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【谷原店長のオススメ】宇宙ごみの回収業者として働く主人公の成長譚 幸村誠『プラネテス』

 ひととひとは繋がっていないと生きていけない。そんなことを改めて強く思い出させてくれる物語に出会いました。幸村誠さんの漫画『プラネテス』(講談社)。こんな今だからこそ皆さんと共有したいと思います。

 舞台は2075年。人類は、宇宙開発に本格的に乗り出しています。宇宙ステーションや月面、火星では多くのひとたちが暮らしていて、資源採掘も進み、木星や土星へは有人探査計画が立てられています。物語の主人公・ハチマキは、宇宙開発によって生まれた宇宙ごみ「デブリ」の回収業者として日々を送っています。宇宙上を漂い続ける大小のデブリは、宇宙旅客機と衝突事故を起こすなど、社会問題を引き起こしているのです。

 ハチマキの信条は「一人で生きて、一人で死ぬのが、完成された宇宙船員(ふなのり)」。ところが、そんな彼の思いは、後輩の女性・タナベの登場によって乱され始めます。一本気な性格のタナベは、「愛こそがすべてを救う」という信念を持ち、刹那的なハチマキと激しく対立していくのです。

 ストーリーは、空気のない宇宙空間で進みます。装備を外した途端に呼吸ができなくなる、そんな閉塞感が、どうしてもコロナ禍の現実世界を想起させます。でも、苦難やアクシデントを果敢に乗り越え、切り拓いていこうともがく、ハチマキたちの姿は見ていて勇気をもらえます。

 重力のある世界で生まれた僕ら、そしてハチマキたちにとって、無重力の宇宙に行く時、どうしようもない不安に苛まれるのだろうと想像します。そんな不安を克服し、彼方へと旅立っていくには、人それぞれ通過儀礼が必要なのかもしれません。

 たとえば物語には、月面で生まれ育った月面人(ルナリアン)の女性・ノノが登場します。低重力の世界で生きているノノは、どんなに彼女自身が希求しようとも、重力に耐えられないために地球に行くことはできません。でも、いっぽうで、宇宙にいることについて僕たち人間のような通過儀礼は必要ありません。

 ひるがえって、ハチマキたち地球の人間が、一つ遠くの次元に向かっていく時には、通過儀礼を経る瞬間があるようです。ちょっと幻想的なシーンに出会います。それはハチマキが、「もう一人の自分」や、死や恐怖の象徴である「猫」との交流・対話をする場面。究極の死と背中合わせの、ギリギリの場所。そこに向かうため、ハチマキの身には、頭と心と肉体のズレが起こります。「人間が住む世界でない場所に行く時には、頭と体がバラバラになる瞬間がある」。まるでそう警句を発しているように、僕は読みました。同時に、かつて我が身に起こった経験を思い起こしました……

 それは、ある時仕事で海へ潜った時のこと。水のなかで呼吸するうえで、つまり、生命を維持するうえでは欠かせないレギュレーターを、なぜか僕は唐突に外したくなってしまったのです。「この深さで海水が肺に入ったら死ぬ」。ところが、怖いもの見たさ、臨界点・境界ギリギリまで攻め込みたい思いが、ふつふつと沸き起こって心全体を支配していく。レギュレーターを取って息を吸いたくなってしまう。海は、人間にとっては文字通り死の世界です。説明のできない恐ろしい葛藤が沸き起こった、あのような瞬間に、僕は二度と立ち会いたくない……。

 ただ、物語のハチマキは異なります。死に魅入られ、向き合い、一歩一歩成長を遂げていく。そして次第に、彼の信条自体にも変化が訪れるようになるのです。木星往還船の乗組員に選ばれたハチマキは、タナベと通わせた心、仲間との繋がりを経て、「地球にどうしても無事で生きて帰らなければならない」との考えに変わっていくのです。勇気と無謀は違う。

 周辺人物たちにも、それぞれの葛藤が描かれます。たとえばハチマキの同僚ユーリは、デブリ衝突による旅客機事故で妻を失っています。事故では自分だけが助かり、妻の遺体は発見・回収されていません。でも、或る一件をきっかけに、過去と決別し、本当に大切なものは何かを知るのです。僕がユーリだったら、果たして彼のように他者を赦すことができるのか。怒りちらしてしまうのかも……。デブリ回収船の女性船長フィーは、親族にまつわる、或る事件を目撃してからは実社会を嫌悪しています。偏屈な面があるものの、ハチマキとタナベたちを温かく見守る姿に、深い共感を覚えます。

 愛し合うことだけはやめられない。ひとと繋がることはやめられない。「愛」って、ともすれば陳腐に聞こえてしまうし、口に出すのさえ恥ずかしい。でも、どんなに難しいことを考えていたって、最後の最後には理屈を飛び越え、「愛」が残るはず。そう、あらためて気付かされます。気持ちを抑えつけたところでも結局は、情念が壁を突き破っていく。「愛」って、なんと大事な言葉なのだろう。そう思い知りました。

 2070年になっても、地上の貧困・紛争問題は未解決で、宇宙開発の恩恵は先進国が独り占めしています。貧困や思想的な衝突から生じるテロリズムもしっかり描かれており、「今と何ら変わりないじゃないか」との諦念さえ抱きそうになりますが、それでも「愛があれば乗り越えられる」という強いメッセージが伝わってきます。とにかく最終章、ハチマキが放つ言葉こそが、この物語のすべて。言葉にこもった思いを、今こそ、皆さんと共有したい。

 同じく、幸村誠さんの漫画『ヴィンランド・サガ』もぜひ。大航海時代を舞台に、主人公が本当の強さ、ひととして大事なこと、何のために生きていくのかを探していく成長譚です。

 ひとは、繋がらないと生きていけません。昨年末から年始にかけて舞台(『チョコレートドーナツ』)に立った際には、初日から観客の皆さんにスタンディングオベーションをいただき、舞台の僕たちは深い感動をいただきました。観客を楽しませるつもりが、僕らが生かされていた。そう痛感しました。映画、音楽ライブ、そして飲食店……。ひととひとの気持ちが呼応し合い繋がるのがエンターテインメント。エンタメこそが心の栄養を与えてくれると信じています。

 「独りでじっと家に閉じこもっているだけでは、僕らは生きていけない」。今、僕はそう強く確信しています。(構成・加賀直樹)