日本のミステリー小説界で近年、「特殊設定もの」と呼ばれる作風が流行している。論理性に重きを置いた本格ミステリーに、超能力や幽霊を導入した一群の作品だ。今年の注目作は、斜線堂有紀(しゃせんどうゆうき)さんの『楽園とは探偵の不在なり』(早川書房)。天使が実在し、2人殺せばすぐ地獄行きの世界で連続殺人の謎を解く。
この小説で描かれる世界には、天使が、いる。ただし見た目は不気味で顔がなく、意思はないようにみえる。その天使が人間社会に与えたのが、2人目を殺した途端にその場で犯人を地獄に引きずり込む、という絶対のルールだ。
探偵の青岸焦(あおぎしこがれ)は大富豪に誘われ、天使が集まる常世島(とこよじま)を訪れる。孤島の館には代議士や実業家らが呼び集められ、「特別な催し」が開かれるらしい。しかしそこで、ありえないはずの連続殺人が起きる――。
斜線堂さんは2017年のデビュー以来、ライト文芸で多くの作品を発表してきたが、今回は初めてのハードカバー。「デビュー作を読んだ編集者がそろって『君は本格ミステリーを書いた方がいい』と。自分もずっと読んできた分野だったので、挑戦してみたい気持ちがあった」と話す。
1993年秋田生まれ、埼玉育ち。小さい頃はからだが弱く、青い鳥文庫や星新一を片端から読んだ。はやみねかおるさんの作品で推理小説と出会い、「虹北恭助(こうほくきょうすけ)」シリーズを追いかけて講談社ノベルスへ。同社のミステリー雑誌「メフィスト」「ファウスト」出身作家を知った。
00年代半ば、舞城王太郎、佐藤友哉、西尾維新ら各氏が前衛にいた。社会派推理小説の勢いがあった80年代後半に謎解きを重視した「本格」に立ち返った「新本格」の流れをくみ、さらに遊戯性を押し出した作家たち。なかでも、中学1年で読んだ佐藤さんの『フリッカー式』に衝撃を受けたのが、小説家を目指すきっかけだ。
現在の「特殊設定」ブームを支えるのは、斜線堂さんのように新本格で産湯を使い、おきて破りぎりぎりの作品を楽しんできた書き手たちだ。当事者の一人としていま感じるのは、「書き手が解放された」という感覚だという。
『楽園とは~』にはSFの影響が色濃いが、「超常現象が起こっても『本格』なんだということに、読者がついてきてくれる土壌ができた。それを書き手も強く意識して、自由にやってもいいと思えている」。
この世代の共通点は、特殊設定を用いても、論理の整合性を手放さないことにある。「私も読者として、『確かにそうだったな』と思わせてくれるものが好きだった。新本格が好きな書き手は、みんなそうだと思う。それが巡り巡って、いまのロジック重視につながっているのでは。新本格のミーム(文化的遺伝子)が後世に渡ったということだと思っています」
奇想×論理、「特殊設定」ブーム 鍵盤を一つ増やした若い世代
奇想と論理を組み合わせたミステリーは「新本格」の初期からあるが、現在の潮流は、昨年映画化もされた今村昌弘さん『屍人荘(しじんそう)の殺人』(2017年、東京創元社)に端を発する。相沢沙呼(さこ)さん『medium 霊媒探偵城塚翡翠(じょうづかひすい)』(19年、講談社)は「霊媒」をモチーフに、こうしたブームを逆手に取るような展開で大きな話題となった。
今年も刊行が相次ぐが、注目はアンソロジー『ステイホームの密室殺人』(星海社)。現実のコロナ禍を「特殊設定」と捉え、2巻にわたり計11人の作家が短編を寄せている。編集を担当した太田克史さんが、緊急事態宣言下の4月末に発案。「異常な状況下で出てくる新しいものに対して、ミステリーは通俗小説だからこそビビッドに反応できるはず」と考えた。
星海社の社長でもある太田さんは、かつて講談社で「メフィスト」の編集にかかわり、03年に「ファウスト」を創刊、編集長を務めた。いまの特殊設定ブームをどう見ているのか。尋ねると、音楽に例えてこう語った。「新本格ミステリーはコードを使っていかに華麗に弾くかが完成度の高さとされ、リストの超絶技巧練習曲を完璧に弾きこなすような人ばかりが牽引(けんいん)してきた。だから行き詰まった部分もきっとある」
そこで若い世代は、「鍵盤を一つ増やした。それで先人たちが弾けなかった曲を弾こうと」。あらかじめ絶対的なルールを提示するスタイルには、ゼロ年代から流行する「デスゲームもの」の影響も指摘。「現実に何かもう一つ別のレイヤー(層)を足して、そこで物語を紡ぐ。その試行錯誤が本格ミステリーにも導入されたということは言えると思います」と話した。(山崎聡)=朝日新聞2020年10月28日掲載