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「正義と差異の政治」書評 集団間の支配や抑圧を問い直す

評者: 宇野重規 / 朝⽇新聞掲載:2020年12月12日
正義と差異の政治 (サピエンティア) 著者:アイリス・マリオン・ヤング 出版社:法政大学出版局 ジャンル:政治・行政

ISBN: 9784588603600
発売⽇: 2020/09/28
サイズ: 22cm/372,30p

正義と差異の政治 [著]アイリス・マリオン・ヤング

 コロナ禍において「BLM(ブラック・ライブズ・マター)」運動が起きたことは象徴的であった。パンデミックは人を等しく襲うように見えて、どの階層や集団に属するかによってダメージは異なる。危機にあっては、より弱く不安定な立場に置かれた人が、より大きな危険にさらされる。米国における構造的な人種差別が浮き彫りになった瞬間であった。
 本書は、惜しくも早逝(そうせい)した米国の女性政治哲学者の代表的著作であり、現代正義論と批判理論をめぐる極めて包括的な理論書である。ロールズ以降の正義論はもちろん、フーコーやデリダのポストモダニズム、フェミニズムとマルクス主義、参加民主主義論を統一的な視座から総合する豊かな作品が、丁寧な日本語訳で読めるようになったことを喜びたい。
 とはいえ、この学術的著作に脈打つのは、現実に対する著者の熱い思いだ。現代正義論の中心テーマは、物質的な財や社会的地位がいかに分配されているかという問いである。それ自体は正当だが、不偏性や中立性が強調されるあまり、現実の集団間に存在する支配や抑圧がしばしば見落とされる。女性や同性愛者、多様な少数派が現に被っている搾取や無力化、周辺化にはたして政治哲学は向き合っているのか。著者はあらためて問い直す。
 もちろん本書は集団間の対決を煽(あお)るものではない。集団による差異を前提に、そのような集団を固定的、本質主義的に理解するのではなく、むしろ集団相互の関係性において捉えようとする点に著者独自の視点がある。集団間の不正義を克服していくことで、そのような関係性が変化していく可能性もある。本書は可能性の政治哲学である。
 重要なのは、ここで展開された議論を日本の現実とつき合わせてみることだろう。日本社会に厳然と存在する不正義を乗り越える鍵と勇気を、本書は提供してくれるはずだ。
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Iris Marion Young 1949~2006。米シカゴ大教授などを務めた政治哲学者。著書に『正義への責任』など。