>対談の前編 サンキュータツオさん×鈴木絢音さん 私たちは、なぜこんなに国語辞典を愛するのか
改訂版を手にしたときの印象は?
サンキュータツオ(以下タツオ):国語辞典を用途ごとに使い分けるのは、行き先によってかばんを替えるようなものだと思うのですが、新明解国語辞典第八版は、どこへ持って行っても恥ずかしくないようなかばんになったな、と感じました。
気になる言葉で言えば、「推し」は明鏡国語辞典第三版には入っていましたね。「特に引き立てて応援している人や物。お気に入り」という語釈でしたが、そうした言葉が入っているか否かは、初めて辞書を手にする人にしてみれば大きな違いだと思います。明鏡国語辞典の志のようなものを感じました。中高生に向けた最初の辞典として、変わらず頑張っているな、と。
鈴木絢音(以下鈴木):明鏡国語辞典の爪の部分(側面の索引が印刷された部分)ですが、「あ行」のなかでもさらに「あいうえお」が色で示されているのがすごくわかりやすいなと思いました。嬉(うれ)しかったです。辞書をひくのに時間がかかるほうなので、これはすごく助かります。
タツオ:たとえば、さ行だと「し」が飛び抜けて多いんだ、など気づきも多いしね。第二版には(気になる日本語の疑問を解決する)「気になることば索引」が小冊子として付いていたのですが、今回は「明鏡 利活用索引」として本体に組み込まれている。これも以前とは変わった点です。
鈴木:ありますね、これはいいですね。
タツオ:間違いやすい言葉が一覧になっていて、わかりやすいですよ。
気になる言葉として「生きる」や「恋愛」を挙げたのはなぜ?
鈴木絢音:普段は歌詞の言葉をひくことはほとんどないんです。でも意識していないだけで、「調べたい」と思った言葉にはそうしたものが反映されているのかもしれません。「生きる」という言葉は、ふと辞書でひいてみたいと思ったんです。
タツオ:「生きる」や「恋愛」といった言葉はみなが知っている言葉ではありますが、はたしてみな同じ意味で使っているのだろうか、と思う時もあります。それを確かめるために辞書をひく。それは、辞書とのいい付き合い方なのかなと思います。
「恋愛」はかつてのように「異性」ではなく「特定の相手」と、時代とともに語釈が変わってきていますが、そうなると「友情」とどのように区別していくのか、という問題も出てきます。性別だけに気を配っていると、そうした問題が出てくるので、類義との峻別(しゅんべつ)というのも大事になってくる。
「りんご」や「とうもろこし」、気になりますか?
タツオ:「りんご」は辞書によって語釈がずいぶん違うんです。鈴木さんだったら、どのような要素を入れますか?
鈴木:まず、赤とは限らないですよね。
タツオ:そこ鋭い、その通り。
鈴木:大きさはだいたい一緒な気がします。それから、私は秋田県出身なので、「青森」という要素は入れたいなと思います。
タツオ:そうですよね。いまの言葉を辞書のように表現すると、「寒冷地方で獲れる」「多く紅く」。そう表現するだけで、青りんごなど着色していないりんごの存在を示唆できる。でもたとえば明鏡国語辞典だと、「日本語で『りんご』を引く人って何を考えているのだろう?」という発想から入り、「紅玉」や「つがる」といった品種が詳しく書かれているんです。
一方の新明解国語辞典では、「甘くてさわやかな酸味のある」など、より味覚の表現に踏み込んで書かれているんです。
鈴木:なるほど! 私は「猫」を気になる言葉として挙げたのですが、実際に明鏡をひいてみると、「瞳孔は明るさに応じて大きさを変える」など、見た目が詳しく書かれていて、実際に観察したのかな? なんて思いました。
タツオ:明鏡の二版、三版は近代日本における最初の辞書である「言海」を意識した書き方になっているんです。「言海」は、国語学者の大槻文彦先生がほぼ一人で完成させた辞書ですが、大槻先生は猫の瞳を一日中観察したうえで、項目をまとめた。「言海」をかなり反映していますし、食べ物と動物に関しては品種をなるべく多く入れるという方針なので、こうしたところに「らしさ」が出ている。やはり細部に哲学が宿っているんですね。
「バレる」や「やばい」といった、内面の感情を示す新語も
タツオ:「自分の好きな対象を世の中の人にプレゼンしたい」という、ファンが外側から応援していたものが、いつの間にか自分たちが運営側に回っている感じになり、世の中にプッシュするような形になっている。世の中に「バレる」もそうだし、「推し」もそう。完全に内部から発せられた言葉です。
みなで一つのムーブメントを起こし、表現者だけでなくお客さんも一つになって世の中を変えていきたい、というのはネット社会、SNS社会になってから出てきた言葉の特徴だと思います。「やばい」は、辞書によって説明の仕方がまったく違うので、芸が出るところです。
定着する言葉もあれば、すでに懐かしい言葉もありますが、たとえば「○○み」という表現は定着していくと思います。「乃木坂みがすごい」と言われても、「いったい何が言いたいんだ?」というのが正直なところですが(笑)。
※「やばい」:最近の若者の間では「こんなうまいものは初めて食った。やばいね」などと一種の感動詞のように使われる傾向がある。(新明解国語辞典第八版)
次の改訂版にはどんな言葉が登場するでしょう?
鈴木:「エモい」という言葉がもう少し細分化された表現と言いますか、もう少し細かく分類されてもいいのにな、という願望のようなものはあります。何に対しても、「エモい」という言葉を使ってしまうので。
※「エモい」:感情が強く揺さぶられるさま。感動的だ。情緒的だ。(明鏡国語辞典第三版)
タツオ:僕は広辞苑でサブカルチャー分野を担当したので、「次はどの言葉を入れるといいのかな」というのはいつも考えているのですが、アニメ好きとしては「異世界」を入れたいなと思っています。
鈴木:入っていないんですか? 意外ですね。
タツオ:「2.5次元」もそろそろ入っていいと思うんですけれどね。まだどこも入れていないんですよ。
鈴木:これからも時間を見つけて、辞書を読んでいきたいと思います。
タツオ:いい読み物なんだよね。
鈴木:一生読んでいられます!
タツオ:そうなんだよね。こんなに文字がたくさん書いてあって3000円で買えるって、めちゃくちゃ安いですよね。ほんと、ありがとう、という言葉しかない。紙の辞書を味わえているうちは本当に幸せだな、と思う。
鈴木:今日は、国語辞典の新しい楽しみ方を見つけました。よかった。仕事が終わったらさっそく書店に寄って色々見てみたいと思います。