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有栖川有栖さん「濱地健三郎の幽たる事件簿」インタビュー 死者の声に耳を傾ける、心霊探偵の胸躍る冒険

文:朝宮運河、写真は2017年、槌谷綾二撮影

初めて書けた、ホームズのような名探偵

――怪談とミステリの面白さをミックスさせた「心霊探偵・濱地健三郎シリーズ」の最新作、『濱地健三郎の幽たる事件簿』が刊行されました。そもそもこのシリーズをお書きになったきっかけは。

 2004年に怪談専門誌の「幽」という雑誌が創刊されまして、旧知の編集さんから「有栖川さんも怪談を書きませんか、書けますよね?」と声をかけられたんです。私はミステリが専門で、怪談を書こうとも書けるとも思ったことがなかった。ただ読者としては怪奇小説やホラーが好きで読んでいたんですね。そうした嗜好を編集さんに見抜かれた気がして、思い切ってやってみることにしました。

 まずは鉄道と怪談を絡めたシリーズを連載し、続いて〈天王寺七坂〉という大阪の土地を舞台にした連作を書きました。大阪のシリーズは『幻坂』という短編集にまとまっていますが、そのうちの2編に心霊現象専門の私立探偵・濱地が登場しているんです。当時は主人公にする気はさらさらなくて、たまに読者の方から「あの探偵はもう出てこないんですか」と尋ねられても、出てきませんよ、と返事をしていましたね。

 その後「幽」で新シリーズの連載をという話が出た際に、ふと濱地の存在を思い出したんです。事務所を構えている探偵という設定ですから、いろいろな事件に立ち会っているはず。これは案外いけそうだぞ、と。実際書き始めてみると「あれも書ける、これも書ける」という感じで、1冊目の『濱地健三郎の霊(くしび)なる事件簿』に続いて、このほど2冊目を出したというわけなんです。

――スーツに身を包んだ、古い映画に出てくるような二枚目。古びた雑居ビルに事務所を設ける濱地は、いかにも〝名探偵然〟としたキャラクターです。

 何十冊もミステリを書いているのに、シャーロック・ホームズのように事務所を構えた探偵は、一度も書いたことがなかった。やっと探偵事務所を持つ名探偵が書けて、喜びもひとしおです。

 私がこれまで書いてきた探偵役は、犯罪研究のために警察の捜査に協力するとか、大学生がたまたま事件に巻き込まれるとか、ここまでは許されるかな、という嘘の範疇に存在しています。探偵が事務所を構えて殺人事件を捜査する……というのは、現代だとさすがに嘘が勝ちすぎている気がするんです。その点、心霊探偵はそもそも幽霊自体が嘘ですから、リアリティのレイヤーがこれまでとは違う。濱地みたいないかにもなキャラクターでも、成立するのかなと思います。

――濱地健三郎という名前の響きも、主人公にしてはややシンプルですよね。

 まさかこんなに何度も「濱地健三郎」という文字を書くことになるとは思いませんでした。即興でごく無造作につけた名前。きっと日本のどこかに何人も同姓同名の方がいらっしゃいますよね。

 ミステリ作家にとって、探偵役の名前というのは思案のしどころです。看板を担うキャラクターなわけですから、意味はこうで、字面はこうでと考える。たとえば「火村英生」にしても「江神二郎」にしても、それなりの理由や意図があってつけているんですが、濱地に関しては何にもありません(笑)。まあ、この世界観で主人公の名前まで風変わりだったらやり過ぎですから、ほどよいバランスかなとも思っています。

2015年、堀内義晃撮影

ミステリのアイデアを怪談に応用して

――怪談とミステリは近いようで遠いジャンルです。このふたつを融合させるのは、至難の業なのでは?

 そうですね。不思議なことが扱われていても、超常現象を認める怪談と、認めないミステリは着地点が正反対です。そのふたつの境界線上に位置するのが、このシリーズ。怪談にミステリのモチーフや技法を注入して新しい味を狙っています。ただ下手をすると怪談としては怖くないし、ミステリとしては生温い、というものになってしまう。自分が面白いと感じてきた怪談やミステリの要素を結びつけて、一作ごとにアプローチを変えながら試行錯誤しているところです。

――どちらに転ぶか油断できないスリルが、このシリーズの醍醐味ですよね。作中で描かれている心霊現象には、ルールや法則性があるのでしょうか。

 そこは重要なポイントなんですよ。この世に存在しないものが出てくるミステリ、いわゆる「特殊設定ミステリ」と呼ばれる作品は、昨今数多く書かれていますが、濱地シリーズはそれともまた違う。幽霊が存在するという架空の世界を舞台に、本格ミステリを書きましたという作品ではない。このシリーズはあくまで怪談なので、どういうルールで幽霊が出るかは定まっていません。得体が知れないものを、ミステリ的に処理していくところが肝だと言えます。

――本書は7編を収録。ぞっと鳥肌立つような作品がある一方で、女性の失踪事件を扱った「姉は何処(いずこ)」はミステリ度が濃厚ですね。

 はい、ミステリっぽい理屈が出てきます。このシリーズは、濱地だけが見られる幽霊の姿や様子から真相に到達するというのがひとつのパターンですが、なかには見えたことをもとに濱地が推理を組み立てなければ解決できない作品もあって、「姉は何処」もその一例です。ただし謎を解いておしまいでは普通のミステリになってしまうので、探偵助手のユリエの視点から、エピローグを書き足しました。謎が解けたら必然的に物語が終わるミステリに比べて、怪談は結末のつけ方が豊富にあるような気がします。

――濱地がどうやって事件を解決するかも、大きな読みどころ。妙な男が事務所に訪ねてくる「饒舌な依頼人」では、なんとも意外な方法で事態を収束させます。

 濱地がさまざまな解決法を駆使するというのは、以前『幻坂』で幽霊に美味しいものをご馳走させる、という話を書いた段階で決まっていました。濱地は推理して謎を解くだけではなく、幽霊に寄り添って、行くべきところに導いてやることもある。「饒舌な依頼人」や、高校を舞台にした「ミステリー研究会の幽霊」はそのパターンですね。

 いわばハードボイルド小説の探偵が担う、トラブルシューターの役目です。テイストでいうと「ミステリー研究会の幽霊」はまったく〝ハード〟ではありませんけれど(笑)。「饒舌な依頼人」は解決の仕方が決まった瞬間、これで一本書けるぞと思いました。緊張と緩和の切り換えを意識しながら、楽しんで書いた一編です。

――最終話「それは叫ぶ」では、これまでの情や理屈が通用する幽霊とは、まったく異なるタイプの現象が描かれていました。個人的にはこれがいちばん怖かったです!

 心霊探偵はああいうわけの分からないものとも対峙する、ということを書きました。ホラー色が強い作品ですが、発想のもとはミステリなんですよ。このシリーズでは、ミステリでよく使われるパターンやモチーフを思い浮かべて、それを怪談に応用したらどうなるかと発想をすることが多い。これまでもアリバイ崩しや失踪などを扱ってきましたが、そういえばシリアルキラー(連続殺人犯)はまだ書いていなかった、と気がついたんです。

 もうひとつずっと考えているのは、密室殺人。うまいアイデアが浮かんだら、密室殺人の出てくる怪談をぜひ書いてみたいですね。

――「それは叫ぶ」では世界の徹底的な理不尽さと、その中にある光を描いていて印象的でした。昨今の混沌とした社会情勢とも響き合うような作品でした。

 世界はただでさえ残酷で理不尽なのに、そのうえ見えない世界にも落とし穴がある。ある意味では、すごく暗い世界観の短編なんですよね。その一方で、理不尽なくらいの幸せ、思いがけない出会いがあるのもこの世界。1+1が2になるとは限らない怖さもありますが、だからこそ生きている面白さもある。ラストシーンで濱地が助手のユリエと交わす会話から、日常の愛おしさをあらためて感じてもらえたら嬉しいです。

2015年、堀内義晃撮影

ミステリ怪談は、死者の声に耳を傾けるジャンル

――怪談をよくお読みになるとのことですが、特に怖いと感じた作品は?

 小説を読んでいて、怖いと感じることはありません。「うまいなあ」とは思うんですけどね。純粋に怖さでいったら、短くて不条理な実話怪談とか、ストーリーのない心霊写真のほうが怖いと思います。

 ただ怖がりなので、幽霊はいるわけがないと理屈で分かっていても、もし見たら震えあがるでしょうね。作家でも幽霊を怖がるタイプとそうでない人がいて、たとえば江戸川乱歩は怖い話をたくさん書いているけど、幽霊を一度も扱わなかった。同業者の綾辻行人さんも幽霊はいないと断言して、ホラーは書いても幽霊は出さない。私はむしろ正反対で、なぜか幽霊ものばかり書いてしまうんですよ。

――たしかにこれまで書かれてきた怪談は、ほぼ全部幽霊ものですね。モンスターやゾンビが出てくるような作品はありません。

 読者としてはいろんなタイプのホラーを読むんですけど、書くものはどれも幽霊が出てくる。どうしてだろうと考えているうちに、実は怪談とミステリには「死者の声を聞きたい」という共通した思いがあることに気づきました。

 ミステリは幽霊の存在を一切認めませんが、その代わりに探偵が推理することで、死者の声なき声を聞き届けようとする。一方の怪談はより直接的な形で、死者の声を描いていますよね。あらゆる小説のジャンルの中で、怪談とミステリだけが死者に手を伸ばすことができる。一見正反対のようで、ふたつのジャンルは共通する部分が大きいんですね。

 そう気づいたことで、自分がどうしてミステリに惹かれるかも理解できました。以前からずっと不思議だったんですよ。いくら謎解きのカタルシスや意外性があるといっても、年中ミステリばかり読んでいたら飽きそうなものじゃないですか。でもいくら読んでも飽きない。おそらく死んだ人に会いたい、声を聞きたいという普遍的な願望に根ざしたジャンルだから、私はミステリにも怪談にも惹かれているんでしょう。

トラウマ級の怪談を書いてみたい

――濱地シリーズでミステリと怪談が違和感なく融合しているのも、そういう背景があるからなんですね。これから本書を手に取ろうとしている読者に、一言お願いします。

 ミステリも怪談も大好物という人間が書いていますから、どちらの読者にも楽しんでいただけるシリーズになっていると思います。ミステリのようで怪談、という微妙なバランスを味わってみてください。といっても、怖い話が苦手でも楽しめるはずです。1冊目もちょうど文庫になったところですし、不思議な物語で気晴らしをしたい、という方にも読んでほしいですね。

――シリーズの今後について決まっていることはありますか? たとえば濱地もので長編を書かれるご予定は。

 怖い話で長編を書くのは、なかなかハードルが高いのですが、ふさわしいアイデアが思い浮かびさえすれば、長編にもチャレンジしてみたいと思います。今はそれよりもまず、洒落にならないほど怖い短編を書くのが目標。不気味な話、後味の悪い話は書いてきましたが、トラウマになるほど怖い話は、残念ながらまだ書けていませんから。「あれは怖かった、読んだら一生忘れられない」と語り継がれるような怪談を、書くことができればいいなと思っています。

2017年、槌谷綾二撮影