自分の傷が誰かの光になることもある
「僕はこの世が楽しいことばかりだと思えるような人生を送ってこなかった。THE BACK HORNの『ブラックホールバースデイ』という曲に『罪や罰や傷や嘘を抱いて それでも夢を見て』という歌詞があるんですけど、そんな気持ちは誰にでもあるだろうし、自分自身の傷が誰かの光になることもある。僕がTHE BACK HORNのことを好きなのは、いまここが闇だとしても、光に向かって手をのばすような生命力があるからなのだと思います」
学生時代からTHE BACK HORNが大好きだったという住野よるさん。2016年に新潮社の担当編集者からの縁で挨拶をした際、「いつかご一緒できたらうれしいです」という手紙を渡したことがきっかけで、小説と音楽の境界線を超えた、まったく新しい「共作」が生まれることになった。何度もライブに通い、ステージ上で強烈なエネルギーを放っていたTHE BACK HORNはどこまでも格好良く、住野さんいわく「自分はわけもわからん、ぽっと出てきた小説家」で、そんな自分と全力で向き合ってくれることになるとは、まさに予想だにしなかった展開だった。
「初めての試みで全体像が見えない中、交互に積み木を積んでいくような感じで作っていきました。“互いに影響を与え合った”というと、ファンの一人としては緊張する言い方なんですけど、この小説はTHE BACK HORNさんの5曲がなければ存在しなかったし、その逆もそうだと思うんです。それだけにファンである自分と、一応はプロの作家である自分との折り合いをどうつけるかがすごく悩ましかった。その過程や、好きな人やモノとの距離感のとり方が、この小説の着地点につながっています」
この共作でTHE BACK HORNが創り出した楽曲は5曲。作品の主題歌に当たるものを1曲作るのではなく、音楽がもっと密に小説に関わるようなものを模索してきた。それだけに、「自分がまだやってないことを、この一冊に捧げなきゃいけない」と決意した住野さんが今回挑戦したのは、自身初の本格的な恋愛小説だった。
異世界の住人との真夜中の交流
物語の主人公は、平凡な日常に飽き飽きとしながら生きる高校生のカヤ。ある日、深夜の廃バス停で爪と目しか見えない謎の少女チカと出会う。真夜中の交流を重ねていく二人は、どうやらお互いは異なる世界の住人で、双方の世界に不思議なシンクロがあることに気づく。それを探るために小さな実験を重ねるうちに、カヤはチカに特別な感情を抱きはじめるようになる。
「カヤが、爪と目しか見えないチカに向ける感情は、僕がステージ上の姿しか知らないのに好きになってしまったTHE BACK HORNに向ける感情にきわめて近く、だからこそカヤのチカに対する感情の生々しさが出せたと思いました」
二人は会話だけでなく、相手に触れたり、お互いの世界の食べ物を食べ合ったり、チカの世界の香りを嗅いだり、歌を歌って聞かせたりと、五感を使って断片的な情報を集めていく。それは、ファンが好きなミュージシャンや小説家などといったプレイヤーの作品や発言に接し、あれこれと想像を膨らませながら好きになっていく構図にも通ずるものがある。しかし、そうであったとしても、相手をすべて知りつくすことにはなりえないし、こちら側から見えない部分や、決して重なり合わない部分は厳然と存在している。
「チカはカヤにとって悪魔かも。チカはカヤの世界を知らないから、カヤが喜ぶことだけを平気で言える。それって、ファンとプレイヤーの関係にも近いと思うんですよ。僕も含めて彼らってすごく良さげなことを言うじゃないですか。プレイヤーって悪い人達だなと思うけど、同時に格好良さでもある。そういったこともカヤとチカの二人を通して描いてみたかったんです」
人は誰でも、自分の意思で変われる
ある日を境に、カヤとチカの交流は途絶えてしまう。その15年後、カヤは人生に吹き荒れた突風のようなチカとの出来事に囚われながら、余生に似た日々を淡々と消化していた。カヤの気持ちは空疎なままで、何もかもを拒絶しているようだった。
「カヤと異世界人であるチカの交流を描いた前編は、カヤにしか起きなかった特別なことという感じなのですが、15年後の後編で、カヤのような経験は実は誰にでも起こりうるし、人は誰でも変われて、自分の意思で変えることだってできるということを描きたいと思いました。変わってしまうのは悪いことのようにとらえられがちですが、他の誰かから見れば一歩進んだってことかもしれない。こうした多様さを描くことは、今回のコラボのように普段小説を読まない人が小説を面白いって思ったり、普段バンドの音楽を聞かない人に、バンドの音楽いいなって思ってもらうところにもつながっているのかなと」
過去に経験した出来事が強烈だった場合、自分の心に深く、強く刻み込まれているがゆえに、「もうあれを超えることはない」「他の人にはわからない特別なものだ」という気持ちに囚われてしまうことがある。しかし、その境界線を超えてみたら、新たに得られるものもあるはずだ。住野さんは、『君の膵臓をたべたい』や『青くて痛くて脆い』などでもそういった感情や葛藤、誰かとの特別な関係性を描いてきたが、この『この気持ちもいつか忘れる』は作家生活5年間の集大成であり、いろんなものを出し切ったように感じているという。
「僕が小説を書いている時は主人公に精神を持っていかれるので、カヤを書いている時はものすごく辛かったし、イライラしていましたが、今は5年間で一番精神的に安定しているかも。同じ5年の間に、読者のみなさん一人ひとりにもいろんなことがあったと思うんです。だから、この作品を読んだ人にとって、わずかでも報われる何かや喜びがあったらいいなと思っています。こんなことを言うと、悪魔的なチカみたいかもしれないけど(笑)」
住野さんが書き下ろした歌詞も
敬愛するTHE BACK HORNと創作の過程を共有し、どちらが欠けても存在し得ず、小説と音楽によって完成したものであるということも、住野さんにとってこの小説を特別たらしめているのは間違いない。
「聞かせてもらった5曲はもちろん、打ち合わせで話した何気ないことにも刺激を受けましたし、曲がなければ生まれなかったシーンはたくさんあります」
実際に、これらの5曲と物語は相互に深く結びついている。例えば、「輪郭」という曲の一部は、小説の中でチカが歌う曲として登場する。メンバーが原稿を何度も読み、住野さんにチカのいる世界や価値観について質問を繰り返して生み出されたものだ。また、「輪郭」のフルバージョンには、歌詞の一部に住野さんが書き下ろした4行が登場。THE BACK HORNの世界観に溶け込みつつも、住野さんでなければ書けない歌詞として存在感を放っている。
「デモ音源で4行分があえて空けられていて、『書いてもらえませんか?』とリクエストされたのですが、このコラボで僕が一番緊張したのはこの時でした。好きな人(THE BACK HORN)の作品に自分が入り込むことになるわけですから!」
読書にベストな「セットリスト」は
カヤとチカの世界がお互いにシンクロしあっていたように、今回創り出された音楽と小説も折り重なっているわけだが、住野さんに、「音楽を聴いてから読むのか、読んでから聴くのか、それとも聴きながら読むのか、おすすめはありますか?」と聞いてみた。住野さんは、「全然自由なんですけど」と前置きしつつ、“セットリスト”を教えてくれた。
「まず読む前に『ハナレバナレ』を、前編を読み終わってから『突風』。後編を読んでいるどこかのタイミングで『君を隠してあげよう』を聴き、読み終わった後に『輪郭』を聴いてもらえると、完璧にリンクするんじゃないかなと僕は思ってますが、THE BACK HONEのメンバーに聴いてみると、全員違うかも。でも、『輪郭』は物語が終わった後に聴いてもらうことで、僕とTHE BACK HORNが何をやってきたかがわかってもらえるんじゃないかと思います」
今回、新潮社とTHE BACK HORNが所属するビクターエンターテインメントが、お互いの垣根を超えて、9月15日にTHE BACK HORNの5曲入りCD付き「先行限定版」を発売し、1カ月後の10月16日にCDなしの書籍と配信音源がリリースされることになっている。こうした販売方法は異例のことであり、住野さん、THE BACK HORN、双方の会社など関係各所の尽力によって、書籍とCD合わせて1700円という手に取りやすい価格が実現できたという。
「先行限定版にはCDだけでなく、パスコードも付いています。打ち合わせのときにびっくりしたんですけど、今はCDを再生する機械を持ってない人も多いんですよね。マジか!と思いました(笑)。価格についても破格だと思っています。僕たちや関係者がかけた労力なんて、受け取る方々には何の関係もないんですけど、心からみなさんの手元に届いてほしいという思いがあってのことです」
小説とCDの二つを一緒に届けることによって、小説は読むけど、音楽は聴かない人、もしくは音楽好きだけど、小説には縁がない人に、今まで知らなかった世界に踏み出す機会を与えることができる。
「大切な読者さんに『THE BACK HORNを知ってほしい!』という強烈な思いがあり、ライブハウスに一度も行ったことがない人に、『このCDを聴いてもらってTHE BACK HORNのライブに行ってほしい!』という目標もあります。この5曲と小説は、どちらかが先にあったわけじゃなくて、同時並行でできたところに、いい意味でエグみがあります。どちらも切っても切り離せないものなので、ぜひそのエグみを一緒に飲み下してほしいと思っています」