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「国家とは何か、或いは人間について」書評 その場に存在する権利こそ尊厳

評者: 石川健治 / 朝⽇新聞掲載:2021年03月27日
国家とは何か、或いは人間について 怒りと記憶の憲法学 著者:遠藤比呂通 出版社:勁草書房 ジャンル:憲法

ISBN: 9784326451241
発売⽇: 2021/02/16
サイズ: 20cm/242p

国家とは何か、或いは人間について 怒りと記憶の憲法学 [著]遠藤比呂通

 「わたし」を主語とし「人間の尊厳」を問う憲法学の本である。尊厳とは、人間相互が、個人的記憶と集合的記憶の双方によって人格を形成された「歴史的人間」として、「その場に存在する権利」を保障しあうこと。「釜ケ崎」に加えて、集合的記憶の改竄(かいざん)による個人的記憶の改竄が行われがちな「国家」を「その場」として主題化することで、一層彫りの深い「人間」論を実現したのが本書である。
 著者は、ダイゼンハウスのヘルマン・ヘラー解釈に触発されて、恩師芦部信喜の問題意識をヘラー国家学のなかに深読みする。国家権力への関与の型として承認さるべき異議申立(もうしたて)の拠点を、個人の「法的良心」に求める読み方だ。そしてこの見方が、かつて東北大学法学部長・柳父圀近(やぎゅうくにちか)から辞表を受理する条件として厳命された、神学者パウル・ティリッヒ研究、殊に象徴論への関心を触発する。
 我々の知らない魔的な自分自身を引き出す作用を持つ国家象徴を、象徴天皇に一本化するのは危険だとして、そこからの「脱出」の契機を、尹東柱の詩・林光のカンタータ・村上春樹の『騎士団長殺し』のなかに探る思索は、鬼気迫る。
 そして本書を貫くのは、鞏固(きょうこ)な応答「責任」の観念である。親友川上隆志に応えて沖浦和光の賤民(せんみん)文化論に向き合う。被災地いわきで安易に避難と移住の権利を語ったことの過ちを悟り、「これはちゃんと責任をとらないといけない」ともう一度現地に赴き、その「場」に留まる権利の根源性を語る。かつて「ニュートラル」だった学者が、怒りと記憶に立脚した実務家として、特定の思想でも党派でもなく、釜ケ崎の現実から、やむにやまれず立ち上げた痛切な異議申立の数々。
 もちろん、ヘラーを問題含みの邦訳だけで論ずるのは苦しい。尹美香への肯定的な言及など無防備な点も目立つ。けれども本書には本物の「問い」がある。書評とは自らの「責任」を発見する行為でもあると知った。
    ◇
えんどう・ひろみち 1960年生まれ。東北大助教授を辞し釜ケ崎で弁護士として活動。著書『人権という幻』など。