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小さな幸せ見つけ、明日へと 酒場ライター・パリッコが「酒」を読む

安くておいしいつまみで生ビールを飲む至福のとき=関西の居酒屋(コロナ流行前)、パリッコさん提供

 新型コロナウイルスの影響により、僕たちの生活は一変してしまった。それまで、僕が人生においてもっとも幸せだと思うのは、家族や気の置けない友達と酒を飲みながら、後の記憶に残らないようなくだらない話で盛りあがる、たわいのない時間のことだった。

 効率よく出世する才能が皆無なので豪邸ぐらしなど一生望むべくもないけれど、負け惜しみでなく、そんなつつましい幸せが人生のなかにぽつぽつと存在してくれればそれで満足だった。が、それすらも非日常で特別なことになってしまったのが現在。今、僕たち庶民がなんとか心を病まずに生きのびるためには、ニュースタンダードな生活を真摯(しんし)に受け入れ、そのうえであらためて日々の生活のなかに、つつましくも明日を生きる活力となるような小さな幸せを見つけられるかどうかにかかっている気がする。

自分だけの空間

 太田和彦さんといえば、バブル絶頂の時期に、誰もが見向きもしなかった大衆酒場の魅力に気づき、昨今のブームの礎を築いた酒場研究の大家。もちろん僕のもっとも尊敬する酒飲みのひとりであり、日本全国津々浦々の名酒場を紹介する著書もむさぼり読んだ。

 そんな太田さんの新刊を本屋で見つけて、ぱらぱらとめくってみると、そのほとんどは朝起きてから夜寝るまでのごくありふれた日々をつづったエッセーだった。タイトルを見ると『70歳、これからは湯豆腐 私の方丈記』。あの太田さんもついに隠居生活に入られたのかと驚いたが、半分正解で半分間違い。もとは酒場めぐりや街歩きなどをテーマに書くつもりだった連載が、コロナ禍でこのような内容になったのだとか。

 定年を過ぎた男は、安アパートでいいから自分の部屋を借り、そこで趣味の世界に没頭するのはどうか。家には定期的に帰れば奥さんも納得するし、むしろ毎日ゴロゴロと同じ部屋にいられるよりも羽を伸ばせるだろう。そんな生活を鴨長明の『方丈記』になぞらえてつづる本作は、小さな幸せの輝きが随所にちりばめられ、自分も早くそうなりたいと憧れる。

ビールのために

 東海林さだおさんは、僕がもっとも影響を受けた文章家だ。言わずと知れた代表作「丸かじり」シリーズなどから「酒」をテーマにしたエッセーをよりすぐって収録した『ひとり酒の時間 イイネ!』は、もう僕のために作ってくれたんじゃないか?と歓喜した1冊。庶民的かつありふれた事象を徹底的におもしろがることを数十年も続けてきた氏のエッセーは、どんな時代、どんな生活のなかにだって楽しみはあると教えてくれる。

 また、通して読んでみると、さまざまな飲食に関する話題のなかにまぎれこんでいた時には気がつかなかった、東海林さんの「ビール」にかける情熱にとにかく圧倒される。時に草野球、時にサウナで徹底的に汗を流し、その後の水分補給など言語道断、一直線に「世の中の飲食物の中で一番好き」と語るビールを求める様は、庶民の喜びの真骨頂だ。

 飲み友達でもあり、共著も出させてもらっているスズキナオさんの『関西酒場のろのろ日記』は、東京出身のナオさんが家庭の事情で大阪に移り住むこととなり、知り合いのいない見知らぬ地で、徐々に居場所を見つけていく様を描いたエッセー集。

 ナオさんらしい温かい視点満載の内容だが、特に、僕も一緒に朝から大阪・天満で飲み歩いた日の記録などを読んでしまうと、あんなことが気軽にできた日々は実は当たり前じゃなかったんだなとしみじみする。いつかまた、あの夢のように楽しい時間が過ごせたらいいなと、今はできることをして待とう。=朝日新聞2021年5月8日掲載