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ああ、駅弁 浅田次郎

 講演。現地取材。サイン会。シンポジウム。会食。

 この一年、そうしたスケジュールがきれいさっぱり消えた。よって作家本来の「読み書き」に専念できたのだが、だからと言って仕事が捗(はかど)ったとも思えぬ。リズムが摑(つか)めぬのである。

 キャンセルだらけの手帳を繰って、それら「外仕事」の多さに今さら呆(あき)れた。予定通りであったのなら、およそ一年の半分は書斎にいない。

 そこでハタと思い当たった。その間、新幹線にも飛行機にも乗っていないではないか。会食どころか外食もしていないではないか。とたんに想念が飛んで、あらぬ欲望がわいた。

 ああ、駅弁食いたい。

 例年ならば、少なくとも週に一度は新幹線に乗っている。そして時間を節約するために、定めて駅弁を食う。たとえ食事時間に重ならなくとも、切符を買うのと同じくらい当たり前に駅弁を買ってしまう。このごろではそうした客にはもってこいの、小さなサイズもあれこれ売っている。

 さて、だとすると私は往復分二食の駅弁を毎週食べている計算になり、月に約八食、年間約百食と考えれば、この食習慣が消えたというのは大事件であり、禁断症状が現れてもふしぎはないと思える。

 ああ、駅弁。書くんじゃなかった。最寄り駅で売っているわけじゃなし、東京駅まで駅弁を買いに行くことを、必要かつ緊急の外出だと認めてくれる人はおるまい。欲望はいや増す。

 駅弁はわが国の偉大な文化である。むろん外国にもこれに類するものはあるが、比較にもならぬ。すなわち外国人旅行者がみな驚嘆する、れっきとした観光資源でもある。

 近代における国策事業としての鉄道網の発達が、地域の名産品を盛り込んだ駅弁文化を形成した。名産品のない駅では工夫をこらして、名物の駅弁を作り出した。高速道路にしろ原発にしろ、その後の国策事業と言えるものはそれぞれ国民生活には寄与したが、地域の文化に関しては破壊しこそすれ形成することはなかったと思える。そうした意味で、駅弁は政治と国民が作り上げた文化の雛型(ひながた)なのである。

 東海道新幹線には開業当初からビュッフェと称する軽食コーナーが設けられ、しばらくして食堂車が導入されたと記憶する。その時点ではもはや駅弁の時代は去ったと思われたのだが、豈(あに)図らんや新幹線がスピードアップされるとビュッフェも食堂車も廃されて再び駅弁の時代がやってきた。まこと歴史は不可測である。

 懊悩(おうのう)の末、東京駅まで駅弁を買いに行くのはやめた。やはり駅弁には車窓を移ろう景色がなければならぬ。

 ああ、駅弁。=朝日新聞2021年1月30日掲載