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「悪党たちの大英帝国」書評 王殺しや金権政治家の業績とは

評者: 呉座勇一 / 朝⽇新聞掲載:2020年10月31日
悪党たちの大英帝国 (新潮選書) 著者:君塚直隆 出版社:新潮社 ジャンル:新書・選書・ブックレット

ISBN: 9784106038587
発売⽇: 2020/08/26
サイズ: 20cm/316p

悪党たちの大英帝国 [著]君塚直隆

 今年の5月にアメリカのミネアポリスで発生したジョージ・フロイド殺害事件をきっかけとして、BLM(ブラック・ライブズ・マター)運動が全米で盛り上がりを見せた。その波はイギリスにも押し寄せ、ロンドンの国会議事堂を見下ろすウィンストン・チャーチル像は「人種差別主義者」と落書きされた。
 確かにチャーチルは植民地支配を肯定する帝国主義者で、アジアやアフリカの人々に対する差別意識を終生持ち続けた。しかし著者は、本書で二つの言葉を引いている。19世紀イギリスの伝記作家レズリー・スティーヴンの「偉大さとはその者の業績の善悪で決まるものである」と、同時代のイギリスの歴史家アクトン男爵の「偉大な人物というのは大概いつも悪党ばかりである」だ。
 本書は、大英帝国の形成から崩壊に至る歴史を、7人の政治指導者を通じて描き出したものである。王妃と離婚するためにイギリス国教会を作ったと揶揄(やゆ)されたヘンリ8世は、ローマ教皇の権威からイギリスを解放し、「主権国家」のさきがけとした。王殺しを非難されたオリヴァー・クロムウェルはアイルランドとスコットランドを征服して複合国家を初めて形成した。名誉革命でやって来た「外国人王」として不人気だったウィリアム3世はイギリスを一流国に押し上げた。アメリカ独立に断固反対したジョージ3世は立憲君主制を定着させた人物である。
 2度のアヘン戦争を主導したパーマストン子爵は、一方で大西洋から奴隷貿易を一掃した。金権政治を批判されたロイド・ジョージは社会福祉に取り組み第1次世界大戦を指導した。そしてチャーチルは、世界をナチスから救った。
 人物史は古典的な研究であり、著者の言葉を借りれば、歴史学界の最新の潮流から外れた「時代遅れ」のものである。けれども本書を読むと、やはり一個人が歴史を大きく変え得る、との思いを禁じ得ない。
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きみづか・なおたか 1967年生まれ。関東学院大教授(イギリス政治外交史)。著書に『立憲君主制の現在』など。