こどもたちはまっている。絵本の中で。夏を雨あがりをラクダを。こどもたちとは誰だろう。一度、こどもだったことのある大人は「自分だ」と思う。自分の過去の姿だと。それからどこかで「世界だ」とも思う。世界と自分の境界が曖昧(あいまい)であった頃の自分を、どこまでも思い出してしまうから。
ラクダを待ったことはないが、ラクダを待つこどもたちのことは想像できる。幼い頃の自分と、その子たちは繫(つな)がっていると感じる。こどもたちとは、世界そのもの。そう答えずにはいられない。
季節も海も向日葵(ひまわり)も、本当はそれ単体で存在するのではなく、「私」の視界に入る時、そこには「それらに気づく私」が存在している。世界に反応すること、驚くことが、感情の芯にあった頃。こども、というのは、世界に繊細に反応し続け、それそのものが「自分」の思いとして、信じられた時期のこと。だから世界の鮮やかさや驚き全てが、こどもたちを形作り、こどもたちそのものとなる。その感触をこの本は大人たちにさえ思い出させる。=朝日新聞2020年8月1日掲載