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「コロナ in アメリカ」本でひもとく 健康第一主義に傷ついたなら 映画作家・想田和弘 さん

人気ミュージカル「オペラ座の怪人」の劇場を訪れ、スタッフらに中止を告げられる人たち=3月12日、ニューヨーク

 米国ニューヨーク市に住んで27年になる。今年2月14日、拙作「精神0」の上映がニューヨーク近代美術館で行われた際、ニューヨーカーは普通の暮らしをしていた。約400人を収容できる劇場は満席で、握手やキスが盛んに交わされ、上映後の打ち上げでは料理がシェアされていた。そのころ、中国の武漢や、日本に停泊していた大型クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号では新型コロナウイルスが猛威を振るっていたが、ニューヨーカーには「遠く離れた極東の災い」にすぎなかった。

 ところが翌3月、状況は激変した。市内での感染拡大を受け、飲食店や映画館、劇場、美術館などが営業停止となり、市民には自宅待機令が出されたのだ。いわゆる「ロックダウン」である。同様の措置は全米各地で取られ、入国の制限や禁止も発令された。経済活動や移動の自由といった、民主社会にとって重要な価値と権利が、国家や州の指導者の鶴の一声によって、あっという間に市民から取り上げられてしまった。

対策の副作用は

 驚いたのは、そうした措置が圧倒的多数の市民によって支持されたことだ。どころか、ロックダウンの大きすぎる副作用を懸念したりするだけで、「人の命が失われてもいいのか」などと近い友人からも非難された。
 命を盾に取られると、思わず口をつぐんでしまう。僕も命は大切だと思うからである。かくして、新型コロナウイルスから命を守るために、仕事も教育も娯楽も社会生活も犠牲にする政策が、かつてない規模で実行された。その結果、4~6月期の米国の実質国内総生産(GDP)速報値は、年率換算で前期比32・9%減となった。統計を取り始めた1947年以降最大の落ち込みだ。この結果、どれだけ自殺者が増えるのだろう。
 異論もあろうが、新型コロナの死者が最も多い米国ですら、ウイルスによる被害よりも、対策による被害の方が深刻に見える。新型コロナによる重症化は、ウイルスを撃退しようとして免疫が暴走し身体を傷つける「サイトカインストーム」によって起きるとの説があるが、米国社会も免疫の暴走によって重症に陥っているのではないか。

「怖れ」が肥大化

 コロナへの不釣り合いともいえる反応は、生きがいや楽しみよりも健康を優先させる現代の文化に起因する。『「健康」から生活をまもる』で、大脇幸志郎医師はそう喝破する。大脇によれば、健康第一主義は米国でも日本でも、あまりに社会に染み付き当然視されているので、「文化」とすら意識されていない。その意識化されぬ文化を解体していく本書は、コロナ禍をマスメディアとは別の角度から見るのに役立つ。
 大脇の視点は、萬田緑平著『穏やかな死に医療はいらない』とも重なる。萬田は末期がん患者が「自宅で最後まで目いっぱい生きるためのお手伝い」をする医師だ。死を忌避するあまり延命治療を続け、生をも遠ざけてしまいがちな病院文化に異を唱える。萬田がネットでコロナについて盛んに発信するのも、終末期医療とコロナ禍の問題の根底に「死を怖(おそ)れ受容できない現代人」という共通点があるからであろう。「死なないための医療」の意味を考えさせられる。

 無論死を怖れるのは、生き物にとって自然だ。しかし怖れを放置していると、肥大化して暴走し、自分自身を苦しめ傷つけかねない。禅僧ティク・ナット・ハンは『怖れ』で、心の中の怖れから逃避するのではなく、深く見つめることで乗り越える方法を説く。紹介されている瞑想(めいそう)法は誰でも実践できる簡単なものだが、心を落ち着かせる効果は絶大だ。コロナ禍のなか不安のつきない私たちには、必読の書である。=朝日新聞2020年8月22日掲載