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公民権運動を描いたグラフィック・ノベル「MARCH」とは 黒人の全米抗議運動で再び注目

文:喜久知重比呂 画像:『MARCH』(岩波書店)より

公民権運動を知らない世代に普及

――押野さんはワシントンD.C.にお住まいですが、現在の状況はいかがですか?

ジョージ・フロイドさんが殺害された5月のあの週はちょうど3連休だったんですね。夜中に破壊行為や略奪行為が起こったみたいで、朝、家の外に出たら、うちの近所も窓ガラスが割られ、板張りをしているような状態でした。その時は市内も荒れていましたが、その後、16番通りに「ブラック・ライヴズ・マター 」の文字がペイントされ、Tシャツやお土産ものを売る露店が出たりもしました。今は観光地化して落ち着いている感じです。

――改めて「MARCH」も注目されているのではないでしょうか?

ワシントンD.C.では、少し意識の高いカフェや書店には必ずといっていいほど置いてあって、ポストカードを売っているほどムーブメントが起きています。原作者のアンドリューさんも、ここまで広がるとは思っていなかったようで、驚いていました。

――「MARCH」を読んでいるのはどんな人たちですか?

子供から年配の方まで、幅広い層の人が読んでいます。子供のために買って自分も読むという人もいます。公民権運動を知らない世代が手に取りやすいように作られているので、10代も多く読んでいます。ワシントンの学校や図書館には必ずと言っていいほど置いてあって、中学校や高校では教材として使われているところもあります。この本は、ジョン・ルイス議員の自伝で、子供の頃からの生い立ちを軸に描かれているので、単に公民権運動の歴史を振り返るより、内容を理解しやすいと思います。

『MARCH』(岩波書店)より

『MARCH』(岩波書店)より

グラフィック・ノベルとは

――「MARCH」はグラフィック・ノベルとして出版されました。日本でいう漫画は、欧米では通常コミックと呼ばれますが、グラフィック・ノベルとはそもそも何ですか?

その定義は様々ですが、分厚い単行本で読み切りのものが一般的にそう呼ばれています。1964年にコミック評論家リチャード・カイル氏が生み出し、コミック作家のウィル・アイズナー氏が広めました。コミックはアメリカではキオスクやコミック専門店で売られているのが一般的ですが、アイズナー氏は70年代にコミックを一般の書店で売りたくて、この言葉を普及させたと言われています。

2017年には『サブリナ』がグラフィック・ノベルとして初めて、イギリスの文学に送られるブッカー賞を受賞したり、ネットフリックスがグラフィック・ノベルの出版社と映像化の契約を結んだり、近年様々なムーブメントが起きています。『MARCH』もグラフィック・ノベルとして初の全米図書賞(児童文学賞)など、様々な賞を受賞しています。

――グラフィック・ノベルはどのように売られているんですか?

お店の人に聞くと、薄いのがコミックで、分厚いものがグラフィック・ノベルと区別しているようです。今の書店では小説などと同じ棚に並べられていることもあります。

『MARCH』(岩波書店)より

キング牧師のコミックで公民権運動に

――『MARCH』が出版されたきっかけを教えてください。

ジョン・ルイス議員のオフィスで働いていた原作者のアンドリューさんは、コミックが好きでコミコン(アメリカ・カリフォルニア州サンディエゴなどで毎年夏に開催される、漫画を中心としたポップカルチャーの一大イベント)とかに足繁く通うような人なんですが、公民権運動の歴史を若い人にどうやって伝えていこうかと話し合いをしている中で、彼が「コミックにしたらどうか」というアイデアを出したのがきっかけだったのです。最初はみんなに笑われたそうですが、ルイス議員が「アンドリューさんが一緒に作ってくれるならいいよ」と賛成してくれたんだそうです。

――主人公のジョン・ルイス議員はどんな方ですか?トランプ大統領の就任式をボイコットするなど、激しい方という印象がありますが。

身長160センチくらいの小柄な方です。数々の修羅場をくぐり抜けて、闘いに勝利してきた方ですが、普段はとっても優しくて穏やかな、ゆっくりしゃべる方です。子供が大好きなので、「MARCH」の冒頭にも描かれていたように、議員会館にアポなしでも子供が来るとお話をしたりするそうです。晩年はがんを患いながら、政治活動に精力的に取り組んでいらっしゃいました。

――ルイス議員は「キング牧師のコミックを読んだのが、公民権運動に参加した動機の一つだった」と聞きました。

ルイス議員が子供の頃に、ラジオから流れるキング牧師の演説を聞いて「この人はすごい」と思ったことがきっかけだと話していました。コミックも読んだことがあると言っていました。提案をしたアンドリューさんも、キング牧師のコミックを読んだことがあったそうです。

――翻訳をして気づいた点はありますか?

歴史としては知っていても、こんなにもいっぱい人が暴力を受けたり、殺されたりしながらも運動を続けていたというのを、改めて漫画で読むとショックでした。

『MARCH』(岩波書店)より

「未来を担う若者へ」

――「MARCH」には、音楽のシーンも度々登場します。

アメリカの音楽のルーツをたどると、黒人音楽の与えた影響は絶大なんですが、音楽は黒人たちの歴史に重要な役割を果たしていたんです。奴隷時代に作業をしながら歌ったり、苦悩をブルースにしたり……。ルイス議員も「歌がなければ、ここまで公民権運動を続けることはできなかっただろう」と言っています。みんなで歌うことで連帯感が生まれ、音楽が人々を一致団結させてくれたのです。

――「MARCH」を読んだ人の中から、未来のジョン・ルイス議員のような人が出てくるかもしれませんね。

『MARCH』各巻の始まりには必ず「かつて公民権運動にたずさわった人びとと、未来をになう若者へ」という言葉が書かれているんです。この言葉にジョン・ルイス議員の思いが込められていると思います。

アメリカはちょっと「おかしいな」と思ったら声をあげやすい土壌があるんです。どこでデモをやっているかもわかりやすく、プラカードなどなくても、子供や誰でも気軽に参加しやすい雰囲気があります。『MARCH』を読むと、そんな日常の背景にある、デモが非暴力で歴史を変えてきた事実を知ることができます。

日本では「デモ」と聞くとネガティブなイメージに取られがちですが、日本でもこういう本を読んで政治に関わる、おかしなことに声を上げるきっかけになったらいいなと思います。

撮影・柳川詩乃

(注:ジョン・ルイス議員は7月17日、80歳で亡くなりました。公民権運動の象徴的存在だったルイス議員を、トランプ大統領もSNSで追悼し、ホワイトハウスなどに半旗が掲げられました)