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「物語の近代」書評 複数化する「ことばをもつヒト」

評者: 石川健治 / 朝⽇新聞掲載:2021年01月23日
物語の近代 王朝から帝国へ 著者:兵藤裕己 出版社:岩波書店 ジャンル:文学論

ISBN: 9784000253260
発売⽇: 2020/11/19
サイズ: 20cm/308,4p

物語の近代 王朝から帝国へ [著]兵藤裕己

 意識と想像力のなかで蘇(よみがえ)る「記憶の場所(トポス)」としての「むかし」とは、「いま」と背中合わせの「異界」であり、対象を明示的に言挙げできない「もの」だ。そうした言語化・分節化されない「もの」のざわめきに、声(ことば=ロゴス)を与える発話行為が、近代の「物語」とは区別された意味での「ものがたり」である。
 この「社会に共有された知」「社会を成り立たせる法」としての声と知の世界に、自らを「同調・同期」させる語り手は、自己同一性を失い転移と複数化の果てに、記憶を伝承する「匿名的で集合的な主体」を現出させる。琵琶法師の如(ごと)く韻律と定型に習熟した語り手のみがそれを可能にする。
 男性的自我を前提とする作者概念成立以前の、それゆえ女性の言語や法号で発話される「もの」については、作者と読者の区別がない。それを「作者の死」などの常套句(じょうとうく)で矮小(わいしょう)化しがちなポストモダン思想に対しては、著者は20世紀の「無機的な外観をもつ印刷形式」に規定された思考様式として切って捨てる。著者の関心は、ことばをもつヒト(ホモロクエンス)の生存の場所として、その多義性と複数性を取り戻すことにこそ向けられている。
 それゆえ、「古典」確立のために「正本」の特定を求める文献学の、政治性が批判される。しかも、それに伴う「作者」概念の確立は、韻律と定型を失った言文一致体と「私」小説の成立に寄与する一方、作者の自己同一性を強要されるようになった物語が、その「起源」と「主体」としての「国民」形成に逆用される事態を招いた。
 日本では、天皇の臣民という法制度の設計を超えて、天皇の赤子という擬制血縁的な国家モラルが、四民平等の「国民」形成と植民地帝国の拡大に貢献したが、歴史学よりは歴史小説の「物語」が、小説家夏目漱石よりも浪曲師桃中軒雲右衛門の「声」が、それを促進したことに著者は注目する。では言文一致体の法律の嚆矢(こうし)となった日本国憲法は如何(いかん)。考えさせられる。
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 ひょうどう・ひろみ 1950年生まれ。学習院大教授(日本文学・芸能論)。著書に『太平記〈よみ〉の可能性』。