自分なりの視点「中間報告」 岸政彦さん
――岸さんにとって大阪は「あとからやってきた街」ですね。
岸 1987年に大学進学で来てみたら、すごくおもしろい街で。1回生の時にはもう、ここに一生住むんやろなと。
――柴崎さんは大阪に生まれ育ち、2005年に東京へ。離れて感じた大阪のイメージは?
柴崎 通天閣(大阪市浪速区)、道頓堀(同中央区)などテレビのイメージが強いんやなと。漫才、お笑いの言葉だけが関西弁みたいに思われていて。
――「こてこての大阪人」を演じてしまう人もいるとか。
柴崎 期待に応えようと、サービス精神で濃くなってしまうのはあるかもしれません。
岸 おもしろいだろうと思われていると、それに応えようとして、実際におもしろくなっていく。予言の自己成就と言って、貼られたラベルが実現してしまうことはありますね。
柴崎 いまはこれを求められてる場なんやな、と察したら応えてしまう。
岸 大阪人はおもしろいと言われますが、自分のことを「おもんない」と真剣に悩む人もいます。大阪人にとって、実存的悩みの中心なのかも。
――お二人とも、個人の視点から大阪の街を描いています。
柴崎 同じ時期に同じ場所にいた人がそれぞれ書くだけで、街というものが立ち上がってくるというか、見えてくるものがあると思います。私はGPSを内蔵していそうなくらい道が得意ですが、岸さんはめっちゃ方向音痴ですよね。それだけでも、街をどう認識するかが違ってきますから。
岸 僕が一人暮らしをしていた上新庄(同東淀川区)に以前、おばちゃん姉妹がやっていた食堂があって、焼きそばをつくりながら「まあマルクスも宗教は阿片(あへん)や言うてたからなあ」って。おばちゃん、誰やねんと(笑)。こんな風に、書くことで思い出したことがたくさんありましたね。
それぞれ書くと見えてくる街 柴崎友香さん
――読者もツイッターなどに思い出をつづっています。
柴崎 読者が「思い出した」と言ってくれたことで、私もそういえば……と。人の記憶って、そういうつながり方しているのかなと思います。
岸 記憶というのは「公共のもの」でもありますから。
柴崎 たとえば、私の年代の女性なら、梅田(同北区)のフローズンヨーグルトパフェを出す「ミルクの旅」を話のきっかけにしたらおもしろそう。ただ「大阪の話」となると、老舗や渋めの店になりがちです。
岸 そう、たこ焼き屋とかになってしまう。語り方って、社会的な話法があるんですね。語り方のパターンがあって、それにのっとらないと語りづらい。
――伝わりやすい、分かりやすい話になってしまうと。
柴崎 うっかりすると、自分が体験したことでさえ、そうした出来合いのイメージで上書きされてしまうことも。そういうことに、抗(あらが)いたい気持ちはあります。
岸 出来合いのイメージによらずに語るのは、伝わりにくさもあって難しい面も。でも柴崎さんも僕も、それを手探りでやったのがこの本なのでは。あらゆる表現は、中間報告やと思います。ここに書かれた大阪に違和感を持った人に、また新しい語り方をしてもらえたら。
柴崎 若い人が書いた「自分の大阪」を読みたいですね。
岸 いまの大阪を知りたいよね。リアルな大阪を。(構成・上原佳久)=朝日新聞2021年3月17日掲載