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身体の性と人格 歪められた歴史、別の関係は 東京大学教授・本田由紀さん

コロナ禍で東京都豊島区は、防災備蓄の生理用品を食品などとセットにして無償配布した=3月、同区役所

 ところで私はかなりのなで肩で、和服なら良いかもしれないがそんな機会はめったになく、洋服は何を着てももっちゃりと見える。また、ふつうより小指が短めで、子どもの頃にはピアノをうまく弾けなかった。なで肩も小指も、生まれついてのものだ。なんなら女性としての身体のつくりをもって生まれたこともそうだ。「知らんがな」と思いながら、この身体と半世紀以上つきあってきた。

月経と「没理性」

 かくのごとく、自分の身体は、ある意味で人格にとって他者である。もちろん人格と身体の間に影響関係はあるが、影響し合うということは互いに別であるということを意味する。
 にもかかわらず、生き物としての身体のあり方をもって、人格全体をああだこうだと自他によって決めつけてしまうことは世の中にあふれている。

 『月経と犯罪』は、女性の月経前もしくは月経中のイライラなどが犯罪を引き起こす、という学説の歴史を、丹念に読み解いている。イタリアの犯罪人類学者ロンブローゾが説いた「犯罪における月経要因説」が、20世紀初めに日本に持ち込まれて定説化した。その後に日本で行われた研究も、現代の目から見ればデータは疑わしいものが多い。古代ローマの時代から「穢(けが)れ」とみなされてきた月経は、近現代にいたってヒステリーやホルモンと結び付けられ、女性を「没理性的」な存在と決めつける。

 月経の重さは個人差が大きく、重い場合も今は治療やコントロールが可能である。「生理用品が買えない貧困」が注目されるようになっている昨今、あたりまえの身体現象である月経と人格との関係を、古い迷妄から解放する必要性は大きい。

作られた男の恥

 身体によって人格まで貶(おとし)められてきたのは、男性も同じである。『日本の包茎』は、江戸時代から現代にいたる、(仮性)包茎に関する学説・俗説を、これでもかと取り集めてその内容や変化を詳述している。著者によれば、昔から「土着の恥ずかしさ」を伴っていた包茎が、近代に至り医学的に自慰や発育不良、不潔などと結びつけられる。敗戦後は米兵への劣等感や「性行動のエロス化」により包茎手術が広がる。そして1970年代以降、主に青年誌の広告記事において、整形医らが、「女性に嫌われる」というロジックで、手術の必要性を盛大に煽(あお)るようになる。この「作られた恥ずかしさ」の波は1990年代には終わりを迎えるが、今なお包茎に悩む男性たちは存在し続けている。

 重要なのは、この包茎手術ブームにおいて、男性が女性の視線を持ち出して他の男性を辱めていたことであり、男性間支配の正当化に女性が利用されていたということである。男性身体のイメージと男性間の関係を、どちらも変更していくことを著者は提唱する。

 こうした、身体と人格との歪(ゆが)められた歴史にいささか気がめいった方には、『肉体のジェンダーを笑うな』をお勧めする。本書に収められた4編の小説は、それぞれ、医療により「父乳」が出るようになった男性、筋肉ロボットによって力仕事が軽くできるようになった女性、月経前症候群を経験するようになった男性、顔認証で自分の顔に誇りを感じるようになった女性が描かれている。どれも荒唐無稽に聞こえるかもしれないが、冷静な文体と、作中で交わされる主に男女間の会話の深さにより、自然に設定に引き込まれ、むしろ現実への違和感が読後に残る。身体と人格との関係の、「今とは別のありよう」を巡る思考実験が促される。

 そう、「知らんがな」、そして「いろいろでいいじゃん」。これでいってみよう。=朝日新聞2021年4月24日掲載