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小学5年の竹宮ゆゆこさんを撃ち抜いたブルーハーツの曲 ドブネズミが美しいってどういうこと?

(なんだ!? なんだ!? なんだ……っ!?)
 走って乗り込んだエレベーターの中で、服の上からでも見てわかるほどドコドコ脈打つ自分の胸を、あの日の私はじっと見つめていました。

 小学校五年生の、あれは確か冬のこと。外はもう薄暗い夕方。
 いつものように友達の家で遊んでいると、その子の高校生のお姉さんが帰宅してきました。
 友達とお姉さんは、子供部屋をシェアしていました。お姉さんの勉強机の上には黒のミニコンポがドーンと鎮座していました。うちには当時ラジカセしかなくて、そのマットな黒の未知の機材には、以前から得体の知れないアンタッチャブルな迫力を感じていました。
 お姉さんは制服のまま、おもむろにミニコンポの電源を入れ、
「音楽かけていい? あんたらも、そろそろこういうの聴いたっていいでしょ」
 片手で一枚のCDを掴み、こちらに向けて見せてきました。ちらっとそっちに目を向けたその瞬間。
 あ、となぜか、息が詰まりました。
 CDのジャケットは、正方形をぱきっと三分割にする白と青と白。
 あれは……雲と、空と、雲。
 そう思ったのです。雲間から覗く青空の、すかっと晴れた気持ちよさ。どこまでも高く澄み渡るあの色。あの夕方に、あの子供部屋で、私の目には確かに青い空が見えたのです。
 その空に記された文字は、

「THE」
「BLUE」
「HEARTS」

 ――CDをセットしながら、この曲がいいんだよ、みたいなことをお姉さんが言った気がします。慣れた手つきでミニコンポを操作して、やがて流れ出したのは男の声でした。怖いぐらいにまっすぐな、飾り気のない、いっそあどけない声。そのむき出しの声が、歌うのです。
 ドブネズミが美しいと。
(……なんだ?)
 ほとんど意味なんかわからないまま、一瞬にして、私は雲間に突き抜ける真っ青な空の下に釘付けにされていました。
 美しいというのは、たとえば、完璧な顔立ちの女の子。幾重にも重ねられた透けるレース。輝くビーズや孔雀の羽。ガラスの欠片。薔薇の花びら。背中に流れる長い髪。シルクのリボン。宝石。星。虹。輝く、透ける、きらめいて瞬く、なにかそういう色とりどりの……なにか、そういうもの。美しいというのはそういうことのはず。
 それなのにドブネズミ?
(なんだ……!?)

 寒くて暗い帰り道を一人走りながら、心の中ではずっと叫び続けていました。なんだ!? なんだそれ!? なんなんだ!?
 ドブネズミが美しいなんて言う人がいる。そんなふうに世界を見る人がいる。全然知らなかった。生まれて初めて知ってしまった。出会ってしまった。見つけてしまった。
 爆発しそうなその想いには名前などなく、ただ泣きたくて、大声で叫んで転がり回りたくて、なにもかもが壊れてしまったように思えました。どうしようもなくて、たまらなくて、息が切れてめちゃくちゃになるまでただ走ることしかできませんでした。
 自宅に帰り着くなり、「お姉ちゃーん!」私は自分の一つ上の姉に訴えました。ドブネズミが美しいって、なんかそういう歌があって、聴いちゃって、なんかわけがわからなくて、なんか、なんか、自分がぶっこわれた! ぶっこわれちゃった! あー!
「いや、全然意味がわからない」
 困惑顔の姉に、私はどうしてもあの衝撃を伝えたいと思いました。私を撃ち抜いたあの衝撃を、雲間からどこまでも高く突き抜けるあの空の青さを、どうにかしてわかってほしい。見てほしい。感じてほしい。今も胸の中で暴れるこの想いを、自分でもよくわからないこの無茶苦茶な感情をどうやってでも伝えたい。
 でもどうすればいいのか。
 気付けば私は手近にあったチラシを掴むなり、裏の白い面に、鉛筆書きで文字を書き連ね始めていました。確か、こんな感じだった。こういう感じの歌だった。無我夢中でまずは一言。そして二言。そこからあとはただもう夢中で。
 小学生の未熟な語彙だけを武器に、さっき聞いた歌の形をどうにかこの目の前に再び組み上げようとしたのです。ドブネズミ。は。美しい。僕。と。君。リンダ。愛してる。リンダ。離さない。決して。リンダ――。
 うろ覚え、なんてレベルでさえありません。たった一度聴いただけの歌です。ちゃんと覚えている言葉なんて正直ほとんどなく、印象と雰囲気のカオスからがむしゃらに手づかみで引き出され、稚拙に繋げられていく言葉の群れは、もはやまったく意味不明です。
 それでも書かずにはいられませんでした。たった一度聴いただけのあの歌の、私の胸を引きむしったなにか。鋭く突き刺して、二度と消えない跡を残したなにか。そのなにかは確かに自分の中に残されていて、煮えたぎっていたのです。噴き出したがっていたのです。破裂しそうで苦しくて、吐き出したくて、それを取り出して形にして見つめ直して確かめたくて、私は必死だったのです。
 そうしなければ、生きてられない。
 なぜだか本気でそう思ったのです。
 何枚も何枚もチラシを使って、めちゃくちゃな言葉を無我夢中で書き連ねて、私はどうにかしてあの衝撃の嵐の中を生き延びようとしていました。書いて書いて書いて、ただ書いて、書きまくって、そして生き延びたい。出会ってしまった後の世界で、この世界で、私は生きていきたい。そういう本能が私を突き動かしていました。
 必死に書いてみた偽モノの、自分なりの「リンダリンダ」は、もちろん姉にはくそみそにけなされたし笑われました。こんな変な歌詞のわけがない。ばっかみたい。
 それから一年余りが過ぎて、私たち姉妹はCDが聴けるミニコンポを手に入れ、「リンダリンダ」が入ったアルバムも手に入れ、正しい歌詞を知り、二人揃って夢中になって、毎晩毎晩繰り返し聴きました。
 本当の歌詞は、私が書いた拙い偽モノの歌詞とはもちろん全然違っていました。姉には何度となくからかわれました。ねー、あの時のこと覚えてる? やっぱ全然違うじゃん。嘘ばっか書いてさ。まあそりゃそうだよな、と。だって小学生だもの。こどもだもの。そりゃそうだよ。そりゃ全然違うだろうよ。偽モノだし変だし馬鹿みたいだよ。
 でも、あの日の私は、そういうものでも書かずにはいられなかったのです。
 胸の内側に煮えたぎる想いを書き出して、言葉にして、誰かに渡すという行為なしでは、あの日を生き延びることができなかったのです。
 それは本当なのです。
 「THE BLUE HEARTS」に出会った日は、そういう自分に出会った日でもあるのです。
 あの日に出会い、見つけてしまった自分のまま、私は今日もこの世界を生きているのです。