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「スターリン時代の記憶」書評 戦争や虐殺の正確な理解への道

評者: 保阪正康 / 朝⽇新聞掲載:2020年08月22日
スターリン時代の記憶 ソ連解体後ロシアの歴史認識論争 著者:立石 洋子 出版社:慶應義塾大学出版会 ジャンル:歴史・地理・民俗

ISBN: 9784766426816
発売⽇: 2020/06/17
サイズ: 22cm/306,48p

スターリン時代の記憶 ソ連解体後ロシアの歴史認識論争 [著]立石洋子

 体制変革により歴史認識がどう変容するかというテーマを扱う本書は、膨大な資料の読み込みと目配りの利いた論証によって編まれている。
 社会主義下ソ連にあっては、第2次世界大戦については明確な国家的認識があった。むろんそれは国民も共有すべき歴史観であった。独ソ戦は祖国防衛戦争であり、スターリンの指導のもと多数の戦死者を出しながらナチズムを破った、そしてヨーロッパを支配していたそのナチズムとファシズムから各国の人民を解放したという論である。ソ連では長らく、独ソ不可侵条約の秘密議定書やポーランド軍将校の大量虐殺(カティン事件)、スターリンによる粛清といった事実は伏せられていた。
 ところが社会主義体制の崩壊とともに、こうした負の史実を正確に理解することが歴史認識だとの動きが公然化する。ゴルバチョフのペレストロイカが端緒になった節もある。1990年代に多数の教科書が出版されるようになり、著者はその中から生徒の自主性を尊重する例として、ドルツキーの教科書を子細に検証している。
 前述の不可侵条約締結時のスターリンの行動をどう評価すべきか、さらにこの条約により第2次大戦の開戦責任が問われていることに意見を述べよと、従来とは全く異なった歴史観を教えるようになった。このような歴史教科書には「反ロシア的」なものがあると、共産党の議員は反発しているという。
 スターリンについてのロシア人の複雑な感情も詳述されている。欧州諸国のスターリニズム批判を受けた世論調査では、スターリンを国家的な犯罪者と見るか否かについて、「同意できない」が「同意できる」を若干上回る程度に落ち着くというのだ。旧ソ連・ロシアの歴史観の変容は、日本や他国でも参考になると著者は指摘する。著者の新視点は貴重であり、その労を多としなければならない。
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 たていし・ようこ 成蹊大助教(ロシア史)。博士(法学)。著書に『国民統合と歴史学』など。