「蔓延する東京」書評 低い目線で帝都のリアルを描く
ISBN: 9784907986773
発売⽇: 2021/01/20
サイズ: 23cm/397p
蔓延する東京 都市底辺作品集 [著]武田麟太郎[編]下平尾直
表題から、昨今のコロナ禍の話と思われるだろう。だが本書の舞台は1930年代だ。当時、銀座などの都心は関東大震災から復興を遂げて外観を一新した。対照的に郊外や工場街は、雨ですぐに浸水する土地に「不良住宅」がひしめきあい、病菌が「新しい皮膚を求めて蔓延(まんえん)してゆく」ように膨張を続けていた。この「社会的底辺」を描いた作家の小説や随筆、ルポルタージュが精選され、一冊で読めるようになった。
貧困の中で悪臭を放つ街路。屑(くず)拾いや浮浪者、女給たちの猥雑(わいざつ)な姿。現実は厳しいが、作家自身が住み慣れ、溶け込んでいるから好奇の視線はない。カメラを向けられた娼婦(しょうふ)たちが、意外にも「きれいにとつてくれ」と屈託なく応じて男女の戯れを演じる場面を、作家は「眼(め)の底に焼きつけ」る。不遇な子どもや女性の突き放した描写は、抑制された怒りとなって読者に届く。永井荷風が郷愁で美化した浅草や墨東ではない、帝都のリアルだ。堀野正雄の写真や木村荘八の挿絵も豊富で往時をよく伝える。
低い目線と人間観察の力は、学生時代の社会運動や貧困支援の活動で養った。それが、弾圧でプロレタリア文学が総崩れになっても「非常時」への抵抗を続ける武田の支えとなった。
だからどんな短編も、庶民の哀感で終わらず、揺れ動く時代を映し出す。津軽から女衒につれられて上京した身売り娘が、悲運から逃れるために顔を焼こうとした痛々しい包帯傷。上海事変へ向かう軍隊の動員と物々しい警備。旅立つ友人を待つ間、上野駅で出くわすいくつもの光景が、畳みかける簡潔な描写で交叉する。日中戦争下でも、軍需景気でやっとつかんだ「人並の生活」を、人々が「永遠に続くものと幻想」する危うさを見逃さない。
読後、都市機能や社会保障が劣化し続けるいまが、否応なく重なる。文学に「社会批判の芸術」を夢見た作家の思いが、編集の妙で90年後によみがえった。
◇
たけだ・りんたろう 1904~46。小説家。作品に『暴力』「日本三文オペラ」『銀座八丁』『市井談義』など。