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高橋源一郎さん「たのしい知識」インタビュー 大学教授経験を元に「質問する力」の教科書

高橋源一郎さん

 作家の高橋源一郎さんが大学教授としての14年間の経験から重要だと考えるようになったのは、「質問する力」だという。大学を離れ、いま私塾作りを模索する。新著『たのしい知識』(朝日新書)は、その「教科書」でもある。

豊かな応答、問題の本質に迫る

 昨年、2005年から勤めた明治学院大学を定年退職した。小学生の頃から学校には「何のために勉強するのか答えてくれない」という違和感があり、大学にもほぼ通っていない。教授の職を引き受けてから、自らが作家になった経緯を顧みて試行錯誤を重ねた。

 ゼミでは、憲法学者の長谷部恭男さんや哲学者の鷲田清一さんをゲストに招き、学生たちと4~5カ月かけて準備した。「いい質問には、ほんとうのプロは素晴らしい回答をしてくれるはず。そして、その応答が実現できれば、豊かな場所ができる」。それが高橋さんがたどり着いた「ひとつの教育の形」だった。

 質問する力は応用が利く、という。「最終的に、その力を自分に向ければいい。『君はこの生き方でいいと思ってるか』とか『この社会について何も考えてないのか』という質問を自分にできるようになっていれば、この社会の中で生きていけるでしょ」

 14年間で大学は大きく変わったと感じる。「かつては世俗権力に立ち向かうことが『知』の役割だったのです。いまは、教育は国家のための存在になってきている。大学も、何より社会の要求ばかり気にするようになった」。学術会議の任命拒否問題も、そうした大学の衰退と地続きとみる。

 大学が失いつつある「アジール(聖域)」の役割を、「私塾」が担えないか。模索するなか、『たのしい知識』は、その「教科書」と位置づける。

 選んだテーマは、憲法と天皇、朝鮮半島、コロナ禍といずれも重い。「今の社会に深い影響を与えている問題ですよね。にもかかわらず、答えが紋切り型になりがちだから、という理由もあります」。護憲か改憲かに終始しがちな憲法を巡っては、各国の憲法前文を並べて日本の特殊性に迫っていく。そして、長谷部さんら専門家の議論を参照して複数の立場を示した。「自分だけのオリジナルの憲法論を作ってみる。それが、何かを『考える』ということじゃないかな」

 専門家の知識を引き出すだけでなく、先行する文学者の想像力を道しるべに問題の本質に迫る方法も示す。考える過程で、作家や詩人の文章が参照される。

 日韓問題では、中島敦の作品を引いた。植民地となった朝鮮で宗主国のための巡査として働く主人公の葛藤を描く。「極限状態で書かれた文学は、植民地について考えるどんな論文よりも、遠くに行くことができる。その時代や、人々の心の奥ひだまで、言葉を届かせることができる」。逆に、誰も考えていないだろうというところに、すでに文学者が行っていることが多いという。

 コロナ禍では、カミュの『ペスト』に注目が集まった。第2次世界大戦のメタファーとして書かれた作品が、むしろ感染症の物語として読まれた。カミュは、すでにコロナ禍の現場に行っていたのだ。「そして、いま、ぼくたちが言葉そのものに侵され、感染してゆくことの恐ろしさをも、描いているように見えます」

 答えはわからなくても、問題があることはわかるはずだ。先人が到達した場所に付いていき、そこで「いい質問をする」ことが大事だ。「その結果は、疑問が深まるだけかもしれない。そして、さらに前に進んでゆく。それが『知』であり、そんなものの集積が『文化』なんだと思います」(滝沢文那)=朝日新聞2020年11月18日掲載