鉱物で覆われた世界への憧れ
――『観念結晶大系』は、至高の世界を感じ取った人びとの運命を、壮大なスケールで描ききった幻想小説です。3つのパートからなる長編ですが、着想の出発点を教えていただけますか。
もともと書きたかったのは「精神の時代」と題した第二部です。二人の少年が「ヴンダーヴェルト」と呼ばれる結晶や鉱物で覆われた世界を探索してゆく、ファンタジーのようなパートですね。ヴンダーヴェルトは自分にとっての理想郷でもあります。有機物のほとんど存在しない世界で、精神だけになった学者のような暮らしを送る、鉱物好きにとっては夢の生活がそこにある(笑)。こうした世界を想像したのは稲垣足穂やノヴァーリスの影響ですが、ドイツロマン派の重要テーマだった恋愛的要素は省きました。ここに生々しい人間の感情は不要と思って。とはいえ主人公の少年二人には、ほのかにBLっぽいところがありますけどね。
――「精神の時代」は、あるアメリカ人が夢を記録した大著『ヴンダーヴェルト』からの抜粋、という体裁になっていますね。
ハイファンタジーと呼ばれる異世界小説は、ジレンマを抱えたジャンルだと思います。どんなに現実とかけ離れた別世界を想像しても、それを描写するためには人間の言葉を使わざるをえない。しかもたとえば「岩」と書いたら、読者の頭に浮かぶのは、異世界の岩ではなく現実世界の岩です。そのジレンマを解消するために、ヴンダーヴェルトは荒瀬正樹という人物が創造し、マイレンシュタインという異国の人がそれを夢に見て現実側の言葉で記録した、ということにしました。そして第一部では、正樹のビジョンがどのように発生したのかという経緯、前日談にあたる部分を書くことにしました。
浮かびあがる「石的」精神の系譜
――「第一部 物質の時代」では、1980年代の東京、1965年のコロラド、1883年のハイデルベルク……と、舞台が次々に移り変わります。そこで描かれてゆくのは、地上を離れた理想を求める芸術家やアウトサイダーたち。東京の塾講師・正樹はある生徒から、至高の結晶が輝きを放つ世界を感じ取る方法を教えられます。
第一部はゆるく繋がっている連作です。至高の世界を求めた人たちがたくさん出てきますが、それぞれ言っていることが微妙に違う。重なっているところもあれば、異なっている部分もあって、全体を俯瞰することでひとつの答えが導き出されるという構成です。正樹が出てくるパートは、以前アンソロジーに寄稿した「クリスタリジーレナー」という短編が原型。20年以上改稿をくり返した作品なので、これまで書いてきた作品の要素があちこちに散りばめられています。
――球形の水晶を掘り出した作家ノヴァーリス、「人間の限界を超えた結晶のような存在」についての大著を記す哲学者ニーチェなど、実在の人物も多数登場し、結晶をめぐるドラマに関わっていきます。
エピソード自体はフィクションでも、基本的には史実を曲げずに書いています。ノヴァーリスは「鉱物志向者」として有名ですが、ニーチェやユングにしてもその思想には鉱物や結晶の世界を感じさせるものがあります。第一部では結晶や鉱物で結ばれた、ひとつの精神の系譜を示してみたかった。読者にそう感じてもらえたら成功ですね。
――結晶の世界に到達するヒントは、ブルックナーの音楽やシュルレアリスムの絵画にも隠されている、とされています。ブルックナーは高原さんお気に入りの作曲家ですね。
『不機嫌な姫とブルックナー団』という小説を書くくらいに好きです。ブルックナーはロマン派に分類されていますが、繊細な感情表現がありません。朴訥で厳めしくて、どこか「人でなし」な感じがする(笑)。いきなり轟音になるし、同じフレーズをしつこくくり返すしね。そのコミュ障っぽい部分に、「石的感情」を感じます。アランという名前で登場するシュルレアリスムの画家は、イヴ・タンギーがモデル。タンギーの描く異世界めいた光景も、とても鉱物的なものと思います。
若者たちが石化していく世界で
――「第三部 魂の時代」で描かれるのは、石化症という奇病が発生した世界。この病に罹った若者たちの体は、少しずつ白い石に変わってゆきます。
この部は「群像」に書いた「石性感情」という短編がベースになっています。第一部と第二部は鉱物と人間の直接の接点があまりないので、人がそのまま石になるという展開を書いておきたかった(笑)。石化症という発想の原点は、半村良の伝奇ロマン『石の血脈』あたりですね。半村良の作品では、特別な病にかかった人が最終的に石のような身体となることで永遠に近い生命を得る。石化症も石になるというイメージとともに、無限に時間が引き延ばされていく、という側面を重視しています。
――『結晶世界』などを書いたJ・G・バラードのSF小説も連想しましたが。
自分ではバラードの退廃的な世界観とはややニュアンスが異なると思っています。悲惨なことがたくさん起きる小説ですが、この小説はよりよい世界に向かおうとする精神を描いているつもりで、バラード的なデカダンスの要素はありません。
――秘かに伝えられ、世界に広まってゆく「観念結晶」。しかし究極の真実へと向かうイメージの力は、やがて世界に思わぬ事態を引き起こします。
まだ人間はイデア的世界を地上に再現できるほどのレベルに達していない気がします。至高の世界を実現しようとしても、きっとどこかで失敗する。その原因はおそらく、人間の抜きがたい高慢でしょう。自分を崇拝せよ、という気持ちがわずかでも入りこむと、輝かしい世界は全体主義へと転落してしまいます。
鉱物は永遠に近しいもの
――登場人物たちのように、超越的な世界に惹かれる部分は、高原さんご自身にもありますか?
あります。けれども澁澤龍彦さんが『異端の肖像』で紹介している異端者のように、人倫を踏み外してまで理想を追い求めようとは思わないですし、生活者としての小さな幸せや希望を捨てるつもりもありません。でも最近は政治方面に残念な出来事が多すぎて、こんな世界を捨ててどこか向こうに行ってしまいたい、と思うこともしばしばです。
――高原さんは『書物の王国 鉱物』という石文学のアンソロジーも編まれていますが、結晶や鉱物のどこに惹かれるのでしょうか。
生きもののように変形しないところですかね。硬くて、冷たくて、人間の生々しい感情が入りこむ余地がない。自分には永遠に近いもののイメージがあります。この本の序章で、修道女ヒルデガルトが、人間は不完全で堕落したものだが、輝く宝石には希望があると言っていますが、その感じに近い。これはあくまで想像の世界で、実際には結晶も石もすぐに欠けちゃったりするんですけどね。
――そうした趣味は幼い頃からですか?
ええ、理科が好きな子どもで、珍しい石を掘りに行ったりもしました。ただ所詮は遊びのレベルで、専門知識があるわけではありません。鉱物のアンソロジーを編んでいるのに未だに全然詳しくなくて、終始イメージだけの憧れです。稲垣足穂は盛んに宇宙について言及しますが、専門的な知識はそれほど持っていませんね。想像に想像を重ねてできあがった、足穂宇宙でしかない。僕も似たようなものです。自分なりの鉱物幻想を書ききったのが、『観念結晶大系』です。
澁澤・中井に見いだされて
――高原さんのデビューは、雑誌「幻想文学」が主催していた幻想文学新人賞。澁澤龍彦と中井英夫が選考委員を務めていた新人賞ですが、やはりこのお二人の存在は大きいですか。
澁澤さんと中井さんは1960年代から70年代にかけて、今日幻想文学と呼ばれるジャンルを確立し、定着させたお二人です。もちろん好きですし、影響も多大に受けています。ただ作風をそのまま受け継げるのか、というと難しいところがある。中井さんの世界はロマンティックで感情表現が濃厚過ぎますし、逆に澁澤さんはあっさりし過ぎています。よく澁澤・中井と並び称されますが、作風は対照的です。自分はそのちょうど真ん中くらいを目指したいと思っていますが。
――高原さんは評論家としても活躍されていましたが、現在は小説家としての活動がメインですね。
もともと小説家志望で、評論家になろうとは思っていなかった。たまたま書けるテーマが見つかったので、それに数年使ってみたという感じです。これまでの読書経験をもとに評論活動を続けるのは、自分にはたやすいことです。ただそれは評論家として正しいあり方ではないと思います。評論家を名乗るからには常に最新の作品を追いかけて、新しい可能性を見出していくのが本来でしょう。僕はそのエネルギーを、自分の作品を作るために使いたい。評論方面では納得できる成果を残せたので、もう打ち止めにしようと思います。
望むのは人間の域を超えたもの
――ホラー小説『闇の司』に代表されるような、ゴシックで残虐趣味に溢れた作品も書かれています。それらのダークな作品と、『観念結晶大系』はどんな関係にあるのでしょうか。
『観念結晶大系』を読んでくれた方が、『闇の司』を手に取ったらあまりの違いに驚くかもしれません(笑)。だとしたら申し訳ないような気もしますが、ただこの二つは、崇高さという点で共通しています。光ある方を目指すのも崇高なら、地獄より深いところを目指すのもまた崇高。人間の域を超えたものを望みます。分かりやすく言うなら、足穂と乱歩の両方に向かっている。足穂を目指すか乱歩を目指すかで、作風が白くなったり黒くなったりするということです。足穂方面は『観念結晶大系』でやりきることができたので、来年以降は黒い作品にも力を入れるつもりでいます。
――それは楽しみです。ではあらためて『観念結晶大系』について、読者に一言お願いします。
「観念結晶」という別世界の鍵を通して、理想とは何なのか、人は理想を持たずに生きていけるのか、ということを書いた小説です。その意味では思弁小説ですし、幻想小説でもあります。
この小説がどう受け止められるかで、今後の作家としての在り方が決まってくるように思います。文字どおり試金石でしょう。ツイッターの反応を眺めていると、幸いなことに好評のようで、やはり石や鉱物が好きな方は反応してくださるのだと嬉しく思いました。ほかにもたとえばノヴァーリスとニーチェとブルックナーに共通点を見いだせる人なら、きっと楽しんでもらえると思います。