器にして、あいの周りの男を次から次へと抱きまくる。最初の犠牲者は、まだ十代のあいの実弟・明洋。どうやら操は彼を足がかりにして一度はあいの家族に成り上がろうとしたフシがある。しかし、操のテクニックのせいで彼の人生は狂ってしまい、行方をくらまし、簡単にいうとトンチキな大人になって戻って来る。演じるのは谷原章介。大切なものをあきらめたようなボンヤリした目がとてもいい。(作家デビューして初めて「王様のブランチ」に出演した時、谷原章介が司会者だったので、私が大はしゃぎしたのはいうまでもない)

 石田ひかりが愛しているはずのモッくんにほんの時たま殺しそうな視線を向けるのも素晴らしいし、原田泰造がモッくんの不倫をたしなめながらも、その実、彼が喜べばはしゃぐし、悲しめばどんより沈み、原稿を褒められれば異様に嬉しそうな顔をするのもいい。
 さて、操の目的とはあいを振り向かせて生涯自分のそばに置くことだが、それでは肝心のあいは操をどう思っているのか? 憎んでいるのか、うざいと思っているのか、本人の言葉通り、負い目があるのか? これがなかなか明かされないのだが、その回答にいくつもの解釈が可能なのもすごい。一つ明快なアンサーがあるとするならば、ラスト間際、教会でウエディングドレス姿の操の手をとって入場するのは、あいである。そして直後、操はなんの前触れもなく詠一郎をボロ雑巾のように捨てるのだ。

 主題歌の久保田利伸「Candy Rain」はイントロだけで、切なさを正露丸にして水なしで飲み込まされるような名曲だ。確かザ・テレビジョンのインタビューで、久保田利伸は「この歌詞はあいの気持ちで書いた」と発言していたはずだ。もともと好きだったけれど、この瞬間、私の彼への信頼は揺るぎないものになった。
 「水曜日の情事」の最大の良さは、何度見直しても新たな美点を発見できるところだ。日本のドラマとしては珍しく、ロケ地がものすごく的確。うなぎとかクリームシチューとか食べ物が本当に美味しそう。登場人物がそれぞれのキャラクターにあった趣味や言葉遣いで、ポリシーをわからせる手段として卒論のテーマがでてきたり、それぞれの年収にふさわしい服装や住居なのもありそうでなかなかない。あと、ここ十年で再確認した長所なのだが、作家や出版界の描き方がかなり真実の姿に近い。編集長役の田山涼成が出版不況を嘆いて唐突に「文庫本くらい買ってくれよォ!」と叫ぶシーンを、何かの拍子に時々思い出す。