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「〈あの絵〉のまえで」書評 痛みと向き合って踏み出す一歩

評者: 押切もえ / 朝⽇新聞掲載:2020年05月09日
〈あの絵〉のまえで A Piece of Your Life 著者:原田マハ 出版社:幻冬舎 ジャンル:小説

ISBN: 9784344035805
発売⽇: 2020/03/18
サイズ: 20cm/193p

〈あの絵〉のまえで [著]原田マハ

 絵を観た時、その美しさに惹かれるだけでなく、その奥深さや力強さに勇気や閃きを与えられることがある。ルソー《夢》、ゴッホ《アイリス》、速水御舟(はやみぎょしゅう)の《炎舞》など、画家の情熱に導かれて目が覚めるような感覚。本書を読んで、そんな場面をいくつも思い出した。
 本作は、岐路に立たされた、あるいは節目を迎えた登場人物たちが、一枚の絵の前で自分自身や過去の痛みと向き合い、新たな一歩を踏み出す6編の物語である。
 例えば、「窓辺の小鳥たち」。夢を叶えるため、今まさに海外へ飛び立とうとする恋人と、間際になってそれを受け入れられない詩帆の話だ。大原美術館にあるピカソの《鳥籠》が登場し、絵の中の鳥が本当はかごの外にいるとした上で、恋人が言う。自分たちも同じだ、と。「おれらは、かごの中にいるわけじゃない。自由に飛んでいけるんだ」。その台詞(せりふ)は読者の心も軽くさせる。夢がない詩帆もこの先きっと何かを見つけるだろう。
 東山魁夷《白馬の森》が登場する「聖夜」にも心打たれた。10年前に息子を亡くした夫婦と、その絵に関わる約束の話。読み進める間、蒼く静かな森に佇む美しい馬の絵がずっと脳裏に浮かぶ。最後はその絵と同じくらい優しい奇跡が起きて、思わず涙した。
 実際に観たことがある絵が登場すると嬉しく、その描写の美しさに、他の絵への興味も募った。
 最終話に登場する直島にあるモネの《睡蓮(すいれん)》は10年以上前、母と2人で旅をした時に観た。幻想的なモネの部屋で、「きれいね」と言った母の笑顔は今でも忘れられない。視力が落ちても筆を握り続けたモネの思いがこもった、色とりどりの花や光がいっぱいに描かれた絵の前で、私ももっと頑張ってきっとまたこの絵を観に来ようと思った。
 これまで出会った、そんな絵の記憶までよみがえらせる一冊だ。
    ◇
 はらだ・まは 1962年生まれ。作家。著書に『楽園のカンヴァス』(山本周五郎賞)、『風神雷神』など。