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松居大悟さん「またね家族」インタビュー よくわからない“家族”、小説で向き合う

文:岡山朋代 写真:斉藤順子

家族って簡単に言い表せないもの

──松居さんは「これまで形容できない感覚や瞬間をテーマにしてきた」と又吉直樹さんとの対談でおっしゃっていましたが、今回その枠組みで“家族”を題材にしようと思った動機はどこにありますか?

 まさに簡単に言い表せないものとして、家族がありました。僕の家族って一般的じゃない気がしていて。いわゆるホームドラマで描かれるような家族を見ると仲間外れにされているように思えたんです。普遍的な家族を肌で知らないから描けないし、その価値観を否定されたくないと思ってテーマにするのを避けていました。

 でも小説なら自分一人の作業だから、キャストやスタッフにテーマを伝えて共有しなくていい。そういう意味では「向き合えそうかも」と。で、去年は父親の7回忌があって、夏に撮ろうとしていた映画が延期になって半年くらい空いたので「書いてみよう」と思い立ちました。「家族ってよくわからないけど、長編小説なら形にできるかもしれない」って。

──「テーマを共有する相手がいないから書けた」というのがおもしろいですね。舞台・映像に向かう時とスタンスが違うというか。普段のにぎやかな男子校生ノリが薄めで、内省的で静かな筆致だと感じました。

 それはある意味、自分に向けて書いていたからかもしれないです。はしゃいでいる人たちを遠くから眺めるのは好きですが、僕自身はそれほど周りと和気あいあいするタイプではないので。何より、ハードカバー332ページもの分量を書いた既成事実が自分の中では大きい。「お前はこれだけ家族に向き合ったんだぞ」というのが形にできたので、それでOKなんじゃないかなって。

家族への願いこめて書き進めた

──「家族に向き合った」とお聞きして気になってくるのが、主人公と松居さんの共通項。小説では家族とのエピソードだけでなく、商業演劇に翻弄される主人公の姿や変わっていく恋人との関係性も描かれています。今回、経験談とフィクションのバランスはどのように考えて執筆されましたか?

 小説を書くのが初めてなので、線引きはわかりません。でも自分には他の小説家さんより技術も経験値もないので、自分にしか見えない景色を書こうと思いました。そうなると、僕が知っているのは演劇の世界の裏側だったり、東京と福岡の距離感だったり……自分独自の体験をベースや背景にしようと思いました。

──そうなんですね。野暮と感じつつ「どこまでが松居さんの経験談だろう?」と思いながら読み進めてしまいました。

 読み方は自由ですよ。でも父親との向き合い方でいうなら、僕は主人公ほど素直で純粋にはなれなかった。もちろんそれ以外のことも。だから、わりと願いを込めて「こうあってくれ」と物語を書き進めました。

──家族を題材にしたこの小説で「形容できない感覚や瞬間」ってどんな風に結実しましたか?

 すごく難しかったのが……終盤で公園近くのレストランに集まって、兄貴が挨拶した時に主人公も感情が表に出てくる場面。もともとあっさりした描写だったんですが、編集者の小泉さんから「武志にどういう感情があってそうなったのか、もっと書き込んで欲しい」と“おかわり”されまして。

──加筆するのに抵抗があった?

というより……感情が追いついていないというか、本能だと思っていたんですね。僕の中ではそこで武志が感情を表出させたからそのまま書いたんですけど。まさしく「言葉にならない感覚」を文字にしなければならない。読み手は言語化された情報だけを追わなければならない状況に、けっこう苦戦しました。

 舞台ならライトを当てるとか、映画なら役者の表情やカメラのトラックインで察することができますよね。こちらの演出で観る人に想像の余白をもたらすことができますけど……小説で「言葉にならない感覚」にどうやって読み手を連れていけばいいんだろう、って。

小説ならではのアドバンテージ

──どうやって乗り越えたんでしょうか?

 試行錯誤しながら……ですね。自分の中では「具体性を持つ」ってことにしました。食事会の場面では「差し出したシャンパングラスは小さく揺れて、鼻水で真っ赤になった顔が横に引き延ばされて間抜けに映っていた」と周りの景色に溶け込ませて書いてみたり。難しかったですね。

 でも一方で、それって小説ならではのアドバンテージでもあるなって。舞台や映像なら役者の表情や画角などの演出だけで見せる時に、小説ならテキストで補完することができる。たとえばセリフとは真逆の感情や、セリフを言う前のためらいや言ったあとの後悔も、小説ならしっかり丁寧に描き込めます。

──じゃあ小説はテキストだけだからといって、舞台や映像と比べて表現の幅が狭くなった印象は受けなかったですか?

 全然なかったですね。むしろ「話が進まないけどいっか」みたいな自由度を感じました(笑)。たとえば女性を介抱しながら甲州街道まで歩いていくシーンだったら、台本でいうと2ページ。映像なら3~4分の場面だと思うんです。そこを「ラブホテルに入っちゃおうかな」みたいな、主人公のどうでもいい迷いをずっと書いている。「こんなに広げていいのかな」って。

──自由度の高さに、ためらいもあった?

 いえ、舞台や映画の本打ち(台本打ち合わせ)だったら「ここはもっとテンポよく行きましょう」と指摘されるところを、小説だと心情を書き続けられる。だから表現の幅が広がるというか、密度濃く書けた気がします。

家族にあまり期待しなくても

──新型コロナウイルス感染症の影響でテレワークが推奨されるなど、Withコロナ時代ではこれまで以上に「家族で一緒に過ごす時間」が増えると思います。だからこそ、その関係性に悩む方々へこの小説はどう響くと思いますか?

 家族のことで悩んでいる人には「あまり期待しなくていいんじゃない?」ってことですかね。理想があると、届かない場合に落ち込んでしまうから。家族って生まれた時から大なり小なり身のまわりにあるものだし、「家族らしくアットホームでいよう」とか「父親らしく」とか「長男の責任が」みたいな期待やべき論は必要なくて、もっと、諦めてもいいんだなって思ってもらえると嬉しいです。

──松居さんは無意識のうちに、ご家族へ期待してしまっていた?

 そうだったのかもしれません。でも書くことによって少しだけ楽になりました。