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藤巻亮太の旅是好日 ものづくりへの憧れが芽生えた、実家の改築

文・写真:藤巻亮太

 高校時代、担任との進路面談で、私はあまり深く考えずに建築士になりたいと答えていた。なぜ建築士になりたかったのか、原稿を書きながら思い返してみたら一つのエピソードが思い返された。

 私が小学生の頃、実家の改築がおこなわれた。リフォームと呼んでもよいのだが、なんだか改築の方がピンとくる。家は築100年近い古民家で、曽祖父の頃は養蚕を営んでいたようで、当時の二階はお蚕さんを育てるだだっ広い一間であった。だが時代の流れとともに使われなくなり、何十年も物置として埃をかぶっていた。そこを大きくなってきた子供たちの部屋にしようと両親が一念発起し、近所の大工さんに相談してくれたのである。

造る前にはまず壊す

 工事はまず、二階の床をすべて取り外すところから始まった。いつも暮らしていた一階の居間や寝室の天井が取り払われ、見上げると今までは見ることのできなかった屋根裏の天井が見えた。その景色は今でも鮮明に覚えていている。

 私にとって、人が暮らす空間という概念を意識したのはその時だったのかもしれない。物件探しの時に資料から感じる家の広さとは平米数であり、縦横2次元の広がりを指すのだが、実際に暮らすと高さによる開放感は大切である。

 人間は重力に縛られた存在であるだけに、当時の私はその取り払われた天井を見上げながら、空や宇宙に対する憧れを満たしてくれるような開放と自由とが、高さという3次元的な広がりの中に現れているように感じた。その開放感は二階の床を壊すことで得られた感覚であり、突き詰めれば、ものを生み出す過程で避けては通れない「既存のものを壊す」という作業の中に宿っているものなのかもしれない。いつも通りの景色や暮らしがあり、時間という連続性が積んできたある種の重みと緊張が崩れた時に見上げたあの空間の広がりは、当時の私に自由を感じさせてくれた。

職人さんへの憧れ

 田舎の古民家である以上かなり広い家であったのだが、その改築を大工さんは概ね一人でこなした。私はその仕事を見るのが好きだった。耳の裏にペンを挟んで、頭に鉢巻をしていて、いかにも大工の職人さんという風貌であり、よく冗談を言って子供達を笑わせてくれた。

 現在のようなハイテク測量機器もなかった時代、取り払われた天井の上に板が張られ、二階の床材が敷きつめられてゆくのだが、反ったり曲がったり傾いたりしている古民家の骨組みと会話をするように、その特性に合わせて厚みを足したり削ったりしながら、だだっ広い二階の床を真っ平らに仕上げてしまった。まだ部屋が仕切られる前の新しい木材の香りがするフロアを眺めながら、職人さんの仕事は凄いと感じた。やがて壁で部屋が区切られ、天井ができて窓やドアが取り付けられた。私は早く自分の部屋ができないかとワクワクしながら毎日を過ごしていた。

環境・空間・素材と向き合う

 大まかな間取りや計画は両親と大工さんで話し合われていたのだろうが、そこに精密な設計図面があったとは思えない。マニュアルもなく、経験と勘とを信じ、ひたすらにその環境、空間、素材と向き合い、家と対話しながら二階を造っていく大工さんの姿を眺めていた経験は、今振り返ると私にとって「何かをつくることを生業にしたい」という原点的体験であったかもしれない。

 しかし高校の進路面談で建築士になりたいと言ったものの、実際は行きたかった建築科には受からず、土木科に入学することとなった。18歳までに感じたそんな大小様々な挫折たちが、私を音楽をつくる衝動へ導いてくれた。思いもよらぬ道が拓かれたのだから、人生はわからないものだ。ただ私は今も音楽をつくりながら、製図を引くように環境に向き合い、想像力であるべき構造を捉えてゆくことも素晴らしいと思うし、カンナやミノを握ってフィジカルに素材を削っていくような作業も好きだと感じる。

 「いつか木の風合いが素敵な家に住みたい」。そんな話題で友人と盛り上がっていたら、建築家の堀部安嗣さんを教えてもらった。『住まいの基本を考える』という本を読んでみると、思わず共感する言葉とたくさん出会った。その後、私は堀部さんの作品でもある高知の竹林寺納骨堂を訪れたのだが、建物が場の環境や伝統、その空気と共存し、一体化しているように思えた。

美術館や図書館や市役所やホテルには、「行く」と言います。それに対して住宅は、「帰る」と言います。(『住まいの基本を考える』より)

 “行く”という場所には、その時の心身の状態に合わせて「行く/行かない」の選択肢があるが、“帰る”場所にはその選択肢がない。だからどんな心身の状態にあっても寛容に受け入れる場所でなくてはならない。そんな堀部さんの文章を読みながら、実家の改築を思い返してみた。部屋をもらい、あっという間に反抗期になって自室にばかりこもっていた時期もあったが、私にとって家はいつも信頼して帰れる場所であり、昨日も今日も変わらない、安心の象徴であった。

 改築した家での暮らしは高校までの10年足らずの期間であり、一つの家で家族がともに過ごす時間とは案外短いものなのかもしれない。そんな時間や経験、思い出の空間をつくる建築家とは改めて偉大な仕事であるし、ゆえに今でも私の中に憧れとしてあるのだ。