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【谷原店長のオススメ】1日100円で何でも預かる不思議なお店が舞台の切ない物語 大山淳子『あずかりやさん』

 巣ごもりの冬を送る子どもたち、大人たちの両方が楽しめるような、癒しを与えてくれる本が読みたいな――。そう思って探してみたところ、ちょっと不思議な1冊に出合いました。大山淳子さんの小説『あずかりやさん』(ポプラ社)。せつなくて、ほっこりして、ほかの本ではちょっと味わえない独特な気持ちになります。

 東京スカイツリーにほど近い「明日町(あしたまち)こんぺいとう商店街」。セピアがかった下町の片隅にある「あずかりや・さとう」というお店を舞台に、オムニバス形式で物語は綴られます。「あずかりや」という店名を見ただけでワクワクしませんか。その名の通り、この店の「のれん」をくぐるお客さんたちは、「あずかってください」と言っては、さまざまなものを持ち込んでくるのです。

 高級自転車、一通の封筒、大切な本。「あずかりや」を独りで営む物静かな店主・桐島透さんは、持ち込まれるものがたとえ何であろうとも、「1日100円」でそれを預かります。店主は目が見えません。幼い頃に光を失った。そんな彼のもとへ、家族に見られたくないもの、一時的に離れていたいもの、捨てる決心がつかないものを、お客さんたちは日々、持ち込みます。

 「預かる」という行為が彼の純粋な仕事となっている。最初に期限を決め先払いしてもらい、期限を過ぎても取りに来なければ、預かりものは頂く。売れるものは売り、使えるものは使い、処分すべきものは処分します。

 第1章を読み始めて数ページの間、ちょっとした違和感を覚え続けます。というのも、「わたし」を名乗るストーリーテラーが、いったい誰なのかわからないのです。読み進めていくと、それがお店の玄関にかかった「のれん」であることがわかります。他の章も同様で、お店の真ん中にあるガラスのショーケースや、お店の「主」のような存在の猫が語り始める。なかなか独特です。かつて僕がドラマで演じた宮部みゆきさんの作品に、登場人物の財布が語り部という不思議な物語があったのを思い出しました(「長い長い殺人」)。

 それだけではありません。この本は、章によって時系列がいきなり数十年も飛ぶのです。小学生だった子どもが、成長して、「あずかりや」に離婚届を預けにやって来たりする。良い意味で読者は揺さぶられます。

 せつない物語がいくつも連なります。たとえば第2章のストーリーテラーは、高級自転車です。高校1年生・つよしが、別々に暮らす父親からプレゼントされた、最高品質の自転車です。ところが、つよしは、高校からの帰り道、「あずかりや」でこの自転車を預け、「センスのないあずき色で、古い型の自転車」に乗り換え、母と共に暮らすアパートに帰るのです。翌朝、つよしは、やはり「あずかりや」にやってきて「あずき色の自転車」を預けては、高級自転車に乗り換え、高校へ。なぜつよしは自転車を預けていくのか。

 ことの真相が明らかになっていきます。つよしは父親に「入学祝に何がほしい?」と聞かれ、前から憧れていた自転車を買ってもらいました。ところが、女手一つでつよしを育て、学費を貯めようと昼夜働く母は母で、アパートの隣に住む老人から使い古された「あずき色」の自転車を譲り受け、つよしにプレゼントしたのです。母には新品を買い与える余裕はありませんでした。2台の自転車の狭間で揺れる、つよしが出した答えは――。彼にそっと言葉をかけ見守る店主の姿が深い印象を残します。

 ところで、肝心の店主自身の内面が、この1冊のどこにも一人称では描かれていない。彼の「人となり」は、のれんやショーケースなど周囲の客観的な視点から描かれてはいるものの、彼自身がどういう経緯で光を失い、それをどう感じ、どう乗り越えて(あるいは乗り越えずにいて)、今に至るのかわからないままです。

 透明な存在、色のついていない存在として描かれている彼が一瞬だけ、心の揺らぎを見せ、彼自身の内面のほころびが垣間見える場面があります。それは、おそらく彼の母親であろう人が持ってきたものと相対した時です。でも、あとは静かに凪ぐ海のような人物像として描かれています。ぜひとも、もっと彼を知りたい。彼の言葉を読みたい。今後の展開を気にせずにはいられません。

 商店街のタバコ屋のおばあさん、商店街で人気のラーメン屋さん。そして「図書館の本を全部、点字本にするのが夢」と言っては、たびたびお店にやってくる相沢さん。「あずかりや」は商店街のなかで、まるで駆け込み寺のような、みんなの拠り所のような場所になっています。店主が光を感じることができないことが、逆に訪れるお客さんの安心や信頼に繋がるように、僕には読み取れました。

 何かの感覚を一つ失うことで、むしろそれで見えてくるもの、聞こえてくる音がある。そんな事もあるのではないでしょうか。衣服のかすれる音。ほのかに香るラーメン屋のスープのにおい。そこから想像力を研ぎ澄まし、推理を働かせていく。店主の佇まいは、まるで最初からすべてわかっているようで、諦念というより達観している。

 何かを失った時に、優しくなれる人と、なれない人がいるのはなぜでしょうか。いつまでも自分に固執し、「失った」ものへの執着から離れられない人が、この世界にはたくさんいる。「あずかりや」の店主は、視力を失ったことで、ひとの痛みがわかる人になっています。はたして僕には、どれだけ他人の痛みを自分のものとして、想像力を働かせることができるのか。自問は尽きません。

 「あずかりやさん」は現在、4冊が刊行中のシリーズ作品です。店主の「謎」をめぐる鍵が隠されているかも。視力を失うことと、「老い」とは本質が異なるのかも知れませんが、僕自身、中高年に差し掛かり、今まで難なくこなせた動作がままならなくなる時が来るかもしれない。高齢の父が、以前よりもゆっくりと階段を上り下りする姿を見ると、明日の自分の姿が重なります。もうすぐ新しい季節が始まります。これからは、「きょう一日を精いっぱい生きる」ことを心の糧にしつつ、他人の心の痛みに心を配ることを忘れずに生きていこうと思います。(構成・加賀直樹)