本がコミュニケーションの媒介に
「吸い寄せられるように、ここに住もうと決めた」と話すのは、会社員の長谷川大輔さん(26歳)です。Web制作会社に転職したのを機に、5月下旬、大阪にある実家から引っ越してきました。「本が好きな人にはこれ以上の環境はないし、あまり読まない人も本を手に取るいい機会になると思います」。これまで仕事関係の本を中心に読んできたという長谷川さんですが、ここで最年少18歳の入居者に薦められた山里亮太さんの『天才はあきらめた』やアート系の本などに興味を持ったそうです。
「読む団地」の特徴は、本がコミュニケーションの媒介となっていることです。共用スペースにはエッセイや小説、マンガなど約1500冊の本があり、入居者はこの場所で読んだり部屋に持ち帰ったりできます。これらはブックイベントや美容院などでの「間借り本屋」を営むtsugubooks(ツグブックス)が選んだものです。
個室の前の廊下には「マイブック図書館」と呼ばれる書棚があり、入居者が気に入った本を陳列、他の入居者と貸し借りできます。共用スペースの本と合わせて、自分だけの「おすすめ本の棚」を作る人もいるそうです。「読む団地」を企画・運営する日本総合住生活の石垣曜子さんは「お隣さんに料理や野菜をおすそ分けしていたように、本のおすそ分けをきっかけにご近所付き合いが広がれば」と話します。
「読む団地」は正式名称を「ジェイヴェルデ大谷田」といい、東京都足立区にある大谷田一丁目団地の一画にあります。10棟、約1400戸から成るこの団地の、7号棟の1階全体がシェアハウス「読む団地」です。このフロアは足立区が所有しており、かつては保育士の寮として使われていたのだとか。
しかし近年は未利用施設となっていたため、3年ほど前に区は利活用案の公募を実施。日本総合住生活が手を挙げ、「本でつながる」をコンセプトにしたシェアハウスをオープンさせました。他の棟はもちろん、7号棟も2階~14階は一般的な賃貸の団地です。
「読む団地」には広さの異なる3タイプ計28の個室と、共用のスペースやキッチン、バス、トイレなどがあります。入居者にはタブレット端末が配られ、共用スペースの様子を見ることができるほか、シャワーやトイレの利用状況を確認できます。女性専用のエリアや、友人や恋人、兄弟と一緒に入居できる個室もあります。共用部には週3回、清掃業者が入るということもあって、きれいに使われている印象を受けました。
隣接するコミュニティラウンジは、入居者と団地の住民らとがコミュニケーションすることを目的に作られたもの。新型コロナウイルスの影響で6月末現在は閉鎖されていますが、石垣さんは入居者が団地の住民と一緒に本に登場する料理を作るなどイベントに活用したいと話します。
入居者同士だけでなく、団地ぐるみの交流も期待
5月はじめに入居したアパレル店員の竹内遥さん(29歳)は「これからの人生を考えて、他人と暮らす環境に触れたほうがいい」とシェアハウスを探すなかで「読む団地」に出会いました。本が好きで、旅行やアートに関する本のほか、原田マハさん、重松清さんらの小説を読んできました。
ただ「自分自身を出すのが苦手だった」という竹内さんはシェアハウスに「元気な人たちのグループと、それを遠巻きに見ているグループとに分かれているイメージがあった」そうです。しかし「読む団地」にそうした居心地の悪さはなく、「思っていたより快適に暮らせている」といいます。
竹内さんは共用スペースをおもにアパレルの勉強のために使っています。ここで先述の入居者・長谷川さんと話をするなかで、長谷川さんが以前、繊維工場で働いていたことを知り、いくつか本を薦めてもらったそうです。すでに入居者のなかで本をきっかけにした「輪」ができつつあるようです。
入居できるのは18歳~40歳まで。高齢化する団地全体を若返らせたいという意図があります。大谷田一丁目団地自治会の吉澤勝一郎会長も「団地のお祭りや災害時には若者の力を借りたい。そのためにもコミュニティラウンジを活用してお互いを知る機会を作っていきたい」と「読む団地」に期待を寄せています。