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問診票の性別欄はなぜ男と女だけ? 看護師の木村映里さんが現場で感じたマイノリティの問題を一冊に

文:若林良、写真:北原千恵美

パートナーの同意書が許可されない現実

――『医療の外れで』は看護師の木村さん自身が出会った「マイノリティ」の人たち、たとえば恋人を亡くしたセクシュアルマイノリティの方や、アルコールなど依存症に苦しむ患者さんのエピソードが紹介され、また、彼らと医療従事者との「すれ違い」が描かれます。

 セクシュアルマイノリティの方であれば、問診票の性別欄が「男」と「女」しかなかったり、パートナーの手術の同意書を許可されなかったりすることがあり、医療現場でのマイノリティへの認識や制度がまだまだ追い付いていないと思っていました。また、セクシュアルマイノリティの人や性風俗産業で働いている人が、医療現場や社会で十分な理解や保証を得られていないのも事実です。マイノリティの人と医療従事者の間には、何か大きな分断があるのではないか。そうであれば、私は各々の生きる背景を言葉によって繋げたい。そうした思いが、この本の原点であったように思います。

――本では「生活保護」「依存症」など9つのテーマに焦点を当てていますが、それぞれがきわめて個別的・具体的で、それだけ切迫感の伝わる内容となっています。木村さんはどういうきっかけから、本を書きたいと思うようになったのでしょうか。

 日々の仕事の中でマイノリティにまつわる問題は感じていたのですが、最初は「これが伝えたい」というよりは、何かを書くことが自分の表現方法としてフィットしていることに気づいたから、書きはじめた感じでした。その中で、医療について知ってもらわなくてはいけないこととか、傷ついている人のことを軸に書きたいと思うようになっていきました。

 これまでもnoteなどでいろんな記事を執筆していて、タトゥーの話をしたかと思えば生活保護の話にいったりもして、テーマはばらけがちではあったのですが(笑)、社会のマイノリティについて書くという軸はあって、そうした問題を包括的に提示したいと思っていました。そのような本があれば、医療の中でも便利かなとも感じていて。

 専門書であれば、生活保護や院内暴力など一冊まるまるその問題について扱うことになりますけど、なかなか一般には普及していかないですよね。広く浅くでも、さまざまなマイノリティの問題の概要を知るための本をあまり見たことがなくて、私は広範囲に目配せをするような役割を担いたいと思いました。

ほかの誰かへの想像力を持つために

――第3章では暴力をふるう入院患者について語られます。その原因は本人の感情の昂ぶりのみではなく、意識障害の一種であるせん妄が作用している場合もあり、また患者さんが置かれているストレスフルな環境や、暴力が日常的なコミュニケーションとなっている世界があることについても思いを巡らせています。「患者は暴力をふるわないものだ」「暴力はよくない」などと断定するのではなく、自分の立ち位置について常に悩み、葛藤する姿勢が感じられるのが、この本の大きな魅力だと思いました。

 その人、もしくはことがらを単純な、一面的な存在として見るのではなく、複雑な存在として見ることが大事なんです。それに尽きるのではないかと思っています。

 たとえば、2015年に、大阪市のタトゥーアーティストが客に対してタトゥーを施した行為が医師法に違反するのではないかと逮捕・起訴された事件がありました。タトゥーを施す行為が「医業」かどうか、医業であるのなら医師免許があるのかどうかといったことが争点になったのですが、一審では有罪判決となったものの、二審では逆転無罪判決となりました。つまり、タトゥーアーティストの活動が医療とは別の、尊重すべき活動であることが実証されたのです。

 私が許せなかったのは、知人の医師たちが飲み会のネタとして、「医師免許が必要になったし、タトゥークリニックでもやる?」と笑いながら話していたことでした。私は以前、タトゥーをめぐる世間の認識や当事者の方たちの思いについて、実際にタトゥーアーティストの方にも話を聞いたうえで記事を執筆したことがあるのですが、タトゥーアーティストの方たちは、それぞれの誇りや思いを持って日々の仕事にあたられています。それを「タトゥー」という言葉の印象だけで土足で踏みにじっているように思えて、やるせない思いになったんです。

―― そうした姿勢はまさに、さきほど木村さんがおっしゃった「一面的な存在として」、つまりあまり情報のないまま、単純な存在として何かをとらえるということにつながりますね。しかし、本の中での木村さんは一貫して、できるだけさまざまなケースを深く見ることに注力しています。たとえば依存症ひとつをとっても、具体的なエピソードに加え、病気の特色や社会的なイメージ、医療が追い付いていない点など、さまざまな側面から語られています。

 なぜそうなったかは、私自身が「一面的に見られた」経験も作用しているかもしれません。本の中にも書きましたが、コロナ禍がはじまり、昨年3月には医療機関での院内感染のニュースが相次ぐようになりました。それは私の勤務先でも十分に起こりえることだ、という思いに怯える中、医療従事者ではない友人から「雑な管理してたんじゃないの」と言われました。私は「どんな気持ちでこっちが病院にいるか、何にも知らないくせに」と友人を怒鳴りつけ、いつしか自分も泣き出していました。

 彼は冗談のつもりで、悪気はなかったとは思います。また、非医療従事者に向けて「何にも知らないくせに」なんて言ってはいけないことですし、その点では私も反省しています。ただ、もし彼が、当事者たちがそれぞれのフィールドで葛藤していることを実感できていたら、そのようなことを口にはしなかったでしょう。

 この本に出てくるマイノリティの方をはじめ、ほかの誰かへの想像力を持つために、実際には当事者の方たちに触れて実感を得ることが一番です。ただそれもなかなか難しい。実体験の次の近道は、本を読むことですね。本からさまざまな自分にはない体験に触れて、それである程度は、前に進むことができるとは思います。

傷ついても、鋭敏でありたい

――看護師という職業は、日常的に生死に関わるので心の負荷は大きいと思います。患者さんを看取られた経験や、木村さんもうつ病を発症された経験について本の中では語られていますが、メンタルケアはなされているのでしょうか。

 病院にカウンセラールームのようなものはありますけど、それはしんどくなったら行ってね、みたいな感じで、定期的な制度として確立しているものではありません。またストレスの原因が仕事の場合、同じ職場にいるカウンセラーの人をどこまで信頼して話せるのかもわからない。看護師のメンタルケアを制度として確立させるのはちょっと難しいかもしれません。

 ですので、本当に上の立場の人の性格や裁量によって、働きやすさは大きく左右されるとは思います。上の立場の人がパワハラ気質だったら、自然と下の人にもそうした気質は受け継がれますし、虐待の連鎖は容易に起こり得ると思います。私の職場の場合、師長がとてもセンシティブな方で、何かトラブルが起きても、スタッフ個人のせいにすることはありません。全体の調和をよく考えてくれて、それがメンタルケアにつながっているところはありますね。

――日々、木村さんが心の安定のために心がけていることはありますか。

 私自身は、「書くこと」によって救われていると思います。自分の経験を書くことによって、これによって自分はどうなったかとか、ゆっくり咀嚼して、心を浄化させることができる。

 自分の経験を解釈なしで、ただ機械的にこなすだけになると、心が鈍くなってしまう。心の安定のためには、感性のチューニングを一段階下げるという方法もあるとは思いますけど、それだと自分が傷つきにくくなるかわりに、他の人の痛みにも気づかなくなってしまう。ですので、苦しくても自分が鋭敏であろうとする努力は、今後もやめたくはないですね。

「ナルコレプシー」という病気

――今後、どのようなテーマで本を書きたいですか。

 ナルコレプシーで一冊書きたいと思います。本の中にも書かせていただいたのですが、居眠り病とも呼ばれる、日中の耐え難い眠気(睡眠発作)や急に力が抜ける情動脱力発作、夜眠ろうとするときに起こる入眠時幻覚・睡眠麻痺(金縛り)を主な症状とする睡眠障害で、私自身もその当事者です。患者さん自体もそこまで多いわけではないので、一般にはあまり知られていませんし、本人のやる気の問題と解釈されて、診断が為されていないケースも多いと思います。

 病気自体の存在を知らしめるということもそうですし、ナルコレプシーの必要以上にネガティブな解釈もなくすようにしたい。私自身、普通に仕事もしていますし、責任の大きな仕事はできないかと言えば、そういうわけでもありません。もちろん、症状の重さや軽さはありますけど、主治医との相談や職場の配慮によっても、全然変わってくるんです。

 このように、ちょっと言葉をかじっただけではわからない、本質的なところを掘り下げていくような本を執筆していきたいと思っています。

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