一九七七年、北の小さな大学で、足立正生や先日逝去した松田政男らが撮った『略称連続射殺魔』を見た。永山則夫の出生から逮捕までの軌跡を彼が見た風景を撮ることだけでたどった特異なドキュメンタリーである。上映時、映画をめぐる討議のコピーが資料として配布され、その参加者のひとりとして中平(なかひら)卓馬という名前があった。中平は、この映画を契機に展開された「風景論」の論者の一人だった。
それから間もなく、中平による『なぜ、植物図鑑か』を手にとって打ちのめされた。中平はそれまでの自分が撮ってきた「ブレボケ」写真を全否定して、「植物図鑑」の視線で写真を撮らなければならないと書いていたのだが、その「切断」には写真のことなど何ひとつ知らなかった者をも畏怖(いふ)させるようなきびしさと激しさがあった。この「切断」の問いの深さはくみつくされることはなく、だからこそいまだにこの本は読み継がれている。
私がこの本に出会った頃、中平は自らの問いとの格闘の果てに倒れるかのように記憶を失った。
編集者として中平と出会うことができたのは八五年である。写真と一緒にうけとった文章には「世界そのものの持つ力を、自ら率先して引き受けて行く」と書かれていた。『植物図鑑』の問いを中平は生きつづけていたのだ。
拘置所のガラス越しで永山と『略称』のことを話したことがある。裁判で資料として上映しようとしたことがあったけどできなかったんだよ、と教えてくれた。=朝日新聞2020年7月8日掲載