豊かな視点と想像 国境を越える「力」
童謡詩人として活躍し、今なお根強い人気をもつ金子みすゞ(1903~30)。彼女の作品について詳細に分析を加えた論考『金子みすゞの童謡を読む』(港の人)が刊行された。著者はシリアからの元留学生だ。みすゞの詩には時代や国境を超えた意味があると、力を込める。
シリアのダマスカス大学で日本語学科を専攻していたナーヘド・アルメリさんは、10年前に来日し、のち筑波大学大学院に入学。研究テーマを探している時に、みすゞの詩を知った。「意味は分かるし平易で読みやすい。でもどこかに、怖さや違和感があった。その不思議な力に引きつけられた」
「力」の淵源(えんげん)は何か――。かつてみすゞが投稿した童話童謡雑誌や文献を読みあさった。古いものには読み慣れない旧字体の言葉が並び、「1ページ目を通すのに4、5時間かかることもあった」。2020年に研究成果を論文で発表し、優秀博士論文賞を受賞した。そのうちの一部を元に、同書としてまとめた。
《こだまでしょうか、いいえ、誰でも。》
東日本大震災の後、さかんに唱えられた「こだまでしょうか」の一節に象徴されるように、みすゞに対して多くの日本人が抱く印象は「優しさ」。あるいは「素直さ」「謙虚さ」だ。だがそうした側面ばかりが注目を集めて固定された詩人像が出来上がり、彼女の詩がどのようにして形作られたのかは、これまで深く考察されてこなかったと、論考は指摘する。
アルメリさんは、みすゞが師として仰いだ西條八十と、同時代に童謡でも名をはせた文人・北原白秋に注目した。両者の詩とみすゞの作品を丹念に比較することで、みすゞが2人の影響を受けながらも、一つの視点にかたよらない豊かな語り口や、大きく跳躍する想像力といった特徴を持つ、独自の詩を築いていったことを明らかにした。「単に『優しい』といって片付けられるのではなく、みすゞは詩の中でもっと大きな世界を表そうとしている」と話す。
昨年11月の刊行を前にシリアに帰国したアルメリさんは、現在ダマスカス大学で教壇に立つ。母国は長きにわたる内戦や経済制裁などによって、窮状が続く。
「生活を考えるのにいっぱいで、子どものことどころではないという人がたくさんいる。この国の状況が落ち着いた時のために、自分だけではない他者のまなざし、イマジネーションを持つみすゞの詩を紹介するのは、とても大切なことだと思っている」。いつの日かみすゞの詩を翻訳して、母国で本にするのが目標だと話す。(山本悠理)=朝日新聞2021年3月3日掲載