1. HOME
  2. インタビュー
  3. 働きざかりの君たちへ
  4. noteから生まれた作家・岸田奈美さん 「褒められたいなら自分から褒める」人生観をつくった5冊

noteから生まれた作家・岸田奈美さん 「褒められたいなら自分から褒める」人生観をつくった5冊

文:岩本恵美 写真:家老芳美

>「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」岸田奈美さんインタビューはこちら

岸田さんが選んだ「働く」を考える本

1.『猫を棄てる 父親について語るとき』(村上春樹、文藝春秋)
2.『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』(幡野広志、ポプラ社)
3.『ママ、死にたいなら死んでもいいよ 娘のひと言から私の新しい人生が始まった』(岸田ひろ実、致知出版社)
4.『もものかんづめ』(さくらももこ、集英社文庫)
5.『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』(二村ヒトシ、イースト・プレス)

家族のことを書くことへの迷い

――家族のことを書くことに対して、迷いのようなものはあったんですか?

 ありました。一つは、嘘と記憶の違いというのがわかんなくなっちゃったんです。エッセイを書けば書くほど、「これって本当にあの時お父さんやお母さんが言ったのかな」と思うことがあって。展開をわかりやすいように、読みやすいようにするために、偽の記憶になっているかもしれないし、私が大切な家族との記憶をエッセイとして外に出すことで、いろいろ付け足してしまっているかもしれないと思って、迷っちゃいました。

 特にお父さんのことは本人に確認することもできないので、悩んだんです。でも村上春樹さんの『猫を棄てる 父親について語るとき』を読んで、別に本当かどうかはわからなくても、それを書くことによって私がお父さんと過ごした日々を意味付けられたり、いまの自分を強くしたり掘り下げたりすることができればいいんだと気付いたんですよ。

 この本で、村上さんはお父さんと一緒に猫を棄てに行ったら、猫の方が先に家に帰ってきていたという話を書かれていて、その時にお父さんがちょっとほっとしたような顔をしたけど、その理由が分からないと言っています。でも、理由が分からなくてもそれはそれで謎めいた共有体験で、お父さんとの思い出。理由は分からないし、それをお父さんがどう思っていたかは分からないけども、村上さんがその時その場で感じたことはあって、それを言葉にして自分なりに結論づけることで、いま自分がここにいるということを確かめる作業をされているんですよね。

 たとえ本当のことじゃなかったとしても、思ったことを自分のために書くことは、何かしら私が前に進む意味があると思うようになりました。

――お母様や弟さんについてはどうでしたか?

 障害のある家族のことを書くことについて、私は、障害とか関係なく、単純にお母さんも弟もめちゃめちゃ好きで家族に起こった面白いことを書いていただけなんですけど、中には苦情のような反応もありました。

 「私も障害のある兄弟がいるけど、暴力も振るうし大変。岸田さんを見ていたら、とても幸せそうで、自分の人生が間違っていたように思えてしまう」「つらいこともあるのに、障害者がこんな風に楽しくて幸せだって思わせないでほしい。助成金が打ち切られてしまう」というようなものです。私が無責任に書いたことで、こんなに傷つく人がいるんだと思ってびっくりしたんですよ。

 私も本当はつらいこともたくさん見てきているんですけど、そんなことを書いても誰も面白くないから省いているんです。でも、省いちゃったことで「見捨てられた」と思っちゃう人がいるんだと知って、嫌われることも怖くてどうしようかと迷いました。一方で、障害がある家族のことを書く際に、「つらくて大変だけど頑張っています」ということだけを書くのもなんか違うとモヤモヤを感じていました。

 そんな時に写真家の幡野広志さんとお会いする機会があり、『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』を読んだんです。幡野さんからは家族の捉え方を教えてもらいました。本の中に「家族のかたちを選びなおす」という話があって、NASA(アメリカ航空宇宙局)の「家族」の定義を紹介しているんです。

――NASAでは宇宙飛行士の家族を「直系家族」(配偶者、子ども、子どもの配偶者)と「拡大家族」(両親、兄弟、親友など)に分けていて、スペースシャトルの打ち上げ時に特別室で見学ができるのは、本人に近い直系家族のみという話ですね。

 それを知って、幡野さんは「家族」って血のつながりに縛られるものじゃなくて、NASAのように自分で選んでいいものだと気づかれて、うまくいっていなかった親との縁を切ることを選ばれたんです。その話に感動して、お会いしたときに、さっき話した苦情のことを相談したら、「そのクレームは嫉妬」って言われたんですよ。自分で家族を選ぼうとしなかった人の嫉妬だから気にしなくていい、と。

 私はただ家族のことを愛していて書きたいと思っているだけで、障害があるから頑張っているとか、障害者を美しく見せたいといった理由で書いているわけでは全くないということ。だから、そういう苦情めいた連絡がきたとしても、そういう人たちは私のエッセイを読むことを選ばなくてもいいし、別の家族を選んだらいいと思えるようになりました。

――『ママ、死にたいなら死んでもいいよ 娘のひと言から私の新しい人生が始まった』は、岸田さんのお母様の半生を描いた本ですが、岸田さんが聞き書きをして3日間で書いたそうですね。

 お母さんが「報道ステーション」(テレビ朝日系)にコメンテーターとして呼ばれることになって、著書があった方がいいということになったんですよね。それで、正月休みなしでお母さんと頑張りました。

 面白かったのは、お父さんが死んだ時やお母さんが病気になった時とか、同じ出来事でも親子で思っていることが全然違うっていうことが分かったことですね。「死にたいなら、死んでもいいよ」という私の言葉は、実は適当だったんですよ。せっかく遊びにきているのに、なんでいま「死にたい」って言うんだよ、そんなこともう分かっているよって。でも、お母さんはこの私の言葉にめちゃめちゃ救われたみたいで、とらえ方は違うけど、結局お互いのことを思いやって信じていたら、いいようにとらえて生きていくんだなって思ったんですよ。

 親子って一番近くにいるのに一番語り合えない存在だと思っていて、なかなか本音が言えないと思うんです。「お母さんだったらそれくらい分かってよ」みたいな苛立ちとか甘えみたいなものもあって。そういうものが、この本を書くことで全部消化できたんですよね。過去の言動の意味が分かると信頼感につながりますよ。

迷ったりへこんだりしたとき、人に選んでもらった本が効く

――『もものかんづめ』は岸田さんのエッセイの原点のようなものなんでしょうか?

 『もものかんづめ』は、確かに昔読んだことはあったんですが、私のエッセイを読んでくれた人から「さくらももこさんを思い出した」って言われたんですよ。それで改めて読み返してみたら、家族のことを面白おかしく、でもちょっとむかつく感じで書いていて、この愛の配分はいいなと思って。こういうエッセイを書ける作家になろうと思いました。

 人生で迷ったり、立ち上がれなくなったりした時って、自分で選んだ本よりも、人に選んでもらったり、何か外からのきっかけがある本を読むと道が開ける気がします。村上春樹さんの『猫を棄てる 父親について語るとき』は文藝春秋の方に勧められて読んで、幡野さんの本もご本人に会う機会があるから読んだんですよね。

――『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』もそうですか?

 この本は前職の後輩がくれました。私がモラハラやDV気質の男性とばかり付き合ってて、あまりにもボロボロになっていた時に渡されたんです。AV監督の方が書いた本で、「恋愛のメンヘラやめろ」みたいな話かなと思っていたら、恋愛におけるコンプレックスは親からつけられた傷で決まっちゃうという内容でした。

 私の場合は、親から愛されすぎたことが逆にあだになっているんです。家族からはめちゃくちゃ可愛くて頭もいいって言われているのに、会社に行ったらそこまで愛されない。それにずっと傷ついていて、だから愛のよりどころを男の人に求めてしまって、無条件に私のことをべたべたに愛してくれる人を選んでいたんです。でも、そういう人ってやっぱりおかしいんですよ。関係性ができていないうちから愛情だけくれる人って、おかしいんですよね。

 この本は自己受容の話で、「愛されなくても大丈夫」「かわいくなくても大丈夫」っていうことを教えてくれる本です。これを読んでから、傷つく恋愛からスパッと縁を切れましたね。

褒められたければ、まず褒める

――自己受容といえば、岸田さんはお父さんの死、弟さんの知的障害、お母さんの病気と、置かれた状況に向き合ったうえで、「いまできること」を考えて生きているのはすごいです。

 うちの家族は“超ダイバーシティ”ですよね。私、両親から否定されたことってなかったんですよ。小学校の時、友達があまりできなかったんですけど、お父さんが「インターネットの向こうにお前の友達はおる。これで友達をつくるお前でもいい」って言ってiMacをネットに繋げてくれたり、勉強はできなかったけどタイピングはめちゃくちゃできたから、それで褒められたり。逆に、家族に受容されすぎて、社会がそこまで私を受容してくれないっていうことにずっと苦しんでいました。

――前職を2カ月休職されたのもそのギャップに苦しんで?

 私はもともと会社員らしいことができないんですよ。時間を守ることや、きめ細かい報・連・相とか。企画力や突破力はあるから、成果はあげられるんですけど、会社員は会社という組織の一人。守らないといけないルールがあるのも分かっていたんですけど、なぜだか守れなかったんです。それは私のだらしなさでもあるし、気質的なところもあると思います。だから仕事で怒られたり叱られたりすることも多くて、自尊心がどんどん下がっていっちゃって。

 そんななかで、仕事でもプライベートでもすごく信頼していた同僚から「岸田の仕事は雑だ、迷惑だ」というような悪口を言いふらされているのを聞いちゃったんです。身に覚えはあるだけに言い返せないけど、その同僚にまでそう思われているのかと思ったら、自尊心がぺちゃっとなってしまって。

 いま思うと学んだこともたくさんあるし、そこでしかできない経験もたくさんできたから会社にはすごく感謝しているんですけど、私には多分合っていなかったんだと思います。私は、自分が好きなことを、好きなタイミング、好きな場所で、好きな人たちに伝えるということの方が向いていたんですよね。

――人って「できないこと」ばかりを見てしまいがちです。「できること」に目を向けるコツのようなものはありますか?

 「2人以上から同じことを褒められたら、それは真実だ」ということです。これは私が思いついたと思いきや、漫画『宇宙兄弟』(講談社)のセリフにもあったらしいんですけど。多分、自分の長所や才能って自分では見つけられないと思うんですよ。だから、誰から何を褒められたのかというのをちゃんと見ておくことは大事ですよね。私の場合、noteでエッセイを書いて「読みやすい」と2人以上から言われたから、私のエッセイって読みやすいんだって初めて思えたんです。

 あとは「速い」。糸井重里さんや前澤友作さんが私のエッセイをSNSで褒めてくれたことがあって、面識もないのにすぐに連絡をしてみたんです。そしたら、「速すぎる」「速くてびっくりした」と言われて、速いって喜ばれるんだな、と。エッセイも起こったその日に書くから、読んでいる方も臨場感があるんだと思います。あとは、「誰も傷つけない面白い文章」というのも人から言われて気づいたことです。

 私は褒めてもらいたい方なんですけど、自分から褒めないと意外と褒められないものなんです。何かを本気で褒めると、全然違うところから次に自分が褒められたりする。私のnoteのエッセイも、大きな括りでいえば“褒め”なんですよね。褒められるためには、褒めるということを日常的にやっていくといいのかもしれません。

>「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」岸田奈美さんインタビューはこちら