「カプチーノ」は1999年1月27日にリリースされたともさかりえ7枚目のシングルCD、今ではなつかしい8cmの短冊型だ。イントロはボサノバで、ソフトロックに転調していく。なかなか会えない恋人へのやきもきを、おしゃれかつセクシーに、それでいて愚直に歌っている。私は92年放送「コラ!なんばしよっと」時代から現在に至るまで、ともさかりえのファンを続けているが、その情熱を支えている一因がこの名曲だ。作詞作曲はシーナ・リンゴ名義の椎名林檎。デビュー二年目、業界の期待が高まりに高まっていた時期だ。この出会いをきっかけに、二人が親友になったのはファンの間では有名な話だ。椎名林檎はともさかりえを最初に見た時に「なんて美しくてなんて悲しい形をしているんだ」と思った、とどこかで発言したはずで、私はそれを強烈に覚えている。作家になってからありとあらゆる手を尽くしても確証は得られなかったのだが、私が見た幻というにはあまりにも椎名林檎らしい発言である。ともさかりえもまた、確か泉谷しげるがレギュラーだった音楽番組で「椎名林檎さんに出会った時、この人だけにはかなわないと思った」と発言していたはずだ。
話はかわるが、現在演技派女優となったともさかりえの歌声を今なお聴こうとおもったら、奥の手が一つだけある。ともさかりえ・三宅弘城主演の人気舞台「鎌塚氏」シリーズを観に行けばいい。ミュージカルではないのだが、終盤に演者が突然ポップスを歌い出す演出がある。毎回観に行っている私は、メイド服を着たともさかりえの歌う「Woman "Wの悲劇"より」を聴けるという幸運にあずかったのである。
ともさかりえの歌手活動といえば、ファーストシングル「エスカレーション」が最も有名かもしれない。「金田一少年の事件簿」時代の彼女にぴったりなさわやかな楽曲は、あの秋元康が作詞したものだ。しかし、「カプチーノ」にはそうした既存のイメージを破壊する力強さがあった。あの楽曲の根底にビリビリ流れているのは女同士の熱い信頼だ。圧倒的強者の秋元康のもとから、ギター一本で勝負している凄まじい才能をもった同世代の女の子の隣へ。二人は肩を並べて力いっぱい歌う。こんなにしびれる物語はない。「カプチーノ」の楽曲提供から間もなく、アルバム「無罪モラトリアム」をリリースした椎名林檎は大ブレイクする。
今でこそ女性が女性をプロデュースすることは当たり前になってきたが、当時のメジャーシーンではほとんど見られないことだった。90年代は力のある男性が若い女性をピックアップし、自分の思い入れでスターにすることが美徳だった時代だ。その男性主導のシンデレラストーリーを一撃で終わらせ、2000年代を連れてきたのが、椎名林檎とともさかりえのコンビだったのだと今でも思っている。
時は流れ、椎名林檎は国民的歌手、ともさかりえはいぶし銀の実力派女優になった。2009年発売のオリジナルアルバム「トリドリ。」以降、二人は音楽活動を共にしていない。もちろん、今なお強い絆で結ばれているのだろうし、お互いわざわざ仕事で組みたいとは思っていないのかもしれない。しかし、秋元康が一枚も二枚もかんでいる東京オリンピックに、あの椎名林檎が協力している事実は、二十年前「カプチーノ」に胸打たれた私にはなんだか信じられないのだ。
「十九歳に戻りたい」「十九歳が懐かしい」というような内容をともさかりえは繰り返し、定期的にブログで発信している。「カプチーノ」の時、ともさかりえはまさに十九歳である。我々ファンにとってそうであるように彼女にとってもあの椎名林檎と過ごした日々は、今なお忘れがたいものであることに間違いない、と私は信じている。再び話はかわるが、ここ数年、芸能人が意味深な内容をSNSで発信するとすぐ「匂わせ」だと騒ぎが起きるが、ともさかりえブログの開設以来の読者からすると、最近話題になるものはどれもこれも匂い自体がかすかで、思わせぶりでもなんでもない。ともさかりえの言葉選びは、匂わせではなく、匂いそのものだ。上質なパフュームだ。
親密な女性同士が離れ離れになる時、そこには少なからず社会の力が働いていると私は思っている。それをなんとか防ぐ方法を模索したくて小説を書いているところがある。女同士が薄情だとかドロドロしているのではなく、この国家を形成している家父長制が、経済政策が、日常レベルの人間関係にまで影響をおよぼし、立場の弱い女性がわりをくわされているのだと、私は思う。確信をもって言えるのは、椎名林檎が今取り組むべきは東京オリンピックではなく、ともさかりえに曲を書くことだ。そのメロディが街にあふれ、みんなが口ずさんだ瞬間、国家権力は女性の連帯の後ろに退く。そうしたら、どん詰まりの日本に光が差し込む可能性もあるのではないか、と私は本気で信じているのである。