1. HOME
  2. コラム
  3. 滝沢カレンの物語の一歩先へ
  4. 滝沢カレンの「犬婿入り」の一歩先へ

滝沢カレンの「犬婿入り」の一歩先へ

撮影:斎藤卓行

私の名前は、宮子36歳。

今? 今は11110年。
ここの町じゃちょっと名の知れた、塾を営んでいる。

私の塾生は私に勉強を習いにきてるってよりも、塾終わりにみんなで話すのが何よりの楽しみって様子。

そんな塾終わりの今日も、たわいもない話で生徒たちと盛り上がっていた。
「ねぇ、先生! 犬婿入りって話、しってる?」

私は答えた。
「もちろんよ! 有名な話よ。わたしも小さい頃はよく母親に読み聞かせてもらったわ」

その返事を聞くと急ぎ足で、純粋でなんせポジティブを誇る生徒、凛ちゃんは口を開いた。
「私はこの前、お父さんから聞いたの。なんだか変な話だなって。先生にもし、犬のお婿さんがきたらどうする?」

子供は本当に1秒先にも予想しない言葉を並べる。

「そうねぇ。私はもう結婚できるなら誰だっていいよー(笑)」
笑いながら言ったつもりだが、あら? 私顔かなり本気になってない? と心中では焦った。

だって、36歳。
確かにもう、結婚したくて今にも神頼みをする準備はできている。

「先生そしたら、犬男と人間のハーフが生まれるね」

キャハハハハ。
子供たちは、どこにそんな体力余ってたんだという底力な笑い声を出した。

「ほらぁもう、笑ってる体力あるなら帰り道に使いなさーい」と、私は、かわいいかわいい生徒たちを、家路に急がした。

帰り道。

なんだか今日は月の居場所を見失うほどに暗かった。
雲が夜の黒さに協力するように月をかくれんぼさせる。

「暗い。もう本当一日ってあっという間だ」
私は、どうも帰り道は、虚しく切ない一言が口を滑って出てきてしまう。

そんな空を見上げることすら、面倒な帰り道だった。

前から足音が。

(こんな時間にこんな場所に人がいるなんて珍しっ)
私は頭で呟きながら視線を上げた。

そこには、スーツを着たなんてことないかっこいい男性がいた。

絵:岡田千晶

私はすごく見てくるサラリーマンだなと最初、ゾクっとし、すれ違いざまに足のうごきを電車のように早めた。

でも、まだ視線を感じる。

私はなぜか、なぜか声をかけてしまったんだ。

「大丈夫ですかー? 何か探してますか?」

すると。びっくり。

鼻息を強め、目をクリンと輝きに変え、口を絵に描いたように三日月型にして笑い、四つん這いで走ってこちらにきた。

「へっ・・・・・・」

私は、どこの鉄琴が鳴ったんだというほど甲高い声が一文字溢れた。

明らかに、不自然な動き。
人間の姿なのに動きやしぐさはまるで犬。

「どうなってるの? これは、夢?」

私は1人で早口になり、周りをキョロキョロした。
その犬男は、嬉しそうに私の近くで犬でいうところのお座りをしている。

「あなたの、お名前は?」

もっと聞きたい質問は山積みだったはずなのだが、なんだか人間らしい質問をしてしまった。

するとその犬男は少し呼吸を荒げながら、「小太郎」と答えた。

どうやら会話はできる、と判断した。

もう、さっきまで塾生たちと話していた世界が現実にやってくると、こうも受け止められないもんかと、自分を悔やんだ。
でも何故か、私はこの、“小太郎”を放っては帰れなかった。

そして、結局私は小太郎を家に連れて帰った。

ん?

いやいや“連れて帰った”は、自分が上の立場のような発言になるからふさわしくないだろう。
一緒に帰った、が正しいのかも知れない。

私はとりあえず、小太郎とリビングに座った。
私は床に、小太郎はソファに。

いやいやいや、もうおかしいのよ。
だって小太郎はお尻では座らない。

腹を隠すように、それは・・・・・・まるで・・・・・・んー。
犬の言葉を使うなら、伏せをしているような。

全く、私ったら塾の教師をやっていながらこんなにも言葉が出てこない。

でも明らかに、不自然。

もうすでに、2回目の不自然発見。

「あの、気に障ったら申し訳ないのですが、小太郎さんはどんなご職業を?」

(いやいや、職業? また聞きたくもない質問。そんなことより、犬みたいな人間ですけどなんでですか?とか、何故そんな座り方するんですか?とか聞けよー、自分)

腹に眠る正直な私が質問下手な私を攻撃してくる。

小太郎は少し首をかしげながら答えた。
「仕事ってことですか? していません。生きているだけです」

「あぁ」
(あぁ、つまりニートか? やっぱり単なる働かない男で転がり込んできたんじゃないの? 目当てはお金? 身体? どうしよう! 警察に電話!?)

私はなんだか急に我に帰ったように焦った。

でも慌てようを見られちゃ、向こうの思うツボ。
冷静な対応をした。

「あの、そんなことよりお水をください」

小太郎が喋った。

「あ! あ、はい! すいません。今出しますね」

私は床に座っていたせいで痺れた足をよろめかしながら、台所に走った。

(案外一丁前なこと言ってくるじゃない)

私はいちいち感情に揺られながら、コップに水を入れ、小太郎に差し出した。
すると小太郎は、直径わずか13cmくらいしかないコップを手に持つことなく、首をコップに近づけて、舌で水を飲み始めた。

「え?」

目が点。

堂々とした点な目だったはず。

人間だったら、お行儀が悪いこと。
でも犬だったら、当然の行動。

もう私の頭はごっちゃんぐっちゃん。

(なんだか新しいお笑いコンビにいそう。ってそんな場合か、私)

意を決して、私はついに聞いた。

「あなたは何者ですか?」

(えらいぞ! 私! あっぱれ! よく言った!)

私に眠る正直な私がクラッカーをあげて喜んでいるようだ。

「私は、犬男です。犬でもあり人間でもある。性別は男です。あなたは、何者ですか?」

え?
どこかに質問の定型文でもあるのか、ってほど自然なやり取りに驚いた。

でも質問の中身はいたって異常。
私は動じない受け止めタイプに見せたいから冷静さを持ち、「私は、純粋100%の人間です」。

(この私の答え方大丈夫? なに、100%オレンジジュースですみたいな言い方。嫌味に聞こえてないかな)

私の不安はよそに、小太郎は少しにやけながら言った。
「100%ですか? 何故わかるんですか?」

頭の上からナタが落ちてきたように、図星な返答。
確かに犬男を目の前に自分が100%人間だなんて、お洒落な返事ではなかった気がする。

でも、まぁ冷静に考えたら、きっと100%人間だし、よし、宮子! 自信持て!と気合いをいれた。

「まぁ何者かはわかった所で、小太郎さんは何故私のとこに来てくれたんですか?」
さぞご丁寧に聞いた。

「私は1人だったので。宮子さんのおうちでこれからは暮らします。よろしくおねがいします」

(1人って答えた。やっぱり人間寄り? っておい。そんなことより爆弾発言してっぞ! 一緒に暮らすの?!?!)

私の中はいま大家族の洗濯機より目まぐるしい自信がある。

「小太郎さん? 私と暮らすってなぜ?」
「私は、半分人間、半分犬です。人間としての知識を知りたいです。宮子さんに教えてほしい。それだけです」

(おいおい、それだけって。だいぶそれだけの言葉はここに似合わない)

ただ、私は何故か、拒否する気はなかった。
塾の講師だからか、教えることは好きだった。

それになんせ、小太郎さんはかっこいい。
今までの孤独な生活よりは、断然選ぶべき道だと自信があった。

そんなこんなで、私と小太郎さんとの奇妙な同居生活が始まった。
小太郎さんは、ご飯もお水も最初は手を使わずに、まるで器用に舌で食べたり飲んだりしていた。

だから、メニューはいつも丼物にしていた。
何故ならお皿が分かれていると、ご想像通り、全てぶちまけるように食べるから。

そして、小太郎さんは私の真似をすごくする。
私がおかずを白飯の上に乗せて食べると、真似をしようとしてくる。

だから、私はゼロからお箸やスプーン、フォークの持ち方を念入りに教えた。
もちろん、座り方も。

犬でいう、伏せやお座りでしか座れていなかった、小太郎。
お尻で座って、背筋は伸ばすようにと。

うちに筋トレ器具まで購入し、小太郎には人間の姿勢が辛くならないようトレーニングまでした。
まるで、私はおっきな子供を急に育てろと言われ、急に忙しくなるような日々だった。

(待て待て、私はてっきりイケメンとの同居を楽しめるかと。これじゃお世話ーーー)とたまに山に向かって叫びたくなる日もある。
それでも、小太郎との同居生活を終わらせる気はなかった。

とある日。
その日はきれいな、きれいな満月だった。

私が夕食を作っていると、急に小太郎はベランダに出て、「うぉぉぉぉー」と遠吠えが始まった。

「ちょ、小太郎! やめてよぉ! 近所迷惑でしょ!」
私は小太郎を力ずくで部屋に戻しベランダのガラス戸を閉めた。

「宮子さんはなぜ吠えないの? 今日は満月ですよ」
私は根の違いをあからさまにされた気分だった。

でも小太郎は、あくまで“人間としての生き方”を教わりたいと言ってきた以上、ここは、はっきり吠えないと教えるのが私だと揺るぎなく答えた。

「人間は満月を見て遠吠えはしないよ。でもね、満月の出る日は引力が強い日だから、人間たちにパワーが漲ると言われてるの。活動的になったり、吸収しやすくなるって言われてる。何か始める時は満月の時にしろとか言われてるの」

私は、なんだ先生らしいこと言えるじゃんと鼻高々な顔すらしていた。
小太郎さんはそれを黙って聞いていた。

他にも、文字を教えた。
何故だか、小太郎さんは話す事はできていて、でも本や文字を書いたり読み取る事はできなかった。

まるで小学一年生に戻ったような授業方法で教えた。

笑っちゃうくらい可愛かったのは小太郎さんは、字を書けたことが相当嬉しかったみたいで、物に文字の書かれたシールを貼っていた。
“冷蔵庫”だったり、“玄関”だったり、部屋中が小太郎さん直筆のメモシールで包まれていた。

それにしても、教えてすぐ美しい字を書いていったことも驚いた。
慣れるまで、漢字とかは特にバランスが取れず頭でっかちだったり、居心地悪そうな文字列になるはず。

でも小太郎さんの場合、一度教えた漢字は、パソコンが持つ実力より整っていた。

(ん? 半分犬だから? かしこいのかな?)
なんて、毎日私は“半分犬だから”で片付け上手になっていた。

かしこい小太郎さんは、グングンと人間らしくなっていった。

ただ、走る時だけはどうしても四つ足で走っていく。
どうやら、速く走れるんだとか。

確かに速い。

人間力をつけていった、小太郎さんはだんだん無敵化していった。

小太郎さんは私にある提案をしてきた。

「宮子さんは本当に教えるのが上手です。わたしは宮子さんに出会えて、人間らしくなれて本当に嬉しいです。そこで、提案があります」
「ん? なに?」

「きっと私みたいな犬人間が他にも困っていると思うんです。そんな方々をもっともっと宮子さんなら助けられるはずです」

他にも犬人間がいるんかい、と言う自分の意見は押し殺し・・・・・・純粋な瞳で見つめる小太郎さんの話を受け取った。

「私なんかが、誰かのために何か、できることがあるなら、ぜひやってみたいな!」
「素晴らしいです。ぜひ犬人間トレーナーとして施設を開きましょう! 私も実際に習っていた存在として、お手伝いさせてください」

小太郎さんの安易なんだか考え尽くしたんだかの提案のおかげで、私は犬人間トレーナーとして施設を作った。

その名も“もう恥ずかしくない! 犬人間、成長への扉”。

冷静になると、こっちが恥ずかしくなるような名前だ。

校長は私、宮子が引き受け、小太郎さんは入会の際の細々したことや管理などを手広く引き受けてくれた。
あれよあれよと言う間に、入会者は続々と入ってきた。

いや、こんなに潜んでいたのかと私は毎日驚いた。
そしてみんなして吸収はとてつもなく早かった。

小太郎さんは施設が始まってから、益々頭の回転がよくなり、いつの間にだったのだろう、私の知能を抜いていたんだ。

そう。立場が逆転した。

・・・・・・

ほぉほぉ。
よくここまで語ってくれたもんだね。

あ、みなさんご紹介おくれました。
私の名は、ご存知“小太郎”です。

半分犬半分人間のね。

宮子と出会ったのも、宮子がここまでの出来事をここに残したのも全部、計画通りだ。
宮子はよくここまで、私を指導しながら何も気付かず過ごせたもんだ。

ワハハっっ、笑っちゃうね。

つまり、分かりやすくいうならば、宮子は犬人間にとっちゃ、人間のエキスを教えてくれるいいスパイ。

宮子は気付いていないけど、私たちは次の未来を支配する存在。
犬人間は人間を超えた知能と学力を持ち合わせた近未来人なのさ。

宮子の言葉を借りるなら「100%人間」はもちろん何にも気付いていないけどね。
でも宮子が作った施設は、私たち犬人間からしたら人間のスパイに世界を教えてもらえる秘密学校みたいなもん。

とにかくありがとうな、宮子。

こっからは、簡単。

徐々に知能を極めた犬人間たちが世に放たれ、犬人間たちを宮子が作った施設に入れていくだけ。

「宮子、また犬人間今日390人、入学するぞ。飯と水、よろしくな。まず字から覚えさせろ」
「は、はい。分かりました。小太郎会長」

な? わかっただろ。
いつの間にか知能を宮子より超えた俺は、宮子と立場逆転どころか、宮子にとっちゃ従わなければいけない存在に。

でも、助かった。
字が書けない俺は、どうやって時代の変わりを記していけばいいかを困っていた。

これで、歴史が変わった瞬間を残せたよ。

宮子は今日も働く。犬人間の下で。

歴史上、犬人間が100%人間を支配した記録は永遠に刻まれた。

11111年、1月1日。

(編集部より)本当はこんな物語です!

 多摩川沿いの団地の一角にある「キタムラ塾」。経営するアラフォー女性・北村みつこは勉強を教える以外にも、「鼻紙は二度使った後に、お尻を拭くのに使うといい」といった話をするので、「キタナラ塾」と呼ばれながらも、子どもたちに人気です。彼女がある日、動物と結婚する民話「犬婿入り」の話をしたところ、しばらくして見知らぬアラサー男性がみつこのもとに訪れます。「太郎」と名乗る男は勝手に家にあがったかと思うと、みつこの首に犬歯を押しつけ、さらには…、そのまま居ついてしまいます。

 カレンさん版同様に、二人の奇妙な同居生活が始まるのですが、団地住民から「あの男、どこかで見た覚えが…」と声があがり、男の正体をめぐり、お話は思わぬ方向へ転がっていきます。多和田葉子さんは早稲田大卒業後、ドイツで暮らし始め、寓話性に富んだこの小説で芥川賞を受賞しました。現在はノーベル文学賞の有力候補と目されています。