よしながふみの『大奥』が完結しました。2009年に手塚治虫文化賞の大賞を受賞して、その高い評価は決定づけられていましたが、16年以上の長きにわたる連載が終わり、この2月に最終第19巻が刊行されました。
家光から慶喜に至る徳川時代のほぼ全史を扱って、ありえたかもしれないもう一つの世界(パラレル・ワールド)を作りあげる歴史マンガですから、この長さは当然といえば当然ですが、多くの著名人に無数の架空の登場人物を絡ませ、多彩なエピソードを連ねて、長丁場をまったくダレ場なしに描ききった作者の、物語構成力と卓越した作画の技量に喝采を送りたいと思います。
最初の舞台は江戸時代初め、将軍家光の治世で、突如、赤面疱瘡(あかづらほうそう)という疫病が流行します。いまのコロナ禍のなかで読みなおすと、感染症が生活様式のみならず、社会の政治・経済体制を変えてしまうという設定は、いっそう恐ろしいリアリティーを帯びてきます。
赤面疱瘡に罹(かか)ると、全身に真っ赤な発疹が広がり、数日後に患者はほとんど死ぬのですが、この疫病に罹患(りかん)するのはもっぱら男ばかりなのです! その流行が長く続き、男の人口は激減し、女の4分の1になります。その結果、男は子種をもつ宝として大事にされ、女がすべての労働力の担い手となり、家業は女から女へと受け継がれます。
実際、近代化以前の農村社会では女性はみな働いていました。歴史人口学者・鬼頭宏の『2100年、人口3分の1の日本』によれば、1879年の山梨での国勢調査の試行版的な調査では15~49歳の出産可能年齢の女性の96%が有業者だったとの統計があるのです。
幕府の役職もことごとく男から女にとって代わられ、なんら問題はありませんでした。当時の武家はただの官僚だったからです。この点において、『大奥』は男女差別が何の根拠もない虚構だという事実を白日の下にさらします。将軍も女になり、大奥には種付け用の美男たちがひしめきあう。将軍の仕事とは種を絶やさぬこと。それが権力維持の根拠であり目的なのです。『大奥』は政治権力の虚構性を暴く点でも、類のない鋭利さを発揮しています。
しかし、『大奥』はそうした権力機構に押しつぶされていく個人個人の哀(かな)しみや喜びを見逃さず、鮮烈な人間ドラマとして織りなしていきます。そこがこのマンガの真の深みです。
そうして各将軍の治世の陰翳(いんえい)を描きあげ、明治維新に至る最後の5巻で、この歴史の行く末にみごとに結着をつけてみせるのです。驚嘆の力業というほかありません。=朝日新聞2021年4月14日掲載