今から百年以上前の1907年、ニューヨークで住み込みの料理人として働いていた37歳の女性が公衆衛生当局によって身柄を拘束され、イースト川に浮かぶ小島の病院に隔離された。理由は、彼女が腸チフスの無症候性キャリアで「料理を通じた殺人」の嫌疑があったからだ。その後5年間の「釈放」期間がありつつも、38年に亡くなるまで隔離下に置かれることになる。これが「チフスのメアリー」として知られるメアリー・マローンの物語の概要である。
彼女は「毒婦」「無垢(むく)の殺人者」「歩く腸チフス工場」などと貶(おとし)められ、恐怖の対象になってきた。しかし、著者が提示するのは、そんなステレオタイプではない。当然ながらメアリーは血の通った人間だ。貧しいアイルランド系家族の出身で、料理がうまく、子どもあしらいも上手だったことから、雇い主には信頼されていた。隔離された島でも友情を育み、一時自由の身を勝ち取った際には恋人との辛(つら)い死別を経験した。晩年は島の病院での仕事も引き受け、社会的な役割も担った……等々。
数多くいたはずの無症候性キャリアの中で、メアリーへの処遇が「やりすぎ」だったことも明らかになる。一人の女性の人生をかくも捻(ね)じ曲げたことについて、別の方法はなかったのか疑問が残る。それでも、隔離が正当化されてきたのは、恐怖や差別が背景にあったと示唆する。
公衆衛生は公共の利益のために「個人の権利」にすら介入することがあり、人権という概念と相性が悪いことがしばしば指摘される。一方で、恐怖や差別の感情とは結びつきやすい面がある。公衆衛生の大切さは誰もが合意するだけに悩みも大きい。
著者は言う。「どこかで未来のメアリーが出現するようなことがあったとしても、その人も、必ず、私たちと同じ夢や感情をかかえた普通の人間なのだということを、心の片隅で忘れないでいてほしい」と。2006年に書かれた本書の中で、この一節が、今、胸に響く。=朝日新聞2020年7月11日掲載