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白井智之さんの本格ミステリー愛の原点になった「エイリアン2」の過剰なおもてなし精神

 難しい仕事を引き受けてしまった。

 作家が10代のころ好きだったものについて思い出を語る、というのがこの「大好きだった」という企画の趣旨らしいのだが、ぼくの両親は漫画、アニメ、映画、ゲームといった娯楽を制限するサウジアラビアのような教育方針を採用していて、ぼくは同級生の多くが嗜んでいるカルチャーを享受せずに育った。ゆえに「子どものころ〇〇に夢中になった」という記憶が乏しく、つい最近までそのことがコンプレックスだった。

 そんな自分が中学生の頃、虜になったと断言できる数少ない作品の一つが映画「エイリアン2」である。なぜこんな乱暴で非行を誘発しかねない作品の鑑賞が許されたのかというと、NHKがやっていたのである。サウジ式の教育を行う大人は国営放送に厚い信頼を寄せる傾向があり、ぼくの両親もそれだった。当時のNHK BS2は夜更けに映画や海外ドラマを流していて、ぼくは砂漠で湧き水を見つけたような気分で新聞のテレビ欄をチェックするようになった。他にもスター・ウォーズやスティーブン・キング原作映画の一挙放送などもやっていて、当時の編成担当者には今から羊羹でも送りたいと思っている。

 さて「エイリアン2」の魅力を一言でいえば、過激なまでのおもてなし精神である。冒頭から結末まで作り手のサービス精神が溢れているのだ。緊張感溢れる脚本。武装や入植基地の見事なデザイン。額に入れて飾りたくなるほど美しい画面構成(ニュートの背後にエイリアンが現れる場面の恐ろしさ!)。それらが観客を楽しませるという目的で一つになり、血が蒸発するような見せ場を畳みかけてくるのである。

 そんなおもてなし精神が爆発するのがラストの10分間だ。ネタバレめいたことを書くが、ビショップの腹がぐにゃ、尻尾がにゅるにゅるっ、そしてリプリーがガシャンガシャンするのである。脳のアドレナリンが追い付かない。劇場公開時、この場面で観客から拍手が上がったという話をラジオで聞いたことがあるが、じっとしていられなくなるのも納得の最高の瞬間である。

 これだけ見せ場が続くとアメリカの映画会社はどれだけ景気が良いのかと羨ましくなってくるが、「エイリアン2」は決して潤沢な資金が投じられた作品ではないらしい。限られた予算で製作陣のイメージを実現するため、撮影にはさまざまな工夫が凝らされた。セットではなく発電所の廃墟を使ったり、鏡でコールドスリープ装置を増やしてみせたり。ビショップの最後のあれも、床の穴から上半身を出して撮影していたというから驚く。製作陣の知恵と工夫が「エイリアン2」の過激なおもてなし精神を支えているのだ。

 本格ミステリーを読んでいると、物語が多少歪になったとしても、結末でさらに読者の度肝を抜いてやろうという作り手の意思(悪意?)を感じることがある。ぼくは本格ミステリーのそんなところが大好きなのだが、それは中学生のころ「エイリアン2」で飢えを癒したことが影響しているのかもしれない。