連載に誘ったとか、誘われたとか
――「文春オンライン」の連載に加筆してまとめた一冊ですが、始めた経緯から教えてください。
以前、ある飲み会の席に文藝春秋の編集の方も来ていて、その人と会うのはその時が2回目だったんですけど、僕の記憶では唐突に「松尾さん、何か書いてみませんか?」と言われたんです。ところが彼女の記憶だと、僕が「何か書かせてください」って言ったと言うんですよ。僕は絶対にそんなことを言うような人間じゃないので、僕から「書かせてください」なんて言うはずないんです。ただ、お互い酔っぱらっていたので真相は定かではないんですけど、後日「あの話って本当ですか」と連絡したらどうやら本当だったみたいで。
――担当編集さんは今でも松尾さんから「書かせてほしい」と言ったと記憶されていますか?
担当編集A:そうだったと思っています。
でも、僕はその時Aさんがすごいヘラヘラしながら言った絵面も覚えているんです!
――文藝春秋の編集者に文才を見いだされた、という方が松尾さんも嬉しいですよね。
それを心の頼りに書き続けていたところがあるのでね。
担当編集A:そっちの方がいい話ですよね。じゃあ、今日からそういうことにしておきましょうか(笑)。
――でも、そういうきっかけから連載が始まった、というのもおもしろいですよね。
そうですね。真剣に「松尾さん、書きませんか」っていうオファーより、「やりましょうと言い出したのはどっちやねん」っていう方が僕らしくておもしろいかなと思います。
――担当さんから「こういうことを書いてほしい」という提案みたいなものはあったのですか?
何を書けばいいのか聞いたら「何でもいい」と言われたので、何にしようかと考えた時、今まで「どうして俳優になったんですか?」と聞かれることや、航空券を拾ったくだりを何百回も話してきて、その話ならそのまま文字に起こすのも楽やなと思ったし、同じことを何回も話すことに飽きていたので、文章にしたら「これ読んでください」って言えるから一石二鳥だなと思ってその話を書いたんです。それが「文學界」に掲載され、ちょっと評判が良かったらしく「文春オンラインで連載にしませんか」という話が出たんです。当初は連載になるなんて頭になかったんですが、結果的には約3年間続けることになりました。
日記はいつも真っ白
――フラれたエピソードやお酒での失敗などがテンポよく描かれていて、今作が初のエッセイとは思えませんでした。今まで日記みたいなものを書いたことはあったのですか?
日記を書こうと思ったことは人生で何度もあるんです。初めにいい日記帳を買ってきて3ページくらい書くけど、後は真っ白。ブログをやっていた時期もあるんですが、インターフェースをどうするかとか、CSSを変えたりする方にハマって、文章を書くことよりもそのサイトができたことに満足して、いざ出来上がるとそこから更新しなくなるんですよ。
――書くことがあまり好きではなかったのでしょうか。
学生時代、国語は好きやったんですよ。そんなに本を読んだわけじゃないんですが、あまり勉強しなくても現国(現代文)の点数は良かったんです。ただ古典がめちゃめちゃ悪かったので、大学受験の時は大分苦労しました。漢字も得意だったんですが、僕が漢字や言葉の言い回しを覚えたのって漫画からなんですよ。漫画って大体ルビがふってあるじゃないですか。だから難しい漢字の読み方も分かるし、『三国志』なんかはより難しい漢字が出てくるから、それで読めるようになったんじゃないかと思います。
小説は中学生のころに流行った『宇宙皇子』(藤川桂介)とか、ちょっとファンタジーな作品は読みましたけど、文字と触れ合うという事はそこまでなかったんです。あとは、水木しげるさんの漫画も好きで、エッセイもよく読んでいました。『水木しげるのカランコロン』っていう、今はもう絶版になっていると思うんですけど、内容の3分の1くらいがウンコのことを話しているんです。だけどそれが下品でもないし、下ネタ感もないんです。あまりエッセイは読まないんですが、水木先生の作品はすごく読んでいましたね。
――ご自身がエッセイを書くにあたって、何か影響されたところはありますか。
水木先生の漫画にも割と表れているんですが、肩の力が抜けている感じや、あまり説教くさくない、熱がこもっていないあのスタンスは良いなと思いました。貧乏時代のことも割とあっけらかんと書いていて、水木先生は片腕を失っているから実はすごい大変やったんじゃないかなと思うんだけど、それを感じさせないキャラクターや作風が好きやったんです。僕もあまり“辛かった自慢”をしたくないので、読んでいる方も「大変だな~」って思わずに読める感じになればいいなと思うところはありましたね。
――本作でも、お酒の失敗や借金生活、彼女の元カレとの修羅場など、大変だったであろうことが淡々と面白おかしく描かれているので、読んでいる方が暗い気持ちにならないんですよね。ところで本作は「自伝風」エッセイとありますが、これらのエピソードは、ほぼ松尾さんの実体験ということでしょうか?
役者という職業柄、自分の素性をオープンにするのはあまりよくないと思っていたんです。特に書き始めたころはその気持ちが強くて、自分のことだと言いたくなかったから作中に僕の名前は一切出てこないし「僕」という表現もしないようにして、僕の話じゃないという風に読んでもらいたいなと思ったんです。なので、本の最後にも「このエッセイは史実をもとにしたフィクションです」って書いてあるんですけど、結局9割がたは僕の話です。
この本について取材を受けると「大変でしたね」ってよく言われるんですが、もっと大変な思いをしている人はたくさんいますし、人って生きていたら大体何かあるじゃないですか。それがちょっと多かっただけかもしれないですし、結果的に実を結んだと思っているので。
僕は関西人なので、撮影現場や飲み屋で話す時「盛る」というわけじゃなくて、ちょっと面白くしゃべりたいじゃないですか。だからってそれが不幸自慢になっても嫌やからあまり重たくならないようにしたかったし、「こういう文言を書いたらおもしろいやろな」とか「ここでこう来たら盛り上がるな」とか最初に思いつくんですけど、そうするとあざとくなるから、書いた後に消すことはよくあります。それは文章ならではのやり方なんですけど、人がいるところで僕がしゃべっている、といったスタンスで書いている感じです。
9割は実話、1割は思い出補正
――バイト時代やオーディションの様子、奥様と出会った時のことなど、とても細かく覚えていらっしゃいますよね。
基本的にはあまり覚えていない方なんです。妻との話も彼女に見せると「え、こういう風に覚えているの?」って言われて「あれ、違った?」って聞くと「全然違う」と言われて「あ、そうだったね」みたいなこともいっぱいありました。さっき9割実話って言いましたけど、1割は思い出補正なところもあります。あとはややこしくなると思ったので、3人それぞれが言ったことを1人が話しているようにしているようなことも多少ありますが、体験としては実話に基づいたフィクションです。
――「美少女戦隊セラセラムンムン」の回では、松尾さんを一躍有名にしたドラマ「SP」のオーディションの様子が書かれています。その内容が「美少女戦隊モノのオフ会」をテーマにした即興劇だったとは。「SP」ファンとしては胸アツでした!
「SP」のオーディションのことはすごく覚えています。役者としての転機になった作品でもあったし、そのころ「役者を辞めようか」と精神的にすごく落ち込んでいた時で、その前後にあった出来事もすごく覚えているんです。他の作品のことも書きたかったけど、特にSPをやっている時は色んなことがあったんですが、それをいちいち全部書くのも大変やなと思って割愛しました。堤(真一)さんに「涙の安売り王」って言われた話とかもおもしろかったんですけど、まぁ、それはまた別のお話で。
――おっ! 本作でお決まりの結びの一文が出ましたね(笑)。でも、どうして人は気持ちが落ちている時の出来事のほうが印象に残りやすいのでしょうか。
多分、すごく考えるからじゃないですかね。絶好調の時って気持ちがバーっとなっているからあまり考えていなくて、起こったことも覚えていない気がするんですよ。だけどあまりうまくいかない時ってすごく考えて考えて、結果答えが出るわけじゃないけど考え続けるじゃないですか。僕の人生においてあまり深く考えることはなかったけど、「SP」のころは一番考えていた時期でした。
――役者の転機になったのが「SP」だとすると、人生の転機となったのはやはり奥様との出会いでしょうか?
そうですね。妻に出会った時、あんなにビビっときたっていうことがまずなかったですし、今までの失敗は彼女に会うためにあったんじゃないかと思うんです。こういう話をするの、すごい恥ずかしいですね……(照)。客観的に聞くと「よくそんな恥ずかしげもなく言えるな」って思うんですけど、ほんまに妻には感謝しています。
――そんな奥様との馴れ初めも書かれていますが、奥様はどんな反応でしたか?
連載を書いている途中、妻に「どう思う?」ってチェックしてもらっていました。5行くらい直された文章をそのままコピペして使ったこともあります。本にする部分は自粛期間中に書いたんですけど、確認用の原稿が妻の分もあったので、彼女はリビングで、僕は自分の部屋で読んでいたんです。そしたらリビングからすごい笑い声が聞こえてきたので見に行ったら、妻がティシュを抱えて泣いているんですよ。それだけで書いてよかったなと思うし、当時のことも思い返せて二人で話もできたし、同棲を含めるともう18年一緒にいるんですが、あの頃の気持ちにお互い戻ることができたなって……恥ずかしいっ!
「もし~だったら」はお伽話
――航空券を拾ったことがきっかけで今の事務所に入ったと書かれていますが、もしあの時、航空券を拾っていなくても役者を目指していたと思いますか?
多分思っていたでしょうし、人との出会い方が変わっていたと思います。僕は出会いに対して貪欲な部分があるから、どこかの劇団に入って、そこを起点に色んな人と出会って、もしかしたら役者として売れていたかもしれないし、京都で共演した美人女優と結婚していたかもしれない。でも、どれが幸せなのかは分からないです。そっちはそっちで幸せかもしれないけど、こっちはこっちで幸せやし、今の事務所に入ったから今があるのは間違いないですから。昔から妻に「もし~だったらどうする?」って聞かれるんですけど「いや、“もし”なんかないし」って思うんですよ。パラレルワールドじゃないですけど、「もしも」の世界ってお伽話だなと思うんです。
――個性派俳優として数々の作品に出演されていらっしゃいますが、「絶対に役者になる!」という強い思いをずっと持ち続けてこられたのですか?
僕はその意思があいまいで、上京してきた時は「故郷に錦を飾る」じゃないですが「役者になるまで帰らない」と思っていたけど、どこかで「役者は無理だったとしても大丈夫やろう」「役者になれなくても何でもできるわ」っていう根拠のない余裕があったんです。一つのものにしがみつくのはあまりよくないなと思っていたので、「もしダメならさっさと辞めよう」というくらいのつもりではいましたね。
本作にも書いていますが、ある劇団のオーディションに行った時「役者なんてやめた方がいいよ」って言われて「なんやこのオヤジ」と思っていたんですが、今なら僕もそう思うところはあるんです。役者になれるかなんてすごく不確かですし、大手事務所に入ってイケメンやったら何とかなるやろうけど、こんな顔して特に芝居ができるわけじゃないのに「役者になりたいです」って言うヤツに出会ったら「役者は辞めて違う仕事を探したほうがいい」とまでは言わないけど、違う仕事ができるくらいじゃないと役者になるのは中々厳しいんじゃないかな、と思うんです。なので、よくうちの社長が僕のことをおもしろいと思って拾ってくれたなと感心しますね。
これは結果論ですけど「役者になるんだ!」っていう気持ちだけだと、役者になれなかった時、多分そこで終わってしまうと思うんです。役者って一人でする仕事じゃないから、一人芝居するにしたってスタッフがいないとできないし、お客さんがいて、輪があってできる仕事なんですよね。だから、どこか心に余裕や遊びがある人の方が見ていてもいい芝居するな、面白いなって思うし「芝居っていうのはこうでこうで……」という人の芝居を見ていたら「おいおい」ってなっちゃいますから。ブレーキと一緒でどこかに余裕がないとだめだと思うんです。
ただ、僕は好きで始めたこと、「やりたいな」と思った仕事をやれていて、しかもそれで今飯が食えているっていうことはすごく幸せなことなんだなと思っています。社長の落したチケットをたまたま拾い、それによって巡りあった人たちに育ててもらった。それはすごく順調ではなかったかもしれないですが、紆余曲折を経て妻に出会い、編集者と出会って本を書くことになり、今こうして取材を受けているのはすごくおもしろいなって思うし、これはこれで酒飲みながら人に話せるネタがまた一つ見つかったなって。僕にとっては御の字なんです。
――後半では、長年会っていなかったお兄さんとの再会と別れのエピソードが書かれています。ご家族のことを書くのは、これまでのご自身のこととは違う気持ちだったのでは。
そうですね。役者として自分の素を出すのはちょっと、と言いながらも最終的には家族のことを書いているから、僕って良く言えば柔軟、悪く言えば芯がないのかなって思ってしまいますけど。兄に対する僕の心情って複雑で、兄が亡くなった後ショックもなかった。普段はすぐ泣くのにその時は全然泣かないから「なんでやろ」と自分でも思ったんです。それで「もしかしたらこの話を書き終えることで見つかることがあるんじゃないか」という期待はあったんですが、はっきり言ってあんまりなかったんですよ。
二人兄弟だったから同じ親を持つ唯一の存在だったんですけど、兄が亡くなっても自分の中ではずっとモヤモヤと霧がかかっているような感じなんです。「最後の方はちょっと小説みたい」ってたまに言われるんですが、線路の下でワーッと泣いたっていうのも、本当はもっと色んなことがあって自分でも説明できないからああいう形にしたんですけど、そういうところが9割以外の1割の部分かもしれないです。
――連載は終わってしまいましたが、またこのような機会があったら書いてみたいことを、コソっと教えてください。
いや、コソって(笑)! あなた絶対記事に書くやろ! でもそうですね。「次書かないんですか」と言われると、ちょっと調子に乗るじゃないですか。「いやいや書けませんよ」って思うけど、この連載も「文章なんて書けませんよ」と思って始めたので、やってみないことには分からないけど、大体2作目って1作目よりも落ちるじゃないですか。「調子に乗って2冊目出したけど大したことないな」ってなるのが見えているんですけど、もし書けるなら恋愛ものを書きたいなっていう思いはありますね。「フィクションで」と言いつつ、それも9割がた実体験なんですが、それはまた別の話で。