小学生の低学年くらいの頃だと思うが、サンリオのいちご新聞の存在を知り、サンリオに行く機会があると買ってもらっていた。いちご新聞で何よりも楽しみにしていたのは、青山みるく先生の連載「みるく・びすけっと・たいむ」だった。サンリオのキャラクター以上に、こんなにかわいい世界があるのかと、当時の私は脳天を打ち抜かれるくらいの衝撃を受け、新しい新聞を手に入れ、彼女のイラストが目に入るたびに、その衝撃を毎度繰り返していた。
その後、「みるく・びすけっと・たいむ」の連載がまとめられた同タイトルの本も、ある日偶然本屋で見つけて買い、事あるごとに見返していた。今も持っているが、すでに絶版である。それに、このシリーズは二冊出ているのに、私が持っているのは一冊だけだ。あの頃ネットがあったら調べて絶対に手に入れていたのにと遠い目になる。連載をすべて納めた愛蔵版をどこかの出版社で発売していただけないだろうかとずっと思っている。
青山みるく先生といえばいちご新聞、と脳裏に深く刻み込まれていた私は、ある日、本屋で『すてきなケティ』という本に出会い、表紙を見てまたまた衝撃を受けた(衝撃、衝撃と大袈裟だと思う人もいるかもしれないが、かわいいものへの経験値や耐性があまりないこの頃は、本当に一つ一つの出会いが衝撃だったのだ)。全部で四冊刊行されていたこのシリーズのイラストは、なんと青山みるく先生が担当していた。もちろん迷うことなく家に連れて帰ったのだが、私はこの本そのものに夢中になった。
十九世紀、ルイザ・メイ・オルコットの『若草物語』がベストセラーになった四年後に第一作目が出版されたこのシリーズは、ケティというお転婆な女の子が家族とともに成長していくお話なのだが、日本の田舎に住んでいる私には彼女たちの生活がことさら眩しかった。
この物語の特徴の一つに、プレゼント攻撃がある。主な登場人物は皆、上流階級や名声に憧れたりしない、慎ましく、気持ちのいい人たちばかりなのだが、大切な人に贈り物をする時の“愛の重さ”がいい。怪我をして寝たきりになったケティに従姉妹のヘレンが毎週のように送る小さなプレゼント(鉛筆で走り書きした手紙、楽しい本や雑誌、部屋の小さな飾り…)。ケティが船旅に出ると、友人のローズ・レッドは船の係員にその間毎日一つずつケティに渡してくれるようにと、日数分の手紙や小包を託す(緑色の表紙のエマーソンの詩集、万年筆の入った箱、においぶくろ、いいにおいのスミレせっけん…)。
最も好きな三作目『すてきなケティと寮生活』に出てくる、家族と遠く離れクリスマスを過ごさないといけないケティと妹のクローバーのもとに、家族からの贈り物や手作りのお菓子や果物や花が詰まった二つの箱が届く場面は、これでもかと細かく描写される箱の中身に興奮して、何度も読み返した。明け方、我慢できずに起き出したケティが手探りで見つけた、寒さで凍りかけた「指輪のように指にはまる、まんなかに穴のあいたまるいおかし」(ドーナツ?)をクローバーとともになめながら夜明けを待ち、次の日、学校中の人たちに惜しみなくお菓子をお裾分けして、いい人すぎるだろと学校の伝説になるところなど、今読むと、愛のダイナミズムを感じる。あの頃の私は、凍りかけのお菓子を食べてみたくて仕方なかった。小さいドーナツを冷凍庫で凍らせればよかったと思うのだが、なぜか思い至らず、本の中の、遠い世界に憧れてばかりいた。