ずっと書きたくて何年もかけて(たんに仕事が遅いだけ)取材し続けてきた人に、毎年2月に会いに行く。正確に言うともう鬼籍に入っているので、2月の命日前後に墓参りをするわけだが。今年もその日が近づいてきた。
が、いつもと違い、今回は同じ沿線の御嶽山駅という駅で途中下車することに決めていた。ちょっと前にSNSで見かけ、気になっていた藤乃屋書店に寄ってみたかったからだ。
この連載については「個人書店の記事ですか?」と聞かれることがあるが、新刊を販売している店という以外、実はこだわりはない。ピンときたら、どこにでも出向くことにしている。ただ個人書店は意思決定が早いところが多いので、つい頼ってしまいがちなのだ。
今回は締め切りまで少々余裕があるので、交渉に時間がかかっても大丈夫。と思いきや、その日カウンターにいらした小林幸子さんに「店長で双子の姉がいる、来週のこの日に来てほしい」と言われ、すぐに取材日程が決まった。「はい、また来ます」と再度訪ねると、幸子さんと姉の甲地康代さんに揃って出迎えていただいた。

ホコリとインクがほのかに香る街の老舗
藤乃屋書店は1976年、康代さんと幸子さんの父・藤崎義孝さんが同じ東急池上線沿線の長原駅近くで開業した。当時は本や雑誌、マンガが売れに売れて引きも切らない時代。3年ほど経った頃、御嶽山駅前の現在の場所で、2号店がスタートした。その頃はジャスコはあるものの、環七沿いの長原よりは人の往来が少ない、のどかな街だった。
「私たちが生まれた年にオープンしたのですが、父は朝6時に出て24時頃まで仕事をしていました。私たち一家は長原の店近くに住んでいましたが、当時の環七近くは大気汚染がひどくて。私が喘息だったことから、横浜に引っ越ししました」
康代さんと幸子さんの上に姉がいる3姉妹で、父が始めた店ではあったものの、継ぐことはまったく考えていなかったと康代さんは語る。
「子どもの頃はそれこそ、ピアノの先生とか花屋さんとか、女の子が憧れる仕事に憧れていました。姉は服飾関係の仕事に就き、幸子はパンや絵画が好きで絵の学校に行ったりしていて。私も店のことは気になりつつも、デザインの仕事をしたいと思っていました」
康代さんは大学卒業後、アシスタントデザイナーとして化粧品などのディスプレイを担当していた。3年ほど経った頃ある日、母親とすでに藤乃屋書店で働いていた幸子さんから「売り上げが芳しくない」と相談を受けた。
「大学生の頃から勢いが落ちていたことはわかっていましたが、この時に『これからどうしようか』という家族会議になりました。そこで私もデザイナーを辞めて店を手伝うことにしましたが、始めてから1年も経っていない2001年に、長原の店を閉めることになって。約48坪あるこちらと比べて半分程度の広さしかなく、手狭になったのも理由です」
今や高級そうな住宅が並ぶ一方で、お値段勝負の青果店や商店街もある御嶽山は、住んでいる人のバラエティーが幅広い。そんな街で40年以上続く、ホコリとインクがほのかに香る老舗に転機が訪れたのは、2022年に入った頃だった。
「ここはずっと借りている場所だったのですが、大家さんから物件を建て替えたいと言われたんです。それを聞いて『うちはどうなるの?』とビックリしたところ、『本屋を応援したいから、建て替えても店を続けてほしい。できる限りのサポートをします』と言ってくださって。新しい物件で本屋を続けるという話は聞いたことがなかったし、うまくいかないのではないかとも思いました。でも、今やめることはできないと思い、不安はありましたが『やるしかないよね』って話になりました」

「カフェカウンターのある本屋に」をリクエスト
天井の配管を活かした内装は、康代さんの友人のパートナーによるものだ。両国にあるコーヒー&ジェラート&フラワーショップが併設された「10坪デパートメント」、&Ryogokuオーナーの夫でもある建築士が手掛けたからか、フロアのあちこちにグリーンが配されてなんとも鮮やかだ。イメージはほぼお任せだったものの、リクエストしたのは「カフェカウンターがある本屋にしたい」ということだったそうだ。

「コーヒーは本と相性がいいし、近くにチェーン系コーヒー店はありますが、いわゆるカフェはなくて。おいしいコーヒーが傍らにあったほうが、日々を頑張れるのではないかと思ったので、建て替えるならカフェスペースのある本屋にしようと、最初から思っていました。大家さんもこの新しい試みを、賛同してくれました」

約1年と3カ月の建て替え期間を経て、2024年11月に現在の場所でリスタートした。コピーと宝くじの扱いはなくなったものの、雑誌と書籍、マンガに加えて文具と体操着などの学校用品という品揃えは旧店舗と変わらない。お客さんからは「品揃えが減って残念」という声はあるものの、「前より良くなった」と言われることもあると、康代さんは語る。
「父は『本屋は本を売るものだから』と文具の扱いに消極的だったようです。でも子どもたちが買いに来てくれるし、本の売り上げが良くない時に文具に支えてもらいました。品揃えは変わらないと言いつつも、以前は取次から届いたものをそのまま並べていましたが、今は店の雰囲気に合うものを積極的に置くようにしています。というのも、やっぱりなかなか人気の新刊は入荷が少なくて。だから『1年以内に出版されたものは新刊だ』と思いながら、気に入った1冊を見つけてもらえるように陳列しています」
特集で選んでほしい雑誌はほぼ面陳のため、以前より在庫スペースが狭くなってしまった。しかし旧店舗の時代はまったくといっていいほど動きがなかったデザイン関係の本などは、表紙を見せることで手に取ってくれる人が増えた。2025年1月17日にオープンしたカフェスペースのメニューには、コーヒーに加えて和紅茶やアップルジュース、ジェラートとヴィーガンクッキーなどがある。休憩がてらコーヒーを飲みながら、ちょこっとおやつも食べたい。そんな欲望を叶えてくれるのはなかなか嬉しいものだと思う。

親子3代続く全方位的「街の本屋さん」
康代さんも幸子さんもカフェで働いた経験がなかったため、建て替える間にバリスタ修行をしようと思っていた。しかし2023年7月12日に旧店舗がクローズし、10日後には仮店舗がオープンしたことで多忙を極め、結局手が回らなかったと康代さんが照れつつ告白した。
「どうしようかと困っていたら、内装を手掛けた友人夫妻がバリスタさんを紹介してくれて。その方のサポートを受けられるようになりました」
訪れた日はバリスタ氏が不在の日だったが、酸味が苦手な私のために選んでいただいたコーヒーは後味が爽やかで、ついがぶ飲みしてしまった。
「1杯500円以上するコーヒーを出して大丈夫? と言われることもありましたし、『もっと簡単に淹れたものでいいんじゃない?』という声もありました。だけど、やろうと決断しましたから。1カ月経ってみて、週末はカフェを利用してくださる方が増えましたが、平日はまだまだなので、もっと利用していただくためにはどうするか。メニューやイベントなど、いろいろと試行錯誤が続いています」

家族以外のスタッフも5人いるけれど、70代後半になった両親は今でも現役。バックヤードで返品などの事務作業をするだけではなく、電車に乗って下丸子あたりまでは配達に行くそうだ。本は重いのに、おみそれしました!
幸子さんの夫の康人さんが店長代理となり、社会人になった姉の子どもと幸子さんの大学生の子どもも、手が空いた時に手伝ってくれる。建て替えやコロナ禍を経て3代続く店になりつつあるのは、たたずまいは変わっても、絵本やマンガなど全方位的に揃う「街の本屋さん」であり続けているからかもしれない。
本屋の仕事は本を売ることだけど、数千円もの書籍を買う大人だけではなく、小銭を握りしめて訪れる子どもも笑顔になってほしい。そんな私のささやかな「本屋への願い」を叶えてくれる場所であってほしいし、今までもこれからもきっとそうなのだろう。住んでいる場所からは遠いけれど、近くに寄った際にはまた立ち寄りたい。コーヒーとクッキーだけでも、美しい緑とともに歓迎してくれるはずだから。

藤崎ファミリーが選ぶ、コーヒーの香りとともに楽しみたい3冊
●『コーヒーで読み解くSDGs』Jose. 川島良彰、山下加夏、池本幸生(ポプラ社)
Caféをはじめようと思った時に手にとった1冊。今まで何の気なしに飲んでいたコーヒーへの考え方が一変し、より丁寧に淹れて味わって飲みたいと思うようになりました。藤乃屋書店で扱うコーヒーを選ぶ際にもとても参考になりました。(甲地康代)
●『ティリー・ページズと魔法の図書館』アナ・ジェームス(文響社)
誰もが一度は読んだことのある世界の名作の主人公が登場して、一緒に冒険していく夢のある物語。子供はもちろん、大人も一緒に楽しめる作品です。まだ読んだことのない本の登場人物が出てきた時は、その本も読んでみたいと思わせてくれます。(小林幸子)
●『[よりぬき]今日もていねいに。BEST101』松浦弥太郎(PHP研究所)
毎日の暮らしをより良いものにしていくためのヒントがたくさん詰まっている本です。自分の生活を見つめ直し、できることから少しずつ取り入れていければもっと豊かに生きていけるのではと思えます。(小林康人)
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