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佐々木ののかさん「愛と家族を探して」インタビュー さまざまな「家族と性愛」のかたちを生きる人々

文:篠原諄也 写真:北原千恵美

放浪しながらいろいろな人に出会った

――佐々木さんはもともとは「普通の家族」をつくるものだと思っていたそうですね。しかし、新卒で入った会社を退職したのを転機に、結婚・家族観が変わってきたと。それまではどのような未来を思い描いてたのでしょう?

 漠然と結婚して子供を産むのだろうなと思っていました。結婚した後に働き続けるのか、いわゆる専業主婦になるのかは分からなかったんですけど。

 将来、フリーランスになるようなことは、選択肢として考えていました。でも会社をやむを得ず辞めるような挫折は考えていませんでした。それまで挫折をしたことがなかったので、「私挫折するんだ!」とびっくりしたんですよ。

――会社ではどのような日々だったんでしょう?

 昭和っぽいというか、昔ながらの職人気質な会社でした。例えば、当時(2015年)の5年前まで、女性社員は産休や育休は一人目までしか取れない決まりがあったと聞いています。二人目を産みたかったら、会社を辞めるしかなかった。でも女性社員ですら疑問に思っていませんでした。「私も二人目を産みたかったけど、一人だけにしたんだよね」と言う人もいた。普通に受け入れていることが怖いというか、違和感を覚えました。「何かが変だな」と。

 他にもエレベーターは新入社員が誰よりも早く押さないといけない。お茶は茶柱を立てるまで練習をする。そういう風土には学ぶところもあったのですが、私の肌には合いませんでした。それで夏過ぎくらいからパニック障害になって具合が悪くなってしまって。12月から休職をして、半年後に辞めました。

――会社を退職されたことは、家族に関心を持つことにどうつながったのでしょう?レールから外れてしまったと感じたのでしょうか?

 そうですね。そしてレールから外れたら、大海に投げ込まれたような気持ちなので、何か寄る辺が欲しいじゃないですか。なので、色んな人に会うようになりました。自分と似ている人はいないかなと探そうと思ったんです。

 病気だから北海道の実家に帰ろうと思って家は引き払ってしまったんですけど、そのうち体調が良くなってきて。でも新しく家を借りるお金がない。だから放浪するしかなくなって、60リットルのザックを背負って、人の家を頼って都内で生活していました。髪の毛もボサボサだった。生きることしか考えてなくて、無我夢中でした。

 東京でそんなことをしていたら変じゃないですか。その日に知り合った人に「何してんの?」と興味を持たれて、「実は家がなくて」と話して泊まらせてもらっていました。するとお互い身の上話をする。「実はこういうことがあって...」と話を聞かせてくれるんですよ。私は関係ない人間だから、話しやすかったのかもしれません。

 その時に変な人がいっぱいいるなと思って安心しました。「実は明日入籍なんだけど、まだ腹が決まってなくて」と言う人がいたり。私泊めたりしていいの?って(笑)。80歳のお爺さんから猛アプローチを受けていたこともありました。紳士的な方だったんですけど、「なんで奥さんがいるのに口説くんですか」と聞いたら「奥さんは時間を共有した長さが違うから特別。どんなにいい女がいても凌駕できない。それとは別で口説くのが楽しいんだ」と。

 そんな知らない世界の話を聞くのが面白かったんです。当時、大好きだった恋人にフラれて、もう終わりだと思っていました。でも色んな生き方を知ることで「こういう生き方もあるんだ」と希望を持てた。だから会社を辞めたことで、取材の原点になるような出会いがあったという感じがしています。

――同じ時期に人生で一番好きになった「神様のような男性」と出会ったことも大きかったそうですね。どんな出会いだったのでしょう?

 会社を辞めてすぐの頃に、関わっていたプロジェクトで、毎日のように顔を合わせていた人でした。10歳ちかく年上のアーティストで、業界では名が知られていました。好きなことを仕事にしていてかっこいいなと。今思うと、彼じゃなくても良かったんでしょうけど、当時はそんな人に出会ったことがなかった。この人みたいになりたいし、この人と一緒に人生を歩みたいと強く思いました。

――彼との関係性はどのように続いたんでしょうか?

 壮大なことのように書いているんですけど、事実だけを冷静に切り取ったら本当何でもないんです。夜にデートで会ったのは2、3回だし、あいだも4、5ヶ月空いてるんですよ。あまり連絡したら悪いなと思って、本当に会いたい時にしか連絡をしませんでした。でも私は毎日彼のことを考えているから、凄く濃密な時間を過ごした気持ちになっている。私が勝手に慕っていただけで、向こうは若い子にちょっと手をつけただけということだったのかもしれません。私が過剰に追いかけてしまって、たぶん向こうも「え?」と引いただろうなと思います。でも、当時の私にとっては彼が絶対で、すべてだった。

――当時、彼の子どもを産むことが名案だと思ったとお書きになっていましたが、なぜそのように感じたのでしょう?

 本当に理屈ではなく、天啓のように感じたんですけど……。あえて分析すると、当時、自己肯定感が全くなかった。会社は辞めちゃったし、自分にできることはないと思ってて。自分だけができることをしなきゃと感じたんです。そこで「子どもを産めばいいんじゃないか」と。

 彼の子どもを産みたいし、彼は子どもが好きそうなので、産めば年に1度くらいは会えるかなと打算的に考えたところもあります。彼と私の遺伝子入りの子どもを産めるのは私だけだよね。私が育てると言えば、問題ないだろう。養育費もいらない。責任はいらない。そんないい女はいないはずだ、完璧だ、と思って。

 でも凄く嫌がられました。「え? お前大丈夫?」と。深夜に和やかに二人でお茶を飲んでいて「遺伝子欲しいんですけど」と言ったら、彼はしばらく固まった後に「嫌だ」と。振り絞るような声だったので、あ、本当に嫌なんだと思いました。でも、私としても一世一代の告白だったので「なんで?」と問い詰めたら「俺たちは血縁でも戸籍でもつながっていないけど、もう十分に家族だろ」と、うまく逃げられたんですけど。私は結構真面目なので「そっか家族なんだ!」と額面通りに受け取った。でも結婚も出産もしていないのに、家族だなんて、どういうことだろうと思ったんです。

 彼は全国にお友達がいて、ホームみたいな場所がたくさんある人でした。彼も家がなかったので、色んな人を頼っていた。「全員家族だし、お前も家族だぞ」と言われて。でも血縁でも戸籍でもつながっていないのに、わけが分からなかった。全然理解できなかったので、「調べなきゃ!」と思ったんです。今遡ってみれば「家族って何だろう」と本格的に考えるようになったきっかけだったと思います。

インタビューは「生地の裂け目を縫うこと」

――本書の中で「過去の救済」のためにインタビューをすると書かれていたのが印象に残りました。どういうことでしょう?

 凄く辛い思いをした時に、どうしてあんなことされなきゃいけないんだろう、なんでこんなに不条理なんだろうと思うことがある。その理由を知ったからといって、救われるわけではない。でもやっぱり辻褄を合わせたい、分かりたいという気持ちがあって。

 分からないことは、断絶されているわけですよね。それを自分なりに納得する物語を編んでいくことで癒されていく。「分かれない」ということは、生地が分かれちゃっている裂け目みたいなものです。それを縫う作業がインタビューを書いていくことなのかなと。そのために人の話を聞く。縫っていって元気になったら、過去の自分に対して「大丈夫だよ」と言ってあげられる。そういう意味での「救済」でした。

――本書には7組のインタビューが収められていますが、どういう基準でインタビュー対象者を選びましたか?

 いかに自分にとってアクチュアルかを考えました。自分の考えていることに切実に紐づいているかどうか。

――佐々木さんご自身、特に励まされたお話はありましたか?

 第六章に登場する女性二人のお友達同士でルームシェアをしている方のひとりが「付き合うときに結婚向きの人かどうかを考えなくてよくなった」と仰ってたんですよ。それは凄く良いなと思って。人と付き合う時に、結婚する気がなくても(相手の経済的条件などを見て)「この人、結婚できるかな」とちょっと打算的に考えてしまうことがある。でも女性のお友達と一緒に暮らしているので、それがなくなって「恋人をつくるのが楽になりました」と仰っていた。恋愛を介さなくても人と一緒に暮らすことができる、同性とでも住めるというスタイルがとても良いなと思いました。

――他にインタビューで予想しなかったような答えはありましたか?

 いろいろありましたね。契約結婚をした長谷川さんが、相手の条件として「添い寝ができる人」が最重要だと。「そこが一番大事な条件なんだ!」とびっくりしたんです。言われてみればなるほどと思うんですけど、そのことに気づくのも大変ですよね。丁寧に自分に向き合っていないと気づけない。

 精子バンクを利用して子どもを産んだ華京院さんは「精子提供者との間に、絆は一ミリもないほうがいいと思った」と仰っていた。知人の男性に協力してもらったら、知人の気が変わって親権を要求されるかもしれない。逆に知人の側からしても、華京院さんの気が変わって養育費を請求される心配をするかもしれない。とにかく人に迷惑をかけたくないから、会ったことのない人が好ましいと。「そういう考え方もあるんだ!」と思いました。

 他には(保護者と暮らせない子どもが生活する)児童養護施設で育った中村さんが、虐待を受けた子どもたちについて「ひどいことをされても自分の保護者は大切な存在なので、周りはそこは認めてあげる必要がある」と仰っていました。よくメディアでは「鬼のような父」などと表現されますが、そういう言い方をすると逆に子どもの居場所を奪ってしまう。だから「ひどいことをされたかもしれないけど、大事な人だよね」とセットで言ってあげなきゃダメなんだと。本当にやってしまいがちだと思ったし、恋人のDVなどいろんなケースにも言えることだと思いました。「ひどいことをされること」と「その人のことが大切と思うこと」は共存しうる。私も恋人について友達に打ち明けると「そんな男、別れて正解だよ」と言われることがありました。でもそんなこと言ったって、あなたは私のこと満たしてくれないでしょうと思う。本当に大事な人だったら、なくなったら全部奪われてしまうんです。

今考える「家族」とは?

――この本を刊行した今、佐々木さんにとって家族とは何だと思いますか?

 家族は形のないもので、この本では「流体」で「一生掴むことはできないもの」と書きました。でも結局、この本を書いても分からなかったんですよ。最近『家族はなぜ介護してしまうのか』(木下衆、世界思想社、2019年)という本を読んだんですが、そこで上野千鶴子さんが「ケア責任」という概念を論じる文章が引用されていました。

 認知症の人は何が好みかなど自分のことを忘れている。だからケアワーカーさんが認知症の介護をする時に、参照先になるのが家族なんだと。それを読んで、家族とはライフヒストリーを知っている人なんだなと思いました。別に血縁がなくても長く一緒に連れ添ってライフヒストリーを知っている人、という定義が、今はしっくりきています。

(注:上野千鶴子は家族介護者が介護をアウトソーシングしたとしても、介護者にとって何が一番適切かを決定する意思決定労働は第三者に移転できないことを指摘。木下衆は特に認知症介護においては、介護者のライフヒストリーを知っている介護家族を頼ることとなって、家族は代替不可能な存在に「なる」としている)

――今後、どういう家族や関係性を作っていきたいと思いますか?

 今考えているのは「食卓家族」です。自分は性格的に結婚やお付き合いで誰かと住むのが無理そうだなと思っています。基本的に人のことが怖いんです。でも寂しいんですよ。人のことが怖いんだけど寂しい。だからご飯だったら一緒に食べられるかもと思って。週に1度ご飯を食べられるような、食卓みたいな場でつながることができたら楽しそうだと思っています。雑談が苦手なので、身の上話はしないで食べ物の話ばかりをする。「このチャーハン美味しいね」と言っているだけで楽しい感じになるかなと思います。

――そのメンバーは好意を持つ人じゃなくてもいいんですか?

 別に嫌いな人でもいいです(笑)。その場で悪口を言われたら嫌ですけど、約束通りに食べ物の話だけしてくれれば脅かされないので。場を共有することから始めたいなと思っています。

――もう「家族」と「コミュニティ」の境界がないように感じますね。

 境界はないですね。人と生活するのが合わない人もいる。そんな自分に真摯に向き合っていくと、コミュニティでもいいし、それ以前の「ご近所付き合い」でもいいかもしれません。

 インタビューで登場する方たちは、自由で何でもありで、凄すぎる人たちです。この本を読んで落ち込む人も多いらしいんです。自分は「普通」に囚われているから、ここまで頑張れないからダメだと。でもこの方たちをそのまま真似するんじゃなくて、ちょっとヒントをもらうくらいの気持ちで読んでほしいと思っています。「普通」に囚われてしまって、「死ぬか生きるか」を考えるほど悩んでいる人がいたら、「こんな風にしてもいいんだ!」と希望を持ってもらえたらと思って、本を書いたんです。