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「なぜ中間層は没落したのか」書評 途上国モデルで分断を描き出す

評者: 石川尚文 / 朝⽇新聞掲載:2020年07月18日
なぜ中間層は没落したのか アメリカ二重経済のジレンマ 著者:ピーター・テミン 出版社:慶應義塾大学出版会 ジャンル:経済

ISBN: 9784766426748
発売⽇: 2020/05/29
サイズ: 20cm/325p

なぜ中間層は没落したのか アメリカ二重経済のジレンマ [著]ピーター・テミン

 米国社会の分断や格差について多くの報告が積み重なっている。本書は大恐慌分析で著名な経済史家が、現状を「二重経済」として描き出す。衝撃的なのは、その道具立てに、途上国の発展をめぐる議論で使われてきた「ルイス・モデル」を援用していることだ。
 このモデルでは、経済は「資本主義」部門と、最低限の収入で生きる多数の農民らの「生存」部門で構成される。前者は後者から流入する低賃金の労働力をテコに拡大する。
 本書はそれぞれを、いまの米国で様々な資本を持つ「金融・技術・電子工学」(FTE)部門と、それ以外の「低賃金部門」に読み替える。前者は後者の安価なサービス業のうえに成り立っている、という。
 この対比も目から鱗だが、それだけではない。本書は、低賃金を望む資本家は生存部門の発展を助けないというルイスの指摘に注目する。いまの米国でいえば、FTE部門は低賃金部門の生活に関心を持たないという構図になる。米国の政治は資金力の影響が大きく、政策にはFTE部門の利害が反映される。
 ただ、ルイス・モデルそのものは、二重経済を脱出する過程としても理解されてきた。資本主義部門へ移動が続けば、生存部門からの労働力供給はいずれ枯渇し、賃金が上がりだすとされるからだ。米国でそうした移行は起きないのか。
 FTE部門への通路になりうるのは教育だ。しかし、そのために必要な「長期にわたる支出と資源」を低賃金部門の人は持たず、しかも「FTE部門は次第にこの移行がますます高くつくようにしてきた」。
 加えて重要な要素が人種をめぐる分断だ。黒人差別と大量投獄の結び付きが二重構造を強めていることにも多くの紙幅が割かれる。
 数量データや経済モデルの細部への言及は少なく、物足りなく感じる面もあるかもしれない。それにしても、碩学(せきがく)の渾身(こんしん)の描像にはたじろがざるをえない。
    ◇
Peter Temin 1937年生まれ。マサチューセッツ工科大名誉教授(経済史)。著書に『大恐慌の教訓』など。