性格的なものなのだろう、好きなものより嫌いなもののほうが目につく。心身が拒むものを頭で整理しようとするのか、嫌いなものについて語るほうが言葉を尽くせる。好きなものはもう受け入れてしまっているから、「好き」以上の言葉がでてこない。「大好き」となったらなおさらである。
けれど、「大好き」もなかなか複雑だ。そう思わせてくれたのがアニメ「風の谷のナウシカ」だった。初めて観たのは小学校低学年の頃だったと思う。当時、私たち一家はアフリカのザンビアという国に住んでいた。まだインターネットも普及してなく、国営テレビも一チャンネルのみ。おまけにしょっちゅう停電するので、室内での娯楽は本や漫画が中心だった。日本から送られてくるビデオはつまらなくても繰り返し観た。母はよくミュージカル映画を私たち姉妹に勧めたが、幼い私は人が急に歌ったり踊ったりする状況に戸惑いを覚えた。どうもテンションが合わない、と思った。子供たちが集まって観るディズニー映画や日本のテレビアニメもやはりテンションが合わない感じがした。
そんな時、両親が知人から借りてきたのが「風の谷のナウシカ」だった。めずらしく父も一緒に観た。始まってすぐ、広さに驚いた。空も大地も広い。テレビがいつもより大きく見える。風の音がして、マスクの息苦しさがあり、未知の腐海の森は恐ろしい。そして、人や生き物が死ぬ。死が描かれたアニメを観たのは初めてのことだった。アフリカのサバンナには常に死があった。それが自然だと思っていた。世界は違えど、この物語の中にも自然があるのだと感じ、吞み込まれた。
しかし、突然、妹が泣いた。蟲が怖かったらしい。確かに、蟲が大きすぎる。私は恐竜好きで昆虫好きだったので、王蟲の巨大さは喜ばしいことだった。巨神兵や吸ったら死んでしまう瘴気のほうが怖いと思っていたら、今度は父が急に立ちあがった。目頭を押さえている。横目で見て、仰天した。泣いている!
父は洗面所へ行き、しばらくして戻ってきた。あまりに驚いてしまい、見なかったふりをした。まさか父も蟲が怖いのか。大人がアニメを観て泣くなどあり得るのだろうか。考えているうちに物語が終わった。もともと無口な父は「感動した」と呟いた。そして「ああいう人間になりなさい」と言った。泣いたのに褒めているのがわからず混乱した。父が泣いているのを見たのは後にも先にもあの時だけだ。
アニメ「風の谷のナウシカ」はその後、何度も観た。漫画も読んだ。無慈悲な世界なのに大好きだった。王蟲の崇高さも、ユパさまの格好良さも、テトの可愛さも、オーマのけなげさも好きだ。なにより、ナウシカの自然へのまなざしが好きだった。ナウシカのように強くなりたくて剣道もしたし、ナウシカの温室を作るのが夢で菌類や標本の本を集めた。けれど、父が言った「ああいう人間」というのが優しさのことだと気付いたのは大人になってからだった。もちろん、ナウシカみたいにはなれなかった。
今、当時の父の歳を抜いて思うのは、大人でも泣くということだ。むしろ大人になればなるほど、好きなものに心を動かされ泣いている。胸を引き裂かれる「大好き」に出会うたび、父の涙を思いだす。