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本のお店スタントン(大阪) 「街から本屋がなくなる」閉店したチェーン系書店の店長が一念発起

 大阪に行くたびに毎回思うのが、難読地名が多いということである。なぜ「放出」が「はなてん」なのか。喜連瓜破に至っては、初見では読むとっかかりすらつかめなかった。今では「帰りに喜八洲でお団子買わなきゃ~」と毎回思う十三ですら、昔は「じゅうぞう」と読んで笑われたものである。

 そんな私にとって、難読ではないもののなぜか記憶に焼き付いているのが、東住吉区の針中野だった。平安時代に鍼灸院があったことが地名の由来のようだが、風刺漫画家の針すなお氏を彷彿とさせるからか、15年近く前に取材で訪れて以降「いつかまた行きたいな」と思っていた。

 針中野の近鉄南大阪線駅前から続く、駒川商店街を歩く。ドラッグストアやディスカウントストアなどがひしめく道に置かれた看板を頼りに、少しだけ脇にそれる。すると今回のお目当ての「本のお店スタントン」がすぐに見えてきた。店主の田中利裕さんは、今歩いてきた道沿いにかつてあった「アセンス」という本屋の元書店員でもある。そんな田中さんに、少しだけお時間をいただくことにした。

店主の田中利裕さん。レジ横に飾られている似顔絵の色紙が激似!

古典演劇を通じ、本屋の奥深さを知る

 田中さんは、スーッとする塗り薬やデパ地下ブランドのバウムクーヘンで有名な、滋賀県近江八幡市で生まれ育った。京都まで40分弱で到着する街ながらも、「カルチャーに飢えた」10代だったと振り返った。

「滋賀県民からしたら京都は『日常の都会』で、子どもの頃からことあるごとに、京都に行くのが当たり前でした。でも京都や大阪に行くたびに『こういう世界があるんだ』と、圧倒されてましたね」

 田中さんが学生だった80年代の京都と言えば、BIG BANGなどのライブハウスや京都大学から生まれた劇団「そとばこまち」など、メインカルチャーもサブカルチャーもとにかく元気で、東から見てもキラキラと輝いていた。そんな空気に憧れていた田中さんが、中学生の頃になりたかったものはマンガ家。両親の影響で手塚治虫にハマり、自分でも絵を描いたりしていた延長で、高校卒業後は大阪芸術大学に進学した。大阪芸大と言えば中島らもや古田新太などを輩出した、まさにサブカルの聖地ではないですか!

「映画も好きだったこともあって映像学科を専攻していたのですが、今思えば映画監督の中島貞夫さんをはじめ、本当に素晴らしい方々が講師にいらっしゃいました。なのに当時は、あまりその価値がわかっていなかったところがあります。映像制作や脚本の書き方を学ぶ中で、何かを書くことの面白さを知ったのもこの頃です」

ガラス張りの入口横には、映画パンフレットなどの古本がズラリ。

 卒業後は映像関係の仕事をしたいと思いつつも、当時すでに就職氷河期が始まりつつあった。とはいえ、周りを見回すと就活をしている仲間はいない。なんとかなるだろうと思い、コピーライティングの仕事を始めたが、並行して劇団で役者兼スタッフとしても働くことになった。

「そこの劇団が学校演劇をメインにしていたので、役者をやりながら営業や裏方などをこなしていました。体育館に全員集められて、劇を鑑賞する時間ってありませんでしたか? あれが学校演劇です」

 ああ、あった! 当時からひねくれていたので斜に構えながら見ていたけど、どんどん引き込まれて最後には惜しみない拍手を毎回送っていたあれか!

「そういう生徒が多い学校もありますが、荒れているところだと全く見てもくれない、ということもありましたね(笑)。学校を巡回するので舞台セットは使い続けなければならず、完全にばらすわけにはいかなくて。いかに効率よく組み立ててはバラすかということを考え続けていました」

 ひとつとして同じ学校はなく、毎日違った面白さを味わっていたものの、始めて6年ほど経ったところで「才能の限界に気付いた」だけではなく、文化体験を開催する学校自体が減りつつあることもわかった。さらに人数が多い劇団を招へいするより、落語など演者が1人でできる演目の方が、声がかかることも多くなっていた。そこで田中さんは、違う世界に足を踏み入れることを決意。選んだのは、大阪市内にある某チェーン系書店だった。

「シェイクスピアなど、戯曲を勉強する必要があったので、劇団員時代に本屋巡りをずっとしていました。でも新刊書店では戯曲のコーナーは限られているので、おもに古書店で探していて。ちょうど同じ頃に確かSTUDIO VOICEの写真集特集を手に取って、写真集の魅力にも取りつかれていましたね。公演の営業で回る地域の古本屋をチェックしては訪ねていたので、地域地域の古本屋マップができたほどです。そんなこともあり、書店員の仕事に興味を持ちました」

アセンス時代の棚を壁に配置し、平台にはおもに新刊を並べたレイアウトになっている。

地元本屋の閉店後、2カ月弱で再スタート

 しかし、いざ新刊書店で働いてみると、古書店とは全く違っていたという。当時を「黒歴史」と振り返りつつも田中さんは某チェーンで3年働き、その後別の書店のアルバイトを経て、35歳で「心斎橋アセンス」に移った。大阪芸大生やサブカル好きな高校生などが御用達の、美術や芸術関係を得意とする書店だった。アルバイトからスタートし、3年経過した頃に社員となり、針中野店の雇われ店長となった。

 とがったセレクトもありつつ、街の本屋さんでもあったアセンス針中野店だが、2018年9月に閉店が決まった。

「アセンスで働き始めてから、毎年のように社内では売り上げが厳しいという声があがっていました。だからある程度覚悟はしていましたが、今後どうしようかと思いました。常連さんもいらしたし、街から本屋がなくなってしまう。じゃあ自分が本屋を始めたら、職場も本屋も地元に残る。短絡的な考えだったかもしれませんが、商店街の店主さんたちも歓迎してくれたので、物件を探すことにしました」

わずかに残る接骨院時代の名残りの、施術用カーテンレール。

 アセンス針中野店は、駒川商店街の現在はドラッグストアとなった建物の2階にあった。歩いていても視界に入りにくいため、閉店が決まってから「あそこに本屋があったの? 知らなかった!」という声を複数耳にしたので、路面店にしたかったが、商店街のメインストリートは賃料が高かったこともあり、旧店舗すぐ近くのわき道に入った、2階建ての1階部分に決めた。

「本のお店スタントン」がオープンしたのは2018年11月23日。アセンスが閉店して2カ月弱というスピード開店だった。

「アセンスが閉店することになり、持て余していた棚をそのまま頂いたので、あとはワインケースを活用するなど、内装に時間をかけずにオープンすることができました。今は2階は空室ですが、1階はもともと、整骨院があった場所で。通りに面したガラスの一面に、受付時間などを書いたシートが貼ってあったので、それをまず剥がしましたね」

 全面ガラス張りのドアからは店内が良く見渡せるが、店の奥の一角に、カーテンレールが残っている場所がある。最初は試着室があったのかなと思っていたが、施術台の名残りだったとは。

 古本屋が好き&新刊書店で働いていた田中さんらしく、約40坪の広さに新刊と古本が5:5の割合になっている。小説や絵本、雑貨などとともに並ぶアートにまつわる本や、62歳で大阪芸大に入学した似顔絵作家・永澤あられさんの本などを思わず手に取ってしまった。

先輩なのか後輩なのかわからない永澤あられさんは、長らく新世界市場で似顔絵を描いて来た方だという。

「開放感のある店作りを目指したのですが、個人のお店に入るのは躊躇する人もいるので、あえて店の前に古本を置いています。滋賀県に住んでいた頃、自転車で行ける距離のところに街の本屋さんがあったのですが、当時は手塚治虫以外の作家にあまり関心がなくて。でも本屋って、それまで知らなかった作家と出会える場所でもありますから、『この本って何だろう?』と気付く体験ができる場所になれたらいいなと。あとは『何でも揃う』ではなく、『本だけを売っている』お店がこの世にはあるということを、地元の子どもたちに知ってもらいたいと思っているんですよね」

知らなかった世界を知ることができる場に

 レジのすぐ脇には小部屋があり、月替わりのギャラリースペースになっている。聞けばオープン当初はなく、2020年5月にできたのだと田中さんが語った。

「オープンして7年になりますが、振り返るとそのうちの4年間はコロナ禍でした。緊急事態宣言のさなかにギャラリースペースを作ったので、お客さんがいないからやりやすい時期ではありました。閉店要請はなかったので、お客さんに来ていただきたくて作ったんですよね。そんなことを思っていたのが、ついこの間のような気がします」

ギャラリーは専用スペースになっているので、作品に没頭できる。

 そんな話をしていると1人、また1人とお客さんがやってきた。近くに住んでいる人が、散歩がてらに寄ることが多いようだ。レジに向かう誰もが田中さんに話しかけては、しばしおしゃべりを楽しんでいる。私はこの「とりあえず店に来たら書店員と話す」お客さんと、東京界隈ではあまり遭遇する機会がない。しかし大阪に寄ると結構な確率で出会えるので、毎回嬉しくなる。旅人の私にずっと続く日常の時間を、見せて頂いているような気がするからだ。

 ところでレジ奥にある人形ですけど、これって一体誰ですか?

「普段から連れて歩いてるんですけど、これ、カート・ヴォネガットの人形です」

 えっ、カート・ヴォネガットの人形なんてものがあるの? 私にとってもスタントンは、今まで知らなかったことを知った場所になった。その衝撃のせいか、お約束の店名の由来を聞きそびれていたことに気付いたのは、東京に戻ってからだった。

 その後、田中さんがメールで、「主役にはなれないが、人生の中で誰もが『本』という『脇役』のお世話になっているところから、本とスタントンがつながるような気もしてます…」と、米国映画俳優のハリー・ディーン・スタントンからだとタネ証ししてくれた。だいたい脇役だけど、「パリ・テキサス」で主演を飾った彼のように、人生そのものを変えるかもしれない1冊とであえたら。大阪に行く楽しみが、またひとつ増えた。

これがカート・ヴォネガット人形。言われてみると確かに似ている!

田中さんが選ぶ、知らなかった隣の世界を知るための3冊

●『テヘランのすてきな女』金井真紀(晶文社)
2022年、イラン全土で起こった「反スカーフデモ」をきっかけにイランの女性たちをインタビュー取材。金井さんの人懐っこい文章と可愛いイラストから、イランでの女性たちが置かれた厳しい現状にも拘らず、彼女たちの凛々しさと自由な姿が浮かび上がります。

●『緑の歌』上・下 高姸(KADOKAWA)
台湾出身のイラストレーターで漫画家の高姸さんが自身の青春時代を投影した、恋愛と日本文化への憧れを真空パックしたような一作。とくに音楽家・細野晴臣(=日本)と映画監督・楊徳昌(=台湾)への愛にあふれており、両国の人とカルチャーをつなぐハブになる一作。

●『牛腸茂雄全集 作品編』三浦和人(赤々舎)
幼少から難病の脊椎カリエスを患い、36歳で早逝した写真家が遺した作品集5冊を収録した一冊。家族、友人、子どもたち、街の雑踏や風景を眺めていると、被写体から見つめ返されていることが意識され、その視線に読者側が心の居住まいを正される作用のある一冊。

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