わが子のために作ったものがたり
――さきちゃん(さくぴー)と、たろう(たろぽう)がなかなか寝ないと、おかあさんが「もう おばけのじかんよ」と言って電気を消します。なぜかというと、さきちゃんとたろうが眠りにつくと、おばけかぞくのいちにちがはじまるからです。おばけのうちにも、子どものさくぴーとたろぽう、おとうさん、おかあさんがいて……。『おばけかぞくのいちにち』(福音館書店)は、わが子のために西平あかねさんが作ったお話だ。ユニークな物語とあたたかな画風がファンを増やし、今ではシリーズ化されている。
私が考えているおばけは、幽霊ではないんです。自分が寝ているときに、もしかしたら夢の中の世界のほうで、自分によく似たおばけが目を覚まして、自分と同じように家族と面白く過ごしているのではないかな。だから、おばけたちに活動する時間をあげるためにも、早く寝ようよ、って子どもに説明をしていました。
そんなお話をしているうちに、絵本にしたら面白そうだなと思って、絵本を作ってみたんです。登場するおばけの子どもたちに、わが子のあだなをそのまま、さくぴーとたろぽうってつけました。まさか出版されると思っていなかったので、近所の人とか保育園の先生とか、勝手に知っている人を出して(笑)。自分の子どもを面白がらせたくて、自分も面白がって描いていました。
この絵本を子どもたちが喜んで、ままごとに使ったり、保育園に持って行ったりしました。それならと、ちょうど福音館書店で「読者がつくる『こどものとも』」という作品公募をしていたので、「こどものとも」サイズに描き上げて応募しました。
ただ作っているうちに面白くなってきて、どんどん話を作り出してしまって……。応募期間は終わっていましたが、それでも4~5作まとめて福音館書店に送りました。もちろん、賞は取れなかったのですけれど、これを見た編集者さんが「絵本にしたら面白いかなと思っています」とわざわざ長崎まで来てくださったんです。「絵本を作るのは大変で、1冊3年以上かかるけれどもやってみませんか?」って。絵本は編集者さんと2人で作りこみます。書き直して書き直して、3年後くらいに出版しました。そこから、2~3年に1冊ずつ作っていって、いつの間にかシリーズ化していただきました。自分の子どもたちは、とっくに大人になっているのに、さくぴーとたろぽうは、まだ保育園に通っているのがなんだか不思議だな~と思います。
一日はハッピーエンドで終わりたい
――小さな頃から、夏休みに絵本を作っていたという西平さん。中学生、高校生になっても、自分のための物語を作っていた。
本が好きで、その世界を遊ぶことが好きでした。子どもの頃は、赤ずきんちゃんや親指姫になりきって遊んでいました。体が弱くて家にいることが多かったから、読んでもらった物語を思い出して、さらに空想をふくらませて楽しんでました。物語の世界は「行きやすい」ところでした。
絵本は毎年、夏休みになると作っていましたね。弟たちにも強要して(笑)。満足できる物語が作れたことはないけど、ずっと作っていたから、よっぽどヒマだったのかも。女子特有の友達付き合いが苦手で、物語を作ってひとりで遊ぶ方が気楽でした。
高校が美術科の学校だったので、美大に行ったのですが、美術の先生にはなりたくはなかった。漠然と絵に関係した仕事をしたいと思っていたけれどバブルが崩壊して……。結婚して、長崎に来て主婦をしています。
――西平さんの絵本作りは完全に自己流ではあるものの、オリジナルの「自主練」で絵本作家に必要なトレーニングをして鍛えられていたのかもしれない。
母は「こどものとも」が好きで、弟が幼稚園を卒園したあとも、ずっと書店で買い続けていたんです。私が結婚して子どもが生まれたとき、20年分くらいの「こどものとも」を長崎へ送ってくれました。
毎晩、この「こどものとも」を子どもたちと読むのが、寝る前のお楽しみでした。何度も繰り返し、たっぷり読んだことで、絵本の底力というか奥深さに気づけたように思います。絵本を読んだ後は、必ず「お母さんが子どもだった時の話をして」と子どもたちから催促されて、ひたすら子ども時代を思い出し続けたのが創作の力になったようです。
――絵本を作るときに意識していることはハッピーエンドという。
もっと大人になったら、悲しみをじんわり味わうことができるけれど、小さい子どもには、どうかな? 絵本は寝る前に読むと思うので、その一日の終わりを、読んでいる大人も聞いている子どもも、「ああ、面白かった」って、いい気持ちで終わったらいいなと思っています。
今は、絵童話を作っています。絵本から童話への橋渡しになるような本です。けんだまの話なので、毎日けんだま遊びをしています(笑)。新しいお話を考えているときが、やっぱり一番たのしいです。