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#4 今野書店(東京) 西荻窪の駅すぐ、プロ中のプロたちに向き合う本のアドバイザー

文・写真:朴順梨

 新卒で入った会社を辞めたあと、西荻窪のライブハウスでごく短期間アルバイトしていた。当時は就職氷河期のまっただなか&心身ともに壊れかけての退社だったので、すぐに仕事など見つかるわけもなかった。時間を持て余していた私に、今はないその店で働いていた当時の友人が、ヘルプを求めてきたのだ。

 ハードコアのライブが多めで、ドリンクが欠品していても「今日ない」で終わってしまうような、ゆるさがある店だった。時給も最低賃金以下とゆるめだったので、電車賃を浮かすためにバイクで通っていた。だから店と家の往復しかしていなかった私は、その当時で創業約25年、現在52年目を迎える本屋「今野書店」が、西荻窪にあることを知らなかったのだ。

緑の看板が目印。

本好きの街・西荻窪で47年

 今野書店は1968年に、上野でスタートした。5年後の73年に西荻窪に移転し、2011年に現在の、駅から歩いて1分足らずの場所にさらに引っ越した。JR中央線の西荻窪駅北口改札を出て左に曲がり、伏見通りを左に向かって歩くと、程なくして緑の看板が見える。

「本屋を始めたのは父なんですが、色々と落ち着かない人で。勤めに出ていた時期もあったけれど、本が好きだったことから本屋を始めました」

 そう語る代表の今野英治さんは現在59歳で、34歳の時に2代目社長となった。しかし子どもの頃から店を継ぐものだと思っていたので、小学校に入ってすぐに、店頭に立つようになったそうだ。

「その当時は曾祖母が店番をしていたのですが、計算が苦手だったので自分が代わりにやってたんです。小学生の時は店に立つのが楽しかったけれど、中学生ぐらいから嫌になって」

今野英治さん。山形県鶴岡市がルーツの今野家が、最初に上野で創業したのは「北の玄関口だったから」。

 既定路線を歩むことへのほんの少しの抵抗心から、大学では経営学ではなく機械工学を専攻した。4年間の「猶予」を経て、卒業後は吉祥寺の紀伊國屋書店に勤務をしたあと、1985年から86年にかけて埼玉の書店・須原屋の通称「書店大学」という、書店の子供たちや書店員になりたい人を集めた研修制度に参加した。

 ここは2年間かけて書店経営のノウハウを学ぶ場所で、全国から集まった生徒たちは寮で一緒に暮らしながら、須原屋の店舗で研修をしつつ商法や簿記などを学ぶというものだ。

「売り場に配属するのはそこでの適性を見るためでしたが、店としては低賃金で働くありがたい存在だったと思います(笑)」

 紀伊國屋での経験があることから、今野さんは旧中山道沿いにある本店の1階、文芸書コーナーの担当を任された。文芸書は入口すぐの、言ってみれば花形部署。研修を始めたばかりで配属されることは稀だったと振り返る。そして半年後には蕨店に異動したが、今度は当時のマネージャーから「自由にチャレンジしていい」と言われたことで、自分なりの陳列など試行錯誤を繰り返したそうだ。

「駅前のすごく忙しい店だったので、毎日発注しないと間に合わなくて。当時は出版社に電話で注文していたのですが、その電話が1時間以上になることもザラでした。で、書店大学に入って1年半ぐらいした頃、父が椎間板ヘルニアになったので実家に戻ろうとしたのですが、人手不足で帰してくれませんでしたね(苦笑)」

入口付近ではなく、店の中央にレジスペースを置いている。

半年経っても取れない「研修中」

 いざ実家に戻ってみると、新刊の配本数の少なさや資金繰り面など、課題がたくさんあることに気づいた。まずは状況を立て直すためにと、今野さんは欲しい本を直接購入するために、週に3回は取次に出向いた。時には出版社に行くこともあった。

「当時はどこの出版社も書店用の窓口があって、そこで買えたんです。1回3冊などの制限はありましたが、週3回行けば9冊になる。それで配本が足りない分を補っていました」

 欲しい本が手に入らない、入荷しないという悩みは、町の書店にはつきものだ。その理由はいずれ触れたいと思うが、そんな状況を打破するために、2001年に書店大学時代の先輩や仲間を中心に「ネット21」という有限会社を立ち上げた。メンバーの書店同士で本を融通しあったり、まとめて注文を出したりする書店のボランタリーチェーンで、前回紹介した往来堂もメンバーだ。

 現在、今野書店には20人のスタッフがいる。うち6人が社員で、中には20年以上勤めている人もいる。一方で「研修中」の札を着けた人もいるが、今野さんによれば「研修中」の札が外れるハードルは、結構高いそうだ。

「本が好きな方はもちろんですが、書店員の知識に挑まれるお客さまもいらっしゃって。だからお客様からの質問に自分のデータベースでよどみなく答えられるようになるまでは、札を外せません。そのせいで、半年以上研修を続けているスタッフもいます」

 基本的に売り場はスタッフに任せていて、今野さんはあくまで援護射撃の立場。とはいえ昔ながらの「仕事は見て覚えろ」では仕事が身につかないことも多いので、目配りや声かけは欠かさないようにしているという。

地下1階の「コミック店」は、途切れることなくお客さんがやってくる。

西荻窪で唯一の総合書店に

 現在は地下がマンガ専門のコミック店、1階が雑誌や書籍を扱うスペースになっていて、それぞれの入口は別。だけど移転した時は地下と1階は、中階段でつながっていた。

「ここは元々、1階と地下がゲームセンターになっていたんです。その頃、西荻窪にチェーン系書店のフランチャイズができたのですが、ここがとても品揃えが良くて。対応を思案していたところ、取次の担当から『駅からすぐのゲーセンのテナントが空くらしい』と聞いて。より駅から近い場所で再チャレンジをしたかったので、このビルのオーナーに直接アタックしたんです。で、借りられることにはなったのですが、地下は別のテナントに貸し、中階段を潰すと言われたんです」

 だから当初は60坪の1階のみ、ほぼ真四角の空間のみでリニューアルオープンした。が、1年半ほど経っても地下にテナントが入らなかったため、オーナーから「そちらの条件に沿うようにするので、地下も借りて欲しい」と相談された。移転は商品を移すだけなのでコストはあまりかからないが、地下部分30坪の拡張となると、新たに商品を仕入れなくてはならない。苦しい。でもやるしかない。苦しい。

 それでも2フロアで営業を続けていたら2015年に、その「品揃えの良い書店」が親会社の都合でクローズすることになった。かくして今野書店は「西荻窪で唯一の総合書店(マンガも多め)」となり、地域の本好きを一手に引き受けることとなった。

今野さんと漫画家のけらえいこさんは、同じ高校に通っていた先輩と後輩。

超目利きのお客さんとともに

「西荻窪は本に造詣が深いお客さんが多い」という今野さんの言葉を裏付けるように、話題の新刊から「この本どんな本なんだろう?」と手に取りたくなってしまうものまで、幅広く網羅しつつも眺めるのが楽しい(個人の感想です)棚が作られている。とくに文芸や人文書の担当はセレクトに定評があるため、全面的にお任せしていると今野さんは言う。

 そしてその厳しいお客さんの中には、プロの書き手も含まれている。2018年に創業50年を記念して『コンノコ』というフリーペーパーを制作したのだが、これがめっちゃ豪華、激しく豪華。イラストは江口寿史、書下ろしエッセイは吉本ばななや山田詠美、穂村弘に末井昭と、そうそうたる作家陣が並んでいる。皆、今野書店のお客さんでもあるのだ。1000円以上本を買った人に無料で配布しているものだが、本当にいいんですか? と言いたくなるクオリティだった。(現在は配布終了)。

 ちなみにコンノコ保存用のオリジナルファイルも江口寿史によるイラストになっていて、表紙には今野さんの妻と文芸&人文書担当さんが江口テイストで描かれている。

『コンノコ』の保存用ファイルはレジ前に在庫あり。600円orショップカード600ポイント分と引き換えで手に入る

 ご夫妻には子供がいないため、3代目をどうするかが今野さんの目下の課題だ。スタッフの中に志を持つ人が現れればバトンタッチも考えているが、「本屋が好き、接客が好き」だけでは書店経営はつとまらない。だから現時点でどうするかは決めていないという。

 確かに今野さんの言う通り、本屋の仕事が好きというだけでは店を続けるのは難しい。だけど今野書店には今野さんだけではなく、「町の厳しいアドバイザー」がたくさんいる。彼ら彼女らとともに50年と言わず100年、いやもっと先まで代替わりしながら続いて欲しい。そんな気持ちにさせられる空間だった。

今野さんオススメ

●『肉とすっぽん』平松洋子(文藝春秋)

 私たちが本当に美味い!と感じる極上の肉を作るにはソウルが必要だ。その作成現場の文字通り「ナマ」が平松洋子独特の小気味の良い文章で綴られていく。

●『じんかん』今村翔吾(講談社)

 室町時代が終わりをつげる時期に、天から舞い降りたように現れた松永久秀という戦国武将の人生と生き様を描いた物語。今まで悪役とされていた松永評を根本から覆す。500ページを超える大作だがあっという間です!

『西荻ヨンデノンデ』玉川重機(講談社)

 西荻窪でバーを営む妹とそのバーのソファでいつも本を読む作家の姉と客と本と酒とその先には… あえて題名に「西荻」を入れる玉川さんの西荻愛があふれている。