中村文則さんの新刊『逃亡者』(幻冬舎)は、いきなり主人公が発見される場面から始まる。彼は第2次世界大戦中にある作戦を成功させたといわれ、「悪魔の楽器」と呼ばれるトランペットを隠し持っていたがために、ある組織から追われるようになった。
「テーマの一つに、みんなが求めていることを提供するのが良いことなのか、という問いがある」と話す。「第2次大戦下、軍歌やニュースで、日本軍は勝つ、と人々が求めるものを提供してきた。でも、知りたくないものも本来、物語は提供しなきゃいけないものなんですよね」
だが、いまの世相はその逆を行くと感じている。「もともと、世の中はどんどん悪くなるだろうという認識があった。悪くなる世の中に対して、どういう物語が世界や日本にとって必要かを意識して書いた。新型コロナは世の中を激変させるというより、悪くなっていく流れのようなものを急速に助長するもの。差別的なこともどんどん増えて、いろんなことが内向きになっていくでしょう」
サスペンス小説のような始まりから、物語は誹謗(ひぼう)中傷が飛び交う現代日本、潜伏キリシタンから明治まで続く日本のキリスト教弾圧、第2次大戦下のフィリピンと、時空をまたいで展開していく。
過去が現在に有機的に結びつくスケールの大きさは、占い師が主人公の本紙朝刊連載「カード師」にもつながる。『逃亡者』では、主人公の運命に関わるルーレットが登場する。「偶然とはなにか、先のこととはなにか、運命とはなにか、そのあたりから『カード師』に結びついていると思います」(興野優平)=朝日新聞2020年6月3日掲載