1. HOME
  2. コラム
  3. SF大作「三体」特集
  4. 「三体」柳下毅一郎さん書評 壮大で呆れるほど単純、これぞSFの原初のパワー

「三体」柳下毅一郎さん書評 壮大で呆れるほど単純、これぞSFの原初のパワー

写真はイメージ

 SFは若い文学である。
 「SFの黄金期は十二歳である」という言葉は、その幼稚さを示すものだと理解されることが多い。だが、それは同時にSFの魅力を伝える言葉でもある。SFは未来の文学だ。そして未来への無限の想像力を持てるのは若者だけである。日本SFの黄金時代が、日本の高度成長期と重なりあっていたのも偶然ではあるまい。
 だから今、中国SFこそが世界でいちばん勢いある存在なのである。

 劉慈欣の『三体』の登場は衝撃的だった。それは日本だけのことではない。アメリカでは二〇一五年、アジア人作家として、そもそも翻訳小説としてはじめて、アメリカSF界の最高賞とも言えるヒューゴー賞の長編部門を獲得している。バラク・オバマ前大統領からフェイスブックのザッカーバーグCEOまで、誰もが絶賛した面白さはどこにあるのだろう?
 ひとつには、シンプルで誰にでもわかるアイデアの力強さである。『三体』の主人公ナノテク研究者の汪淼(ワン・ミャオ)は、世界的物理学者が立て続けに自殺していることを知る。「物理学は存在しない」と遺言を残して死んでいく科学者たち。その死の謎を調べはじめた汪淼は、なぜか自分の視覚に数字があらわれているのに気づく。現実には存在しない幻想の数字は徐々にカウントダウンしていくではないか。この数字がゼロになるとき、いったい何が起こるのか? 気が狂いそうな不安の中で、汪淼は驚くべき真実を知る。それは強力な科学技術を持つ宇宙人の侵略のはじまりだったのだ……。

 この素晴らしい明解さ。子供だましと言われそうな宇宙人侵略を堂々と書いてみせる胆力。そんなプロットに肉付けするハード・サイエンスと、奇想天外な「三体」ゲームをはじめとするアイデアの数々。古典SFの力強さを取り戻したという意味では、ジェイムズ・P・ホーガンの『星を継ぐもの』がしばしば引き合いに出される。
 だが、劉慈欣の凄みは単なる復古調のオールド・スタイルではないところにある。『三体』は凄惨な文化大革命の描写からはじまる。女性天体物理学者・葉文潔(イエ・ウェンジエ)は、目の前で科学者の父親が紅衛兵の吊し上げにあって殺されるさまを目撃する。葉文潔は深く人間性に絶望することになり、その絶望こそが物語を大きく動かす。劉慈欣には未来の科学を夢見る楽観性と、ペシミスティックとさえ言える人間性へのリアリズムが同居しているのである。

 シリーズ第一部からほぼ一年を経て、第二部である『三体II 黒暗森林』が刊行された。三体人による地球侵略作戦はついに実行にうつされ、宇宙艦隊が地球に向かってくる。だが、科学力においては人類のはるか先を行く三体人にはかなうわけもない。だが、三体人から「虫けら」と馬鹿にされる人類にも、ひとつだけ彼らの手が届かぬものがある。それは人類の脳内だ。すべての行動が三体人に筒抜けになっていても、頭の中で何を考えているかはわからない。嘘をつく能力を持たない三体人の最大の弱点、それは人類の悪知恵なのである。科学でかなわなくとも、人間力でなら勝てる!
 かくして誰にも意図を知らせず地球の資源を好き放題に使って三体人撃退計画を練る「面壁者(ウォールフェイサー)」が人類の中から選ばれる。一方で三体人側も、その嘘を見抜いて本当の計画を暴き出す「破壁人」を組織する。人類の命運をかけた知恵比べがはじまるのである。

 馬鹿馬鹿しいほど壮大で、呆れるほど単純だ。だが、それはたまらなく面白い。漫画じみた展開に「こんなことあるはずがないだろ!」と突っ込みたくなるのだが、それをする前に手はもう次のページをめくっている。読みはじめたら止まらない小説を「ページターナー」と呼ぶが、広げていく大風呂敷と新展開のスピードで、突っ込む暇も与えないのである。
 侵略する悪の宇宙人と戦う宇宙冒険小説。まるで時代遅れのパルプ小説のようなストーリーが、今でも最高のエンタテインメントとして通用してしまう。これがSFの原初のパワーだ。『三体』シリーズはあらためてSFが未来の文学であり、まだ世界に未来はあふれているんだと教えてくれる。SFはまだまだ若いのだ。