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「東日本大震災10年」本でひもとく 生が復興する多様なつながり 横浜国立大学教授・吉原直樹さん

避難指示が解除された福島県大熊町の大川原地区。災害公営住宅が立ち並ぶ=2019年4月

 3・11――あの震災からやがて10年。私自身、仙台で被災し、その後ほぼ9年間にわたって、隔週で福島県大熊町民の避難地(同県会津若松市)に通っているが、いま何よりもとめられているのは、過去10年間の復興政策の総括である。これまで、しばしば指摘されてきたのは、災害資本主義にもとづく「経済的」復興が主潮をなしてきたというものである。少なくとも復興が、インフラ復旧と「ハコモノ」建設を基調とする、大沢真理のいう「大文字の復興」であったことは紛れもない事実であろう(大沢ほか編『復興を取り戻す』岩波書店・1980円)。

 それは、原発事故被災地に限定するなら、被災者の被災地自治体への帰還誘導を前提とするものであった。この帰還誘導において重要な役割を果たしたのが、「元あるコミュニティーの維持」という名の下に、避難先で半ば強制的に設置された自治会であった。この自治会は、避難先で諸個人の間でいとなまれる共同生活のなかみを公行政につなげる上で欠かせないものになったが、結局のところ、ふるさとへの帰還を強いるコミュニティー施策の一翼をになうことになった。その点では、単線型の復興のありようを如実に示すものでもあったのだ。

土地に縛られず

 だが復興がすすむなかで、被災者の多様な声を反映させるには、丹波史紀・清水晶紀編著『ふくしま原子力災害からの複線型復興』(ミネルヴァ書房・7150円)でいうような「複線型復興」、そしてそのひとつである被災者一人ひとりに寄り添う「小文字の復興」が不可欠という認識が広がっている。それとともに自治会とは異なるコミュニティーの存在形態が注目されるようになっている。

 望月美希『震災復興と生きがいの社会学』では、被災者の「生きがいの喪失」という〈私的なる問題〉を「他者との間に開いていく実践」のただなかにおいて、問い直す。具体的には、被災者に農作業の場を提供する宮城県亘理町の「健康農業」という活動を挙げ、生きがいの回復を被災者の〈生〉の復興と重ねあわせる。そして、土地との括(くく)りに必ずしも縛られないコミュニティーに着目する。そこでは地域が長い間になってきた「共同性」の再構築が鍵となるが、内に閉じていかないことが重要なのだという。

 地域に足を下ろしながらも、必ずしも地域を与件としないコミュニティーの出現に目を向けているという点では、松井克浩『故郷喪失と再生への時間』も、ほぼ同じ地平に立っているといえる。新潟県柏崎市で一人の女性が立ち上げたサロンを事例として、広域避難者の生活の再生、関係の結び直しに照準を合わせる。地域がはぐくむ拘束的でない「つながり」に期待を寄せるが、それは被災者がふるさとへの帰還を強いられず、ありのままでいることが許される時空間を獲得することによって可能になるという。

支援届ける連携

 他方、菅野拓『つながりが生み出すイノベーション』では、ネットワークを築いている多様なNPOや社会的企業などの活動に目が向けられる。その一つとして、複数の組織の連携による緊急物資支援プログラムが取り上げられるが、そこでは「近くは競合、遠くは仲間」という緩やかな関係性を築きながら、「創発する地域」を生み出しているという。ここでも「同じであること」を強制されない時空間の獲得が要とされる。

 いずれの書も、あらたな関係性の構築をうながすような「小文字の復興」に目が据えられている。一方で、現地の要望に沿った復興策がいわれながら、被災者たちの多様性を考慮に入れない政策がいまなお続いているのも事実である。=朝日新聞2021年3月6日掲載